大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

政策・方針の決め方

2012-03-31 09:28:13 | インポート

北朝鮮が、長距離ミサイルを「人工衛星」だと言って発射しようとしています。この手の強弁、ごまかしは毎度のことで、「北朝鮮らしい」と思わざるを得ません。

しかし、日本でもそんなに変わらないな、と思わされることがあります。AIJ投資顧問の詐欺師の「だますつもりはなかった」もそうですが、「4年間消費税はあげない」と言って獲得した議席で、「消費税増税法」を成立させようとしている野田総理が、「実際に上がるのは、2014年4月だから公約違反ではない」と言うのは、「人工衛星」の話とたいして変わらないのではないか、と思えます。だって、立法府たる国会議員の選挙だったわけですから、法律をどう作るのか、が問題なのであって、実際に上がる時期、というのは本来関係ない話でしょう。

消費税については、いろいろな問題があるのだと思いますが、どういう視点から政策・方針が決められるのか、という問題において、論点のズレがあるように思えるので、それについて少し書きたいと思います。

何度も同じことを言っているのですが、なんらかの政策・方針を考えるときには、「目的」があります。その目的には、「大目的―中目的―小目的」という階層構造があることを意識することが大事だと私は思っています。具体的な目標として「小目的」に向かうわけですが、その場合には、あくまでも「大目的」を見失わないようにしなければならない、というのが注意すべきことです。そうしないと、「小目的」は達成できたけど「大目的」には、なんら近づかなかった、ということになりかねません。

たとえば、・・・・と言ってあげる例がとってもつまらないもので恐縮ですが・・・・、「フルマラソンを走る」ということを「大目的」にします。そのために、「月間200㎞走ろう」という「中目的」を決め、そのために「1日10㎞走る」という「小目的」を立てます。「今日は風邪気味だからどうしよう」と思った時に、「小目的」の実現を優先して無理して走ったら、風邪が悪化してその後1週間走れなくなってしまった、というようなことがあるとその先の目的が達成できなくなります。あるいは、足が痛くなってきたけど「月間200㎞」を達成するために無理して、足を決定的に痛めてしまう、というようなこともありえます。近い目的を重視して、最終的な目的を達成できなくなってしまう、ということは、もっと複雑な社会的な問題においては、よくありうることなのだと思いますので、注意して考える必要があるのだと思います。

その上で、「目的」としている事柄の性格にも注意する必要があるのだと思います。その性格というのは、「目的」が、「理念的にやらなければならない性格のもの」なのか、「実利的にやった方がお得と言う性格のもの」なのか、ということです。

消費税の話に戻りますと、消費税増税について、あたかも「理念」の問題であるかのように言われている気がするのですが(だから「命を懸けて」とかもでてくるのでしょう)、この問題はあくまでも「実利」の問題として考えるべきだと思うのです。「実利的に消費税を上げた方がお得なのかどうか?」ということを、個別具体的に、そして実証的に考えてみるべきなのでしょう。そういうところから、「そもそも増税が必要なの?」とか、「増税が必要だとしてそれは消費税によるべきなの?」とか、「国民の各層に対する影響はどうなの?」ということが考えられるべきなのだと思います。そういうことを抜きにして、「やらなければならない大義」みたいにして問題が立てられてしまうと、ちょっと違うんじゃないかな、と思わされるわけです。

このような、「政策・方針の考え方」は、ぐっと小さい規模の話になりますが、私たちの会における「政策・方針」を決めるときにも考えなければならない問題です。目先の具体的な問題に取り組んでいると、その問題をクリアすることに神経が集中して、その先の大きな目的を見失う、ということがありがちです。今やろうとしていることは何のためのことなのか?ということをもう一度考え直しながら、次の一歩を踏み出していく、ということが必要なのだと思います。


最近読んだ本―「上司は思いつきでものを言う」(橋本治:集英社新書2004.4)

2012-03-28 06:17:06 | インポート

2004年の本ですから、もう8年前のもので、もはや「新書」とは言えません。たまたまブックオフの105円コーナーに何冊か並んであったので買って読んでみました。

その古い本をわざわざ取り上げるのは、いい本だった、と思うから・・・、ではありません。内容は、全体としては、さほど面白いものではありませんでした。著者自身が「あとがき」で言っているように、「サラリーマン経験ゼロ」の人が書いた「会社」に関する本ですので、細かいところで実態を踏まえていないな、と思わされるところがあって、そこから先を感心して読めなくなってしまう、というところがあります。

では、なぜ取り上げるのか?・・・初めの部分で、「あまりにも突飛すぎるこんな場合」としてあげられている「たとえば」の話が、とても面白かったから、です。おそらくは、この話だけで終わってもよかったものなのではないか、とも思えるのですが、それでは「新書」として必要なページ数に足りないので、いろいろと付け加えられたのではないか、などと邪推さえしてしまいます。

その「たとえば」の話です。

「たとえば、あなたの会社は、「埴輪の製造販売」を業務としています。もちろんこれは、「美術品としての埴輪」ではなくて、「(古墳への)副葬品としての埴輪」です。」

という設定です。無茶苦茶な話ですよね。これが面白い。・・でも、「会社」の話、として考えるより、そういう「自営業者」の話、として考えた方が、私たちにはいいかもしれません。

しかし、こんな業務内容の会社がうまくまわるわけがありません。業績不振に陥ります。そこで、業績回復の策が検討されます。会社としては、「我が社の存在理由」を信じつつ、その上に「我が社の持てる伝統的な技術力、ノウハウを生かした新展開」が可能なのではないか、ということで、その検討を行うことにするわけです。

そこで、「アイデアを出せ」ということになって、考えます。

考えられる方向として二つが示されます。ひとつは、「古墳そのものの需要を喚起すること」です。古墳がなければ、そこへの副葬品としての埴輪も必要にならないわけですから、古墳がいっぱい作られるようになればいいわけです。しかし、これは、とてもむずかしい問題です。古墳への需要がないから、副葬品としての埴輪の製造販売も不振になっている、というのがそのそもの事情であるわけですから、その前提そのものを覆そう、というのには無理があります。

もう一つの方向は、「埴輪そのものの利用法を考える」ということです。埴輪は造形的にすぐれたものなので、「美術品」として売り出せば十分に事業展開可能なのではないか、ということです。これが、「伝統的な技術力、ノウハウを生かした展開」として有力だろう、と考えられるわけです。

これは、ごく自然な、まともな考え方です。しかし、このまともな考え方に対しては、反対意見が出てきます。「埴輪というのは、古墳に埋められる神聖なものだ」とか「死者とともにあって然るべきものを「部屋に飾る」というのはいかがなものか」などという反対意見です。内容としては「感情論」に過ぎないものであり、解決すべき現実に向き合わない意見にすぎませんが、それだけに頑強でもあります。

・・・・会議でいろいろな意見がだされながら、結局のところ主力商品である埴輪の問題からはずれて、「いっそ、我が社もコンビニを始めたらどうでしょう」という意見が出て、どっとそれに流れていく、・・・・というのが「たとえ話」です。

「上司」の問題としてではなく、危機的な状況に対する対応法、という点において、面白いな、と思いました。危機的な「現状」があるからこそ、それに対する対処が求められているのに、考え方がどうしても「現状肯定」的な方向に流れてしまう、というのはよくあることだと思えます。そしてさらに、それだけではやっていけない、ということになると「現実逃避」に走っていく、という構図です。・・・・私たち、土地家屋調査士の世界にも、あてはまる部分があるのではないか、と思わされました。


年度末

2012-03-27 06:10:36 | 調査士会

一昨日、阿部重信元会長の黄綬褒章受賞祝賀会があり、全国、そして九州各地から多くの方に大分までおいでいただきました。ありがとうございました。

今週は、年度末、ということで、特に会務スケジュールは入っていません。今年度を振り返り、来年度(以降)を見据える、という時期にしたいと思います。

私は、会の基本的な方針として、「社会に役立つ土地家屋調査士」ということをあげています。これは、何も「きれいごと」を言っている、というわけではなく、土地家屋調査士という存在が、今後も存在し続けていこう(生き残っていこう)とするなら、社会からみて役立つ存在、必要な存在としてなければいけない、という、ごく当たり前のことを言っているのにすぎません。「虎の威を借る狐」的になにか「強いもの」にすがってその力で存在することを許される(逆に言えば、強いものの意向が変われば存在が危ぶまれる)という道を選ぶ(現実に、こういう方向で考える方も多くあるのだとは思いますが・・)のではなく、自立して社会そのものに基礎をもつものとして存在し続ける道を進んでいこう、ということでもあります。

具体的な事業計画とか方針を考えていくときにも、基本的な方針に立ち返って考える、ということが必要です。年度の区切り、というこの時期に、もう一度「基本」の考えをしっかりとさせる、ということが必要なのかな、と思います。


理事会・支部長会を開催(3.23=先週の金曜)・・・「支部」の問題

2012-03-25 06:02:13 | 調査士会

はじめに報告。先に設立した「境界紛争解決センター」について、土地家屋調査士法第3条1項7号の、「紛争の解決の業務を公正かつ適確に行うことができるものとして」の法務大臣の指定がなされた、との連絡がありました。ADRセンターの設立へ向けた数年来の取り組みが、ひとつの区切りを迎え、ようやく出発点に立てた、ということだと思います。

3月23日に、今年度最後の理事会・支部長会を開催しました。総会(5.25)へ向けて、諸規則の改正、23年度事業報告、24年度事業計画・予算についての審議をしました。

中でも、「支部」をめぐる問題について、活発な意見交換がなされました。会議に出席された多くの方が、真剣に考え、発言していただいたので、とてもうれしく思います。そのことに関連して、あらためて基本的な問題について、確認しておきたいと思います。

「支部」についての問題は、直接には登記所の統廃合が進む中で、調査士会の支部組織はどのようなものとしてあるべきか、ということを考える中ででてきていますが、それだけにとどまる問題ではありません。それは、「調査士会の目的」に照らして、「支部の役割」はどのようなものとしてあるべきなのか?という問題として出てきている問題です。

調査士会は、それに加入しなければ調査士になれない、という強制入会の制度をとっているもので、「業務の改善進歩を図るため、会員の指導連絡を行う」ことを目的としています。この強制入会のあり方については、規制改革の動きの中で、「競争排除的」との批判がなされ、その存続の是非が論議されたこともありましたが、業務の適正性確保のための必要性がある、ということで今日に至っているものです。

ということは、「業務の改善進歩を図るため、会員の指導連絡を行う」という調査士会の役割がきっちりと果たせないのなら、この「強制入会」の制度を維持する必要はない、という議論が有力なものになっていく、ということになりますし、そもそも土地家屋調査士に業務独占させている意味もないのではないか、という話が浮上してくることにもなります。調査士会が、しっかりとその役割をはたしていくことが、ますます重要だ、ということです。

「支部」も「支部会員に関する指導連絡を行うことを目的とする」ものです。この支部の目的、役割ということを、基本に返って考え直し、確立していくことが、調査士会の役割の重要性がましていくなかで必要になっています。それが、今回「支部」の問題を取り上げる基底にあるものです。

その上で、これまでの「支部」のあり方を考え直してみることが必要となります。これまでも「支部」は、同じ地域内の会員が交流して、情報交換をしたり協力していく場として、「品位の保持」や「業務の改善進歩」のために一定の役割を果たしてきた、ということが言えるでしょう。このような役割は、今後も必要なものだし、その意義はしっかりと認めて行かなければならないものだと思います。しかし、それだけにとどまるわけにもいかないように思えるのです。それだけでは、「存在すること」によって自然に出てくる効果、というようなものにすぎないのであり、より積極的な役割が求められている、と考えなければならないのだろうと思います。

また、組織的な観点からも考え直す必要があるように思えます。「支部」はあくまでも「調査士会内の一機関」です。「調査士会外に別組織としてあるもの」ではありません。そのような組織性格に応じた具体的なあり方を考えなければならないのだと思います。

・・・その上で、今回、「支部」のあり方を見直す規則類の改正をしたり、運用の適正化を図るわけですが、それは、これまでの現実の「支部」のあり方にたいして、何らかの規制をかけて動きにくくしたり、「上からの統制」をかけたりしようとするものではありません。・・・会議の中で、そのような懸念がある、という意見もでていましたが、冷静に内容を見ていただければ、むしろ、支部の運営のために必要な財政上の基礎をはっきりしたものにして、「支部」が行うべき役割をはたせる環境をつくるためのものであることが、明らかになるのではないか、と思います。それは、「支部」が役割を果たすことによって、はじめて「本会」もその役割が十分に果たせるようになる、ということによるものでもあります。

以上のようなものとして、「支部」をめぐる問題をはじめとした組織改革が、今年の総会での大きな課題となります。是非、会員の皆さんが、自分自身の問題としてこの問題を真剣に考え、方向性を出していければ、と思います。昨日、野田総理は、消費税増税に「政治生命をかけ、命を懸け」て取り組む、と言っていましたが、私も「命」はかけませんが、「政治生命」(そんなものあるのか?・・ですが・・)くらいはかけて、取り組んでいきたいと思っています。


登記件数統計の「数字を読む」

2012-03-23 06:28:33 | インポート

先日、「デフレの正体」について書いた中で、「思い込みを排除して事実を事実として見る」ということを書きました。しかし、「事実」自体がとっても大きなものとしてあるので、それをそのまま見る、ということはできません。なんらかの抽象化の作業が必要になります。その代表的なものが「数値化」です。

数値化されたものをみることによって「現実」を見ようとするときには、「数字を読む」ということが必要になります。藻谷さんは、「数字を読めない」エコノミストらを「SY」と言っていましたが(「KY」が「空気を読めない」なのにならった言い方で、あまりセンスのいい言い方とは思えませんが、物事を理解しやすく伝えるためには、こういう表現方法も必要なのかもしれません・・・)、そういうことではいけない、ということになります。

前に、「文章の書き方」について、「とにかく書くことを繰り返すことが必要」ということを言いましたが、この「数字を読む」についても、同じことが言えるでしょう。「数字を見て、そこから何が読み取れるのか、ということを考える」という訓練・作業を繰り返す中で見えることが出てくる、ということなのかと思います。

そのようなものとして、手近なところにある「数字」を読んで見ました。もっとも、経済分析のために読む数字が「微分積分」だとすれば、私の読むのは小学1年の足し算引き算程度のものですが・・・。

法務省が、登記件数などの統計を載せています。(http://www.moj.go.jp/housei/toukei/toukei_ichiran_touki.html

私たちの仕事のグラウンドとも言うべきところのものです。時には、わが業界の全体的な動きはどうなのか?ということを気にして、この統計を見てみることも必要なことなのではないか、と思います。

これを見ているといろいろなことがわかって面白いのですが、それらについてはおいおい見ていくことにして、今日は一つのことだけについてみてみます。「表示に関する登記件数における土地家屋調査士の占有率」の問題です。

この法務省の統計とともに、わが調査士会では「取扱事件年計報告」というものを会員の皆さんに提出していただいています。単会では、これを収集整理したうえで日調連に報告して、統計的な資料として役立てることになっているのですが、少なくともここ数年、大分会では、これを有効に利用する、ということがなされてきませんでした。反省すべきことです。今年からは、なんらかの形で、会員の皆さんに報告して、会務運営に役立てて行くようにしたいと思います(今年の分は、今、病気等のために提出の遅れている方の分を待って最終のまとめを行っているところですので、しばらくお待ちください。したがって、以下の記述は確定値ではありません。)

さて、その上で「占有率」です。

建物表題登記についてみると、法務省統計での大分地方法務局管内の昨年の件数は「4195件」とのことです。これに対して、「年計報告」の集計は約3800件です。90%ほどの占有率、と言えます。建物表題登記については、本人申請の増加、と言うような傾向もあるのかな、と思っていたのですが、今のところそうでもないようです。

これに対して、土地の分筆登記についてみると、法務省統計では「7158件」なのですが、「年計報告」の集計では1900件ほどにしかなりません(「嘱託手続」の約400件もすべて「分筆」だとしての数です)。単純な計算で言うと、「占有率20%」です。

この数字には、単純に受け止められないと思われるいくつかの要因があるのだと思います。先日の常任理事会の際に、少し話しただけでも、*「件数」のカウントの仕方の違い(複数筆の申請の場合のカウント)、*他局管内調査士の大分県内での取扱事件の存在、*地籍調査における分筆の存在、等々の「単純には受け取れない」理由が挙げられました。

・・・でも、この数字の違いはあまりにも大きい、と言うべきです。もしも、法務省統計が2割少なくて、「年計報告」が1.5倍多くカウントされるべき、という最大限の場合を考えたとしても、「占有率」は50%ほどにしかなりません。

従来、表示に関する登記に関しては、「嘱託事件を除けば95%を調査士が代理申請している」ということが一般的に言われていて、なんとなくそうなのかな、と思っていました。もしかしたら、上記の数字も、その通り、ということの上での数字なのかもしれません。それでいて、土地分筆登記については、どう考えても「半分以下」しか占有率がないのです。

皆さんご存知の通り、分筆については、基本的には「全筆測量」がなされていて、分筆が行われることによって一筆全部の筆界点の座標値が地積測量図に記録されて、登記所に備え付けられることになっています。これによる法的な効果がどこまであるのか、という問題はそれとして考えなければならない問題ですが、少なくともわが業界内の実務上の取り扱いにおける受け止め方としては、それをもって「筆界が確定した」ものとしての受け止めがなされている、と言えるのだと思います。

・・・そうだとすると、毎年、半分以上の土地の筆界は、調査士の関与しないところで「決まった」ものにされてしまっている、ということになります。これは、いろいろな意味で深刻な問題なのではないか、と思います。・・・今後、もう少し掘り下げて考えて行かなければならない、と思います。