大分の土地家屋調査士ブログ

「土地家屋調査士の業務と制度」を中心に、それに広い意味で関連する様々なことについて一人の人間として思うところを書きます。

岡の里竹田名水マラソンまで5日

2012-02-28 05:30:46 | インポート

昨日は、相談センターの相談受付開始でした。相談・ADRの設立の準備、その広報にあたられた方々の努力が実り、大変な反響で、特に午前中は電話が鳴りっぱなしの状態でした。30件ほどの相談への対応が必要となり、ある程度は予想し対応策を考えていたものの、とてもそれでは足りず、「総力」での対応でなんとか乗り切る形になりました。皆様のご協力に感謝いたします。

そんな時期に、今日もまたのん気な話題、で恐縮ですが、これはこれで切迫したことについて・・・・・、今度の日曜=3月4日(私の57歳の誕生日)には、「岡の里竹田名水マラソン」があります。

2回目のマラソンへ向けて準備・練習を重ねて、と思っていたのですが、このところ公私の用事が重なって、あまり走れていません。竹田のコースは、高低差250メートルのタフなコース、ということですので、今となっては目標を「文字通りの完走」から、前回同様の「歩いても完走」に下げなければならないかな、と思っているところです。

「マラソンを走る」と言うと、おそらくほとんどの人は、「なんと物好きな」と思うことでしょう。去年の今頃の私も、そう思っていました。何が嬉しくて、長い距離走って、ゼイゼイ苦しい思いをしなくちゃいけないの?と。・・・本当に、なぜ走るのでしょう?

答えの第1は、「とにかく気持がいい」ということです。こう言うと、たぶん、「なぜ気持がいいの?」と疑問に思われるかもしれません。・・・でも、「気持いい」のには、理由はないんですね。もちろん、医学的・生理学的に言えば、それなりの理由はあるんでしょうが、私がその「理由」を知っているわけではありません。でも、「気持いい」のです。それは、おそらくはほとんどの人が「気持ちいい」と感じるあの行為が、なぜ「気持いい」のか?というのと同じようなものでしょう。「気持いいから気持いい」のであって、それ以上のものではありません。走っていると、体の奥から「気持いいな」と思うのですよ(なんか、酔っ払いが繰り返し同じ話をしてるみたいだけど)。

だから、是非みんな走ればいい、と思います。「走る」のが嫌になるのは、走り始めると、ついつい速く走りたくなって、自分の力以上に走ってしまってゼイゼイ疲れてしまい、走ることが嫌になってしまう、ということなのではないか、という気がします。枯れた感じで、のんびりと「走る」のがいいです。「走る」と言うと、普通は「心肺機能」が問題にされますが、私のレベルだと、そこまでも行きません。足腰がきつくなることはあっても、「心肺」にはたいした負担がかからないくらいで「走」っています(「心肺無用」)。そうすると、本当に「気持いい」が体の奥から湧き上ってきます。是非、だまされたと思ってやってみてください。もしもダメでも、その分運動になるので損するわけではありませんから。

しかし実は、この答えは十分なものではありません。現段階の私の場合、このように「気持いい」のは、実は10㎞くらいまでのことでしかありません。それを過ぎると、あちこち痛くなってきますし、20㎞を過ぎると「もうダメだ」という気分になります。だから、その前でやめていれば「気持いい」だけで済むわけなのですが、もう少しやりたくなってしまいます。ここが多分、「人間」特有のものなのでしょう。

そういうものとして「答えの第2」は、「もう一段上の気持ちよさを求める欲求」というようなことになるのでしょうか。・・・こう言うと、なんか結局「快楽」だけを求めているみたいで、「理性」を感じられないかもしれませんが、しかたありません。だって、「走る」のは、完全に「好き」でやっていることなのであって、それ以上の意味があるわけではないからです。でも、その「より大きな快楽を求める」という想像力があるからこそ、少々辛くなってもそれを乗り越えようとするわけで、これもまた「成長」「発展」の原動力と言うべきなのでしょう(年齢的に、もう無理なところに来ていますが・・・)。

・・・と、こんな風に、どーでもいいようなことを走りながら考える、というのが「走る」ことの最大の楽しみなのかもしれません。「人間は考える脚である」とはよく言ったもので(えっ?字が違う?)、ただボーっと何を考えているのかわからないようなことを考えながら走ることに、体と頭の両方での気持ち良さがあります。1時間も2時間もそんな状態でいる、というのは、他のことでは、なかなかできることではありません。走っているからこそできることで、そういう状態をも含めて「気持いい」ということがあるように思えます。

・・・というわけで、5日後の「岡の里竹田名水マラソン」を楽しく走りたいと思っています。

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相談センター受付開始

2012-02-27 05:43:07 | インポート

25日の全体研修会、お疲れ様でした。センター開設記念として、田中弁護士からの講演を受けました。異なる立場からの非常に興味深いお話だったと思います。「境界問題」「境界紛争」を見る視点をより豊かなものにしていかなければならない、と思わされました。

午後の講座には、一般市民の方も参加していただき、終了後には相談会を行いました。「相談」のニーズが少なからずあることを、あらためて感じさせられます。

相談センターの相談受付開始は今日27日からですが、すでに数件の事前の申し込みが入っています。

初めのうちは、バタバタとしてしまうことも予想されますが、経験を重ね、また様々な事例についての研究を行う中で、依頼者に対する的確で迅速な対応ができるようにしていきたいと思います。

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アンパンマン

2012-02-25 08:32:16 | インポート

今日は、全体研修会、しかも「境界問題相談センター」「境界ADR」設立に伴う公開講座、という日に、呑気な話題ですみませんが、実は今週、孫がきていました。

2歳8ヶ月のお兄ちゃんと8ヶ月の妹です。

これが、とにかく、「カワイイ!」のですね。その可愛さを書こうと思うと、それだけで終わってしまうので、とりあえず省略して、ひとつだけ。

子供というのは、何故あんなに「アンパンマン」が好きなんでしょう?「子供というのはアンパンマンが好きなものである」という定義ができるのではないか、と思えます。・・・が、まぁ、それはともかく、うちの孫も アンパンマンが大好きです。

大好きなアンパンマンの歌を一生懸命うたいます。

?なんのために生まれて、何をして喜ぶ?わからないまま終わる、そんなのは嫌だ!?

・・・・・いい歌詞だなぁ!純粋な子供と、まだ純粋さを残している若い親たちが、こういう気持を忘れずにずーっと生きていける社会であれば、どんなにいいだろう、と思います。

もしかしたら、「若手調査士」と言われる人々も、世間的には立派な「大人」になっていて、十分に俗世のチリにまみれているのかもしれませんが、是非、この「アンパンマン」の世界から、もう一度見ていければ、と思います。

私のようなおじいちゃんたちも、これからでも、やっぱり頑張らなくっちゃな!と、心を洗われたような感じで思わされています。

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日調連会報「土地家屋調査士」2012.2月号―山野目先生論文

2012-02-24 08:18:26 | 調査士会

日調連の会報「土地家屋調査士」の2月号が届きました。

前号に引き続き、山野目先生の「土地境界概念における対物性と観念性の相克」の「下」が掲載されています。

論文自体については、是非ご自分で読んでみてください。あたりまえみたいに考えていることが学問的にはこう整理されるのか、という「発見」があるでしょうし、今回で言えば、あまりなじみにない「境界損壊罪」についての要領のいい解説があり、勉強になることと思います。

この論文は、冒頭に編集部がことわっているように「月刊登記情報」の2011.1月号の転載です。私も、初出時にザーッと目を通したのですが、そのときにはあまり気に留めなかった最後の「観念性/図面情報における座標値」について、3.11大震災後の土地家屋調査士として、もう一度考えなければならないことだと思わされましたので、その点について、思ったことを少し書きます。

まずは、ごくごく一般的なこととして共感できる部分。

「境界は、現地に存在するものであるか、それとも座標値により復元されるものが境界であるか、簡単に言うならば、現地か座標値か」ということに関する論議については、「そもそも、現地と座標値に等価対等の位置を与えて、あれかこれか、を問う態度そのものに問題がある」のであり、「座標値という抽象概念で構成される観念空間に境界が存在する、と考えることは、おそろしく良識に欠ける意見である」という点です。

なるほど、これは「良識」をめぐる問題だ、と納得、です。

次に、「地殻変動」をめぐる問題について、です。

阪神大震災後の「地震による地殻の変動に伴い広範囲にわたって地表面が水平移動した場合には、土地の筆界も相対的に移動したものとして取り扱う」という民事局長通達について、山野目先生は、「所見の際、やや読みにくかった」と言われています。もっとも、「得心するまでに一瞬を要した」ということなので、すぐに「得心」されたのでしょうが、いまだに、読みにくく、得心できないでいる私としては、山野目先生でもそうだったのか、というのは心強いところです。

問題は、「発出された通達には、「動かない」という文章は登場せず、むしろ「移動した」という言葉が出てくる」というところにあります。

これによる実務的な帰結としては(さしあたりは)同じなのですが、物事をどちらの方向から見るのか、という点における違いがあるように思えます。その意味で、上記民事局長通達の射程が「先例としての価値を有している」のかどうか、という判断に違いが出てくるようにも思えます。

私としては、「筆界は、・・・相隣接する土地と土地との境界を相対的に画するものであって、絶対的な地球上の不動の位置を示すものではな」い(松尾武「地殻変動と土地の筆界」「登記研究」h10.2)ということからすれば、やはり「筆界は動かない」と言うべきであって、それを示す数値が変わる、ということをもって「相対的に移動したもの」というように表現する表現方法は、「良識に欠ける意見」の側の表現方法であるように思えてなりません。(もっとも、山野目先生が司会をされた被災3県の調査士会長による座談会(「登記情報」2012.2)で紹介されている、断層上のねじれにより、一筆の土地の四辺の筆界の移動量・方向が異なるケースなどは、「筆界の移動」ということを考えないといけないように思えますが、それはまた「別の問題」と言うべきでしょう。)

今、「筆界」について述べる際に、「登記研究」h10.2 という古いものを持ち出したのは、阪神大震災後に、当時の横浜地方法務局長であった松尾武氏が、阪神大震災における地殻変動という現実を受けて、「こうした地球現象を前提にすると、土地の筆界を地球上不動の点とし、地球座標値で表し、またこの数値を用いて地図を作製することは大いに問題があると言わざるをえない。」とまで踏み込んだ見解を示していたことを、今、もう一度思い起こす必要があるのではないか、と思えるからです。

これらの問題は、「筆界」についてどのように考えるのか、さらに「筆界」を表示し管理していくときに、マクロ的に考えるのとミクロ的に考えるののとでは位相の違いがあるのではないか、という問題を私たちに突き付けているのだと思います。

大分会における来年度の事業の中では、このような問題についても取り組んでいきたい、という話を一昨日の常任理事会で話しました。成果を上げていきたいと思っています。

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広報―相談センター・ADR開設に伴う県民への周知のために

2012-02-23 11:09:06 | 調査士会

昨日、相談センター・ADR開設に伴う県民への周知のための活動として、大分県庁:広瀬知事、大分市釘宮市長を訪問しました。

特に、県知事訪問の際には、NHK、TOSの取材も入り、昨日のテレビ、ラジオのニュースで流していただきました。テレビに映る自分の姿を見るのは筑波のガマガエルのようにあぶら汗の出る苦行なのですが(特に、座っている人間を「上からカメラ線」でとらえると、あられもない姿がさらけだされて、大いに不満)、広報のためにはしかたない、というか、ありがたいことです。

テレビニュースの影響力は大きなもので、放映直後から問い合わせの電話が事務局に入ったり、私の事務所に直接電話がかかってきたりしています。センターに関する、手続きの進行に合わせて、今後適切に「相談員」の方々に対応して行っていただきたいと思います。また、いくつかの事例が蓄積されていく中で、当初考えていたこととは違うような展開があるかもしれませんので、それに柔軟に対応しながら、よりよい「相談」―「解決」の姿を作り上げていきたいと思います。

報道については、今日(2.23)の大分合同新聞の夕刊にも記事が掲載される、とのことです。

これらを活用しつつ、ポスター・リーフレット等の広報グッズを、会員の皆様には配布するようにしますので、是非、「よりよい境界問題の解決」を土地家屋調査士が担い、つくりあげていくよう、ご協力をお願いいたします。

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