大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

読んだ本―「商店街はなぜ滅びるのか―社会・政治・経済史から探る再生の道」(新雅志著:光文社新書)

2013-02-26 06:38:18 | 本と雑誌

「商店街」に関する話、・・・・って、私たち(土地家屋調査士)には関係ないなぁ、・・・・と思われた方が多いでしょうね。

でも、読んでみると意外に共通するところが多くて、非常に参考になりました。

「商店街」というものに、どんなイメージを持つのか、というのは、世代や育った地域によって、さまざまでしょう。同じ「商店街」に対して180°違うイメージがあるかもしれないので、まずそこを整理します。

まず、「商店街」というものは、通常言われているように古い歴史を持つもの(「平安時代以来のもの」という説もある、とのこと)ではなく、日本の近代化の過程で生み出された、比較的歴史の浅いものであることが明らかにされます。

「自営業層の安定によって都市の貧困化をとめ、それが安定した消費空間と地域社会の生成につながり、最終的には、社会経済上の平等化を実現する」

という社会政策として形成された、というわけです。

これは、戦後の高度成長の中でも、やや様相を変えながらも、「保護されるべき都市中間層」として存続・拡大していきます。そのようなものとして「商店街」は、ごく近年まで、社会的に有意義なものとしてあり、だからこそ存続してきたわけです。

しかし近年においては、「シャッター街」に示されるように衰亡への坂道を転がり落ちています。

その「理由」を著者は二つに収約しています。「一つは、商店街が恥知らずの圧力集団になったこと」、「二つ目の問題は専門性」、です。

一つめの「恥知らずの圧力集団」というのは、次のようなことです。戦前~戦後にかけて「商店街」が持った意義が、大規模スーパーが登場してくる中で、ある面では薄れて行ったことに対して「商店街」側がとった方策というのは、当初存在した社会的意義を新しい時代に見合ったものとして磨き上げていくことではなく、「大店法」等の「政治的規制」による「保護」の強化だった、ということです。このような方策は、一時的には奏功するとしても、中長期的には、自らの「正統性」を失わせ、全国民的な見方からすると「恥知らずの圧力集団」視されてしまう、ということになります。

もう一つの問題である「専門性」は、「商店街」が開かれた「専門性」を鍛え上げるものになっていなかった、ということです。これは、「規制」のありかたが地域的な限定性においてあったことから必要な専門性を伸ばしていく必要がなかった、ということと、「商店街」を構成する零細商店の経営形態が家族経営で権益が私物化されることによって世代間の継承がなされなくなってしまった、という点において指摘されています。

このような姿、というのは、私たちの将来を考えるうえで、実に参考になるような気がします。

しかし、本書における主張がそうであるように、「商店街」が持った社会的な意義は、本来的にはなくなっているわけではなく、正しく伸ばされるべきものなのだ、と私は思います。

この点について、村上春樹を引用しながら少し情緒的な言い方で言っている「抜け道」というのが、全体としての社会構成とその中における位置づけの問題として、私たちにも当てはまるのではないか、と思えます。「村上春樹の引用」は次のものです。

今、「金もないけど、就職もしたくない」という思いを抱いている若者たちはいったいどのような道を歩んでいるのだろうか?かつて僕もそんな一員だっただけに、現在の閉塞した社会状況はとても心配である。抜け道の数が多ければ多いほどその社会はよい社会だと僕は思っている。」

調査士に限らず多くの「資格業」は、「金もないけど就職したくない」若者や、すでに若者ではなくなった人々が歩いていける「抜け道」(バイパス)としての意義を持っている、と言えるのだと思います。その道を閉ざしてしまう、というのは、社会的に見て、決して得策ではない、とするべきでしょう。

もちろん、だからと言って、そのような「抜け道」の中にある非合理性がそのまま許される、ということではありません。それは、「商店街」と同じことです。全社会的に、長い目でみれば、「商店街」の自己変革が必要であったように、調査士をはじめとした資格者の世界にも自己変革が必要です。 社会の求める必要な自己変革を行いながら、大事な部分をを守って行く(そのための「まともな規制」の必要性はしっかりと主張して行く)という私たちも進んで行かなければならない道について、あらためて考えさせてもらえて非常に勉強になりました。

今週の予定ー常任理事会

2013-02-25 06:41:23 | 調査士会
2.27(水) 常任理事会。来年度の事業計画、予算についての詰めの協議を行います。

また、来年度の会の執行体制について、諸個人の役割分担をふくめて具体的に方向を決めて行きたい、と思っています。

会務ではありませんが、3.3(日)は、「岡の里竹田名水マラソン」です。今シーズン最後のマラソンなので、気持ちよく終わりたい、と思っています。そのための健全な一週間にしなければ!


日銀総裁に必要な資質

2013-02-22 18:24:00 | インポート

安部首相が「次期日銀総裁に必要な資質」について、次のように言っていたことを興味深く思いました。

「(日本の進めている金融政策への)批判に対し、理論でもって反論できる人物がふさわしいのではないかと思う」

この発言が、どのような意味合いで言われているのか、よくわかりません。純粋に言葉通りの意味なのか、人物がすでに具体的に想定されたうえで「日銀出身」「官僚出身」「学者出身」という区分を考えながら言われている「政治的」発言なのか、違う意味があるのか・・・、よくわからないのですが、とにかく言われていること自体は、とてもまっとうなことです。

「グローバル化」が進む中で、あらゆる場面で「競争性」が強調されます。企業間の競争はもちろん、地域間の競争ということも言われますし、資格者の領域でも「競争性」を抜きにして今後の展望を語ることはできません。

これらの事柄の原因の大きな部分を占めるのは、これまでの「国内」という限られた範囲での「競争」から、国境を越えての「競争」になることによって、これまで「競争」にはめられた枠が取り外された、ということがあるようです。これまでのルールが、意味を持たないものになり、新しいルールが登場しているわけです。

ここでは、旧来の「国家間競争」とは様相を異にしながら、直接には「国家間」として表れないものを含めて、全体としての競争を決定づけるせめぎあいが行われることになります。

そういう「競争」を行うにあたっては、これまで日本人が得意にしたような「根回し」「寝技」の持つ意味は限定的にならざるをえません。正面から対する必要があるのであり、批判に対して「理論でもって反論」ということが必要になるのです。

だから、新しい日銀総裁の資質として「批判に対し、理論でもって反論できる」ということをあげるのは、きわめてまっとうな考え方です。

もちろん、このことは「日銀総裁」だけに求められることではありません。発言している当の本人の「内閣総理大臣」という職にこそ、より大きく求められる資質でしょう。そして同様に、ありとあらゆる組織のトップに求められる資質だと考えるべきです。

「競争」が、あるいは「保護政策による無競争」が、狭い範囲の中だけの問題として完結しえていた時代においてトップに求められていた資質と、これからの時代に求められるトップの資質は、はっきりと違ってきているのです。

このことに気づかずに、旧来の手法を固守しようとしたり、「貧すれば鈍する」の言葉の通りにある程度進みかけた「革新」を放棄して古い手法に回帰してしまうような組織には、未来はない、と言うべきでしょう。

他人事ではなく、自分自身の問題として考えなければならないことです。


市議会議員選挙の選挙公報

2013-02-21 06:30:21 | インポート
大分市議会議員選挙の選挙公報が届きました。

市議会議員選挙で選挙公報が出されるのは、初めて(久しぶり?)、という報道を見たような気がするのですが、何はともあれ、候補者の「政見」が有権者に広く知らされる、というのはいいことです。

ところが、中身を見て、びっくりしました。やる気のない候補が多すぎます!

たしかに小さいスペースの中で「政見」を表現する、というのはむずかしいことでしょう(短い文章が苦手な私には、無理な気がします)。しかし、全有権者に届けられる手段というのは、この「選挙公報」だけなのですから、もう少しやる気を出してしかるべきでしょう。

「未来に夢を 地域に活力!!安心安全なまちづくり 若者が定着できるまちづくり にぎわいと豊かなまちづくり」

短歌じゃないんですから、この一行で終わってしまう「政見」で、どう判断しろ、と言うのでしょうか?

「皆様の代弁者として、皆様の奉仕者として、日々精進し、大分市と地域発展に取り組んでいます!」

というのも、ひどいですね。「内容がない」というのを、絵に描いたようなものです。

なぜこうなってしまうのでしょう?

全有権者を相手にしていないから、なのではないか、と思えます。大分市議会議員選挙では、44の議席を55人で争っているのですが、多分3000票くらいを取れば「当選確実」なのだと思います。

そうすると、強力な支持母体があって当選に必要な票数を持っている候補者は、それ以外の人を相手にする姿勢を最初から持たないようになってしまいます。支持母体だけを対象に考えていればいい、ということになるわけです。

その果てが、「やる気のない選挙公報」なのかな、と思います。いいんでしょうかね?「民主主義の基礎単位」の選挙は、これで?


AERA 2013.2.18号

2013-02-20 13:14:46 | インポート

雑誌「AERA」の 2013.2.18号(先週号)に、「今から取りたい稼げる資格38」という記事が出ていました。

4ページの記事本文の中には、「土地家屋調査士」は出てこないのですが、真ん中にある「食べて行ける資格ランキング」という表の中で、「財務・会計・金融系」「法務系」「不動産系」という三つにカテゴリーを分けられたうちの「不動産系」の「2位」として、「土地家屋調査士」がでています。

「評価」は「稼げる度」「希少価値」「ニーズ」の3項目で10点満点でなされていて、調査士は「7・8・8」の「23点」ということです。

ちなみに、「不動産系」の1位は、不動産鑑定士で「9・10・9」の「29点」。3位は宅地建物取引主任者の「6・6.9」、4位は公認不動産コンサルティングマスターの「7・6・7」、5位はマンション管理士の「6・7・7」です。

他のカテゴリーでは、、「財務・会計・金融系」では、「アクチュアリー」が「10・10・9」、税理士が「8・8・9」、公認会計士が「9・7・7」、US CPA(米国公認会計士)が「9・7・6」で、「法務系」では、弁理士が「9・9・9」、司法書士が「8・9・9」、社会保険労務士が「6・8・8」、行政書士が「6・6・7」となっています。

全体としてきっちろと練り上げられた記事ではありませんし、「ランキング」も「雰囲気」でつけられた、という程度のもののように思えます。「おかしいんじゃないの」と思う点も多々あろうかと思います。

でも、まぁ「世間の評価」というのは、そういうもんでしょう。「そういう見方をする人もあるんだな」と受け止めて、自分としての考えをまとめていくための、一つの資料にしておけばいいのでしょうね。

それにしても、「アクチュアリティ」なんて言葉、初めて聞いたし(記事の中で説明されてますが)、「ランキング」の中には全然知らないような資格もいくつかあります。こちら側から見てるとそんなもんだし、おそらく向うからは「土地家屋調査士なんて初めて知った」というようなものなんでしょう。資格の「知名度」というものについても考えさせられます。