まず本題にはいる前に、「デフレの正体」の著者による「デフレ脱却」をメインテーマとした経済政策「アベノミクス」への評価が気になるところです。 これについてはこの本でのメインテーマではないので、ちょこっとしか触れられてませんが、
「一言だけ述べておけば、何かすれば副作用が生じるのであって、御都合主義者が願うような穏便な問題解決にはならない。副作用もなしにできるのなら他の誰かがとうにやっている、ということは認識しておいた方がいい。」
とのことです。本当にそうなのでしょう。問題はもっと根本的に考えるべきなのです。ということで、本題に入ります。
まず、聞き慣れない言葉「里山資本主義」とは何か?・・・
「里山資本主義は、経済的な意味合いでも「地域」が復権しようとする時代の象徴と言ってもいい。大都市につながれ、吸い取られる対象としての「地域」と決別し、地域内で完結できるものは完結させようという運動が、里山資本主義なのである。/ここで注意すべきなのは、自己完結型の経済だからといって、排他的になることではない点だ。むしろ「開かれた地域主義」こそ、里山資本主義なのである。」
ということですが、これだけじゃよくわからないですね。言葉としては、「マネー資本主義」の反対概念と考えた方が理解しやすい感じです。
「瞬間的な利益を確保するためだけの刹那的な行動に走ってしまって重要な問題は先送りしてしまうというマネー資本主義に染まった人間共通の病理」「目先の「景気回復」という旗印の下で、いずれ誰か払わなければならない国債の残高を延々と積み上げてしまうというような、極めて短期的な利害だけで条件反射のように動く社会を、マネー資本主義は作ってしまった。」
この「瞬間的な利益」を追求する中で「金融工学」により生み出された複雑な経済構造を持って「マネー資本主義」は(まさに「主義」として)あります。これはリーマンショックでその破綻が明らかになったにもかかわらず、なおも延命が図られているものです。その当面の延命は、社会そのものの破綻を招きかねないので、注意が必要です。そうではなく、持続的に利益を享受しうる構造を考えていかなければならないのであり、そのために循環型の経済構造として「里山資本主義」が考えられなければならない、ということなのでしょう。
「里山資本主義」のイメージは、本書の冒頭で紹介されている「木質バイオマス発電」に最も明らかです。製材工場で板材を作る過程で出る樹皮や木片、かんな屑は、これまでゴミとして、費用をかけて処理されてきたそうですが、それを燃料として発電を行う、というものです。これにより、従業員200人の建材会社で、年間2億4000万円の産業廃棄物処理費を浮かし、1億円の電気代を浮かし、さらに5000万円の売電収入を得て、しめて3億9000万円の利益を得ている、ということです。さらに、発電で使いきれない木屑は、ペレット(直径6㎜、長さ2㎝の円筒形燃料)にされて販売され、地域で広くボイラー、ストーブで使われている、ということです。
こんなにうまい話があるの?と思わされてしまうような話ですが、金額等はともかくとして、「地域の中にある、これまで捨てられてしまい、費用がかかるとされていたものが、逆に利用でき、さらに利益を生むものになる」という形はわかりやすいものです。この発想が必要なのでしょう。
本書の中で、都道府県別の「域際収支」が紹介されていて、興味深いものでした。商品やサービスを地域外に売って得た金額と、外から購入した金額の差を示した数字です。これによると、東京が30%を超える黒字であるのに対して、高知県が20%を超える赤字になっています。赤字の県の中身を見ると、農林漁業で黒字なのに対して、エネルギー部門で大きな赤字が出ている、ということが特徴として挙げられるそうです。
こういう現実があるのだとすれば、そこからどうにかすべき、ということになります。域外から入れなければならないものをできるだけ減らして、域内のものを有効利用して行く、というのは、あたりまえのことです。その当たり前のことが、普遍的なものとしての「マネー」を得ればすべて解決される、というある意味真実ではあるけれど、それだけでは解決できないこともあることが明らかになった原理にしがみつくことによってわからなくなってしまっていた、ということなのでしょうか。考えさせられました。
その他、本題と少し離れたところでの興味深い話や含蓄のある言葉もいくつかあり、とても面白く勉強になりました。それらについても、またいつか紹介したいと思いますが、それより前に是非実物を読んでいただきたい、と思える本です。