大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

読んだ本 「里山資本主義ー日本経済は「安心の原理」で動く」(藻谷浩介、NHK広島取材班)

2013-07-31 11:28:26 | 本と雑誌
著者の藻谷浩介さんは、前著「デフレの正体」で、日本経済を覆ったデフレを「景気循環」ではなく「生産年齢人口の減少」という社会構造そのものの変化から理解すべきことを説いた方です。その藻谷さんが、「里山資本主義」という耳慣れない(と言うか聞いたことのない)言葉をタイトルにした本を出版された、ということで読んでみました。

まず本題にはいる前に、「デフレの正体」の著者による「デフレ脱却」をメインテーマとした経済政策「アベノミクス」への評価が気になるところです。 これについてはこの本でのメインテーマではないので、ちょこっとしか触れられてませんが、

「一言だけ述べておけば、何かすれば副作用が生じるのであって、御都合主義者が願うような穏便な問題解決にはならない。副作用もなしにできるのなら他の誰かがとうにやっている、ということは認識しておいた方がいい。」

とのことです。本当にそうなのでしょう。問題はもっと根本的に考えるべきなのです。ということで、本題に入ります。

まず、聞き慣れない言葉「里山資本主義」とは何か?・・・

「里山資本主義は、経済的な意味合いでも「地域」が復権しようとする時代の象徴と言ってもいい。大都市につながれ、吸い取られる対象としての「地域」と決別し、地域内で完結できるものは完結させようという運動が、里山資本主義なのである。/ここで注意すべきなのは、自己完結型の経済だからといって、排他的になることではない点だ。むしろ「開かれた地域主義」こそ、里山資本主義なのである。」

ということですが、これだけじゃよくわからないですね。言葉としては、「マネー資本主義」の反対概念と考えた方が理解しやすい感じです。

「瞬間的な利益を確保するためだけの刹那的な行動に走ってしまって重要な問題は先送りしてしまうというマネー資本主義に染まった人間共通の病理」「目先の「景気回復」という旗印の下で、いずれ誰か払わなければならない国債の残高を延々と積み上げてしまうというような、極めて短期的な利害だけで条件反射のように動く社会を、マネー資本主義は作ってしまった。」

この「瞬間的な利益」を追求する中で「金融工学」により生み出された複雑な経済構造を持って「マネー資本主義」は(まさに「主義」として)あります。これはリーマンショックでその破綻が明らかになったにもかかわらず、なおも延命が図られているものです。その当面の延命は、社会そのものの破綻を招きかねないので、注意が必要です。そうではなく、持続的に利益を享受しうる構造を考えていかなければならないのであり、そのために循環型の経済構造として「里山資本主義」が考えられなければならない、ということなのでしょう。

「里山資本主義」のイメージは、本書の冒頭で紹介されている「木質バイオマス発電」に最も明らかです。製材工場で板材を作る過程で出る樹皮や木片、かんな屑は、これまでゴミとして、費用をかけて処理されてきたそうですが、それを燃料として発電を行う、というものです。これにより、従業員200人の建材会社で、年間2億4000万円の産業廃棄物処理費を浮かし、1億円の電気代を浮かし、さらに5000万円の売電収入を得て、しめて3億9000万円の利益を得ている、ということです。さらに、発電で使いきれない木屑は、ペレット(直径6㎜、長さ2㎝の円筒形燃料)にされて販売され、地域で広くボイラー、ストーブで使われている、ということです。

こんなにうまい話があるの?と思わされてしまうような話ですが、金額等はともかくとして、「地域の中にある、これまで捨てられてしまい、費用がかかるとされていたものが、逆に利用でき、さらに利益を生むものになる」という形はわかりやすいものです。この発想が必要なのでしょう。

本書の中で、都道府県別の「域際収支」が紹介されていて、興味深いものでした。商品やサービスを地域外に売って得た金額と、外から購入した金額の差を示した数字です。これによると、東京が30%を超える黒字であるのに対して、高知県が20%を超える赤字になっています。赤字の県の中身を見ると、農林漁業で黒字なのに対して、エネルギー部門で大きな赤字が出ている、ということが特徴として挙げられるそうです。

こういう現実があるのだとすれば、そこからどうにかすべき、ということになります。域外から入れなければならないものをできるだけ減らして、域内のものを有効利用して行く、というのは、あたりまえのことです。その当たり前のことが、普遍的なものとしての「マネー」を得ればすべて解決される、というある意味真実ではあるけれど、それだけでは解決できないこともあることが明らかになった原理にしがみつくことによってわからなくなってしまっていた、ということなのでしょうか。考えさせられました。

その他、本題と少し離れたところでの興味深い話や含蓄のある言葉もいくつかあり、とても面白く勉強になりました。それらについても、またいつか紹介したいと思いますが、それより前に是非実物を読んでいただきたい、と思える本です。



7月31日は「土地家屋調査士の日」・・・今週の予定

2013-07-29 05:52:41 | 調査士会

7月31日は「土地家屋調査士の日」です。

全国の土地家屋調査士会では、この日を中心に無料相談会を開催することにしています。大分でも、10箇所で、大分地方法務局からも相談員の派遣を受けて相談会を開催します。よろしくお願いいたします。

その他の私の予定。

29日(月)午後    日調連正副会長会議。夜 地籍問題研究会幹事会。

31日(水)    無料相談会の日ですが、私自身は、中部ブロック協議会の「地籍シンポジウムin中部」に参加しようと思っています。

8月1日(木) 日調連常任理事会。

2日(金)   日調連役員打合せ


目的へ向けての方法

2013-07-28 06:48:22 | インポート

最近、まったく違う考え方・傾向の何人かの人と話をしていて、同じようなフレーズを聞きました。

「『A』って言ってるけれど、本当の狙いは違うんだよね。本当は、これによって『B』を勝ち取ろうと思ってるんだ。」

というような言い方です。

これって、私はダメだと思います。何がダメかって言うと、まず、倫理的に良くないですよね。嘘つくわけですから。

この「倫理的によくない」ということを大前提に置きつつ、さらに言えば、「倫理的によくないことは実利的にも有効なものにはならない」、ということが大事なところです。

こういうことを言う本人としては、自分がよほど賢くて他の人は愚かで自分の策略にのってくれるのだろう、と無邪気に信じているのでしょうが、世の中、そう甘いものではない、と思っておいた方がいいでしょう。相手の方がよほど賢い、ということもよくあることで、策略を練っているつもりの側が逆に騙されちゃう、なんてこともありがちなことです。自分自身を客観的に見直してみることが必要です。(もっとも、福田元総理ではありませんが、これほど難しいことはなく、もしもそれができているなら、上述のような発言は出るわけないのですが・・・。)

また、よほどの「戦略家」としての自負があるのかもしれませんが、多くの場合、「Aを狙うと見せかける」ことと、「Bを勝ち取れる」ということとの関係性が明らかでありません。

こういう考え方というのは、とりあえず三つのパターンが考えられます。

一つは、量的水準のものです。「春闘・賃上げ交渉型」とでも言いましょうか。「2万円の賃上げを獲得できればいいと思っているけど、要求は3万円って言おう」というようなものです(昔は、そんな時代もありました)。これは単純な話で、別にいいのだとは思います。もっとも、私たちの業務の関係で言うと、「本当は30万円だけど40万円の見積もりを出して、30万円で決まればいいや」というのは感心しないものだと言うべきでしょうし、「境界はここだと思っているけど、とりあえずあと30㎝先だと主張してみよう」というのもいけません。・・・そう考えると、こういうやり方の有効性の限界が見えてきます。

二つ目は、「目的-手段」の関係に立つものです。「将を射んと欲すればまず馬を射よ」型と言いましょう。これについては、「手段」と「目的」との関連性が明らかになっていればいいのですが、ありがちなのは、「手段」として当初位置付けていたものが「目的」化してしまうことです。「小目的」に集中する中で「大目的」が忘れられてしまう、というパターンです。目標として立てたことはそこそこ実現できたのに、目的に向かっては進んでいない、ということがありがちなので、注意が必要です。これは、特に「組織方針」としてこの形をとったときにありがちなことです。組織の中の人間というのは、それぞれ独立した主体としてもあるわけで、将棋の駒のように自由に動かせるものではありません。あたかも動かせるかのように考えるところから「BではなくA」というような策略がでてくるのでしょうが、少なくとも一定規模以上の組織で通用することではない、と考えておいた方がいいように思えます。

三つ目は、関連性の不明なものです。「風が吹けば桶屋が儲かる」型、とでも言いましょう。実は、これが一番多いような気がします。

こういう考え方をする人の中では関連性が見えている(ボヤーっと)のでしょうが、その関連性に関する検証がなく、他人からはおよそ納得できない、ということになってしまいます。

そもそも、もしもはっきりと関係性が明らかにできているのであれば、最初から目標が「B」なのだとすればそう言えばいいのであって、何故とりあえず「A」と言わなければならないのか、ということを考え直してみるべきなのだと思います。

「真意」と、「とりあえず口に出すこと」が違うような状態で話をしていたのでは、生産的な議論はできません。妙な策を弄することなく、すっきりとした話をしていきたいものだと思います。

 


今週の会務を終えて

2013-07-26 20:30:46 | インポート
今週は、本格的に私の日調連の会務が始まった週でした。

火水の研究所会議、木金の業務部会議があり、その真ん中に大分会の常任理事会会議が入っていたので、会議漬けの日々を送る形になってしまいました。

それぞれの会議で、出席者の全員が積極的に意見を述べていただき、実務的な事務の処理のみにとどまらない、展望を切り開いていけそうだという感触を得られました。よかったと思っています。

ただし、気をつけなくてはいけないと思わされるのは、忙しく会務をこなしていると、動いているだけで何かを成し遂げられているような気分になりがちだ、ということです。実際の成果を残して行く、ということを常に意識化しておくことが必要でしょう。

もう一つは、主観的な推測や願望を現実と取り違えない、ということです。自分がこれだけ動いているのだから、対象とするものもそれに応じた反応を示すべきなのではないか、ということが、無意識のうちに考えられてしまいがちです。主観の世界と客観世界を同一化してしまうと、判断を誤ることになってしまいます。

これらのことの自戒を、羽田空港の疲れた頭と身体で考えました。


「土地家屋調査士」7月号~走らなくっちゃ!

2013-07-25 08:27:10 | インポート

日調連の会報「土地家屋調査士」に、「わが会の会員自慢」という連載があります。 最新号の7月号が「VOL.18」ということで、毎回調査士にはいろいろな分野ですぐれた人がいるのだと感心させられます。「この道一筋」という生き方もいいものですが、さまざまな経験を積んだうえで、能力を活かす職業の場として「土地家屋調査士」を選択することができる、というのも面白い生き方です。こういうことができるのも「資格業」の利点の一つであり、「一本道」ではない「バイパス」としての存在意義として考えるできるのでしょう。

・・・が、今日は、そのような「土地家屋調査士像」の話ではなく、「マラソンネタ」です。 7月号の「わが会の会員自慢」では、佐賀会の稲葉伸理さんのレポートが掲載されています。

稲葉さんには、私は直接お会いしたことはないのですが、去年私も参加したマラソン大会の名簿の中で見つけて、私より1時間くらい速く走る人であることを見て、名前だけは知っていて、畏敬の念を抱いておりました。その方のレポートということで、興味深く読みました。

今回のレポートによると、稲葉さんが癌との闘病の過程でマラソンを始めたのは2011年、ということですので、私がマラソンを始めたのと同じ時期です。しかし、稲葉さんは、初マラソンでの「6時間30分」から、2年間で「3時間36分」まで3時間くらい速くなっているそうで、同じ期間で30分くらいしか変わらない私とは大きな違いがあります。稲葉さんはヨットをしていたということなのでスポーツマンとしての基礎があるのが私とは違いますし、マラソンだけでなくトライアスロンへも挑戦するという意欲も違います。そして何より、日常的な練習の質も量も大きな違いがあるのでしょう。

最近、暑さや何やかやでほとんど走れていない私としては、この記事を読んで刺激を受けました。走らなくっちゃ!と思わせてくれたので、ありがたく思っています。・・・もっとも、この記事を読んでからも一度も走れていませんけれど・・・。