大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

読んだ本―「イスラーム国の衝撃」(池内恵著:文春新書)

2015-02-27 13:05:45 | 日記
まさに「イスラム国」は「衝撃」を与えています。多くの日本人にとってその「衝撃」は、1月20日の後藤健二さん・湯川遥菜さんの拘束~殺害によってもたらされたものですが、本書は受けるべき「衝撃」はそれだけにとどまらないことを教えてくれるものです。

奇しくも本書の発行は「2015年1月20日」です。私の読んだ本は「1月30日第3刷」とありますので、後藤さん・湯川さん拘束によって「衝撃」を受けた多くの人たちが、急いで増刷をしなければならないほど本書を読んだのでしょう。「1月20日」発行なので当然それよりも前に書かれたものである本書では
「欧米の問題と片づけることもできない。中東やイスラーム世界に深く内在する原因がある一方で、地理的にも理念や歴史的にも遠いところにいる日本でさえも、意図せずして『加害者』の側に立つことがあり得る、と認識しておく必要がある。」
という「予言」めいた分析をしています。

それは、そのようなことにならざるをえない構造的なものに基礎を置くものだと言えるでしょう。本書を読むと、「イスラム国」というものが出現してきたのには、さまざまな偶然的な要素も絡んでいるとは言え、「必然」の要素もあることがわかります。経緯を説明している部分の見出しをつなげると―「アラブの春」の帰結・中央政府の揺らぎ・「統治されない空間」の出現・隣接地域への紛争拡大・イラク戦争という「先駆的実験」・イスラーム主義穏健派の台頭と失墜・「制度内改革派」と「制度外武闘派」・紛争の宗派主義化・・・・・となり、中東に内在する要因が、世界的な情勢変化の中で爆発的に展開してきた様相を理解することができます。

著者は、「ここで重要なのは、実態としては、考えの浅い粗暴な人間が多く集まっているだけだとしても、その集団と行為を正統とみなすジハードの理念が、共同主観として存在し、広く信じられていることだ。・・・価値観の内側と外側で、同じ現象が異なって見えてくる、ということに留意が必要なのである。」とも言っています。

私は本書ではじめて「ジハード」論というものについて、ほんのちょっと知ったわけで、それは私には、どうしても「正しい」と考えることはできないものですが、「正しいと考えている人がいる」ということを考えなくてはいけない、ということを思わされはしました。「人質殺害」の映像などを見ると、私たちとしてはどうしようもなく極悪非道なことに思えるのですが、ただそれだけで「人間のやることじゃない」「人間じゃない」というように「理解不能」だとにしてしまえば(日本のかなり責任ある立場にある政治家がこのように言っていました)、その上での「方針」はせいぜい「総攻撃して絶滅させるしかない」というようなことになるわけで、イラク戦争以来の歴史をもう一度繰り返すことにしかならないでしょう。

著者が言うように
「米国は、空爆や現地同盟勢力の支援によって、『イスラーム国』の拡大速度を鈍化させ、支援領域を縮小させることはできるだろう。しかし、政権による過酷な弾圧や、国民社会の深い亀裂、入り乱れた内戦の惨禍が持続する限り、根本的な問題解決は見込めない。・・・・『イスラーム国』そのものを崩壊させることはできても、その後に無秩序・混沌状態が続けば、同様の性質を帯びた勢力が、名称や形を変えて出現してくる可能性は否定できない。」
ということなのだと思います。本当の意味で、「イスラム国」に対して勝ち、物理的な意味ではなく「絶滅」させるために「理解」し、それを越えていくことが必要である、との思いを強くしました。


「教員採用取り消し」違法判決

2015-02-24 18:11:07 | 日記
昨日、大分地裁で大分県が行った「教員採用取り消し」を「違法」とする判決がありました。

全国ニュースになっているものなのかどうかわからないので、ざっと内容を説明します。

8年ほど前、大分で教員採用や校長・共闘への昇任をめぐって現金授受などの汚職・不正事件があった、ということは、記憶している方も多いかと思います。この「不正事件」に対応する中で、2008年度の教員採用試験についても検証がなされて、08年度試験で合格した人のうち21人について得点が不正に加点されていた、として「採用取り消し」の処分が行われました(もっとも、15人は自主退職したので採用取り消しは6人)。このうちの2人が、処分撤回を求めて提訴して、その一人についての判決が出た、というものです。

この判決は、きわめて妥当なものだと思います。県教委が勝手に不正操作をしたとばっちりを受けて「合格」だ、「取り消し」だ、と振り回されてしまうのは、とんでもないことです。しかも、県教委が、十分な内部調査を尽くしたとは思えない状態で無理やり幕引きをして、犠牲を「08年度合格者」だけにかぶせてしまう、というのは、とんでもないことだと思います。

驚いたのはこの判決を受けての「大分県教育長」の反応です。新聞に報じられているところによると、野中信孝という教育長は、判決を受けて「あぜんとした。納得できない」と言ったそうです。国や地方自治体などが敗訴した場合のコメントというのは、普通「検討の上適正に対処したい」とかの何を言っているのかわからないものが多くてつまらないのですが、なかなかエキサイティングな反応で、その意味での面白味はありますね。

判決が「不正な加点は県教委内部で行われ、その非は県教委側にある」として、どのように不正な加点がなされたのかの究明を行っていないことを指摘して、「取り消し処分を行おうとする行政庁は、事実関係を慎重に調査・検討すべき義務がある」としていることに対しても、「その問題(県教委の不正)とこの問題(採用取り消し)は違う。教壇に立つには能力が足りないとできません、と判断した」と言っているそうです。「その問題」があったから「この問題」が出てきているのであって、「違う」ということこそが問題ですし、適正な教育行政をやっていく「能力が足りない」と思えるような言い分です。不正加点の経緯を明らかにできてないのに「やれることはやった」と居直ってもいるそうで、「やれること」が少なすぎて、他人にエラそうなことをできる立場ではない、ということを全くわかってないようです。

大分県をすっかり全国的に有名にしてしまった「県教委不正事件」ですが、それだけ痛い目にあっても自らを反省することをしない人がいて、そういう人が「教育長」という枢要な立場にいる、というのが、大分県の現状なのだ、ということがわかりました。せめて、こういうことではいけない、ということを教訓にしたいと思います。

今週の予定

2015-02-23 08:34:47 | 日記
2.25(水)大分会常任理事会
今週は、日調連の会議等の会務予定のない週です。大分会の常任理事会では、来年度の事業計画・予算についてが主な課題となりますが、その他にも対応するべき重要な問題がいくつかあります。今週は、こちらに力を注がなければ、と思っています。

昨日、東京マラソンがありました。今年は抽選で落ちたので、テレビで昨年走ったことを思い出しながら観戦しました。日調連関係の出走者のタイムをネットで確認したところ、2人が昨年より1時間近く速いタイムで走っていました。最近の私は、確実に去年よりも遅くなっていて、衰えを感じているのに、若いということはいいな、とあらためて愚痴めいた感想です。それでも、年なりに走っていくためのモチベーションになりました。

読んだ本ー「復興〈災害〉ー阪神大震災と東日本大震災」(塩崎賢明著:岩波新書)

2015-02-20 16:09:30 | 日記
帯に「復興という名の災害が被災者を追い詰める」、とあります。ちょっと言い過ぎなんじゃないのかな?という思いも持ちながら読みはじめました。

「筆者が『復興災害』という言葉を初めて使ったのは、阪神・淡路大震災から10年が過ぎた2006年のことである。大震災の被災状況調査や避難所、仮設住宅、復興公営住宅、区画整理や再開発といった復興まちづくりに関わる中で、いつまでも孤独死がなくならず、まちづくりで苦闘する人たちを見て、これは災害の後の復興政策や事業が間違っているからではないか、と思うようになった。震災で一命をとりとめたにもかかわらず、復興途上で亡くなったり、健康を害して苦しんだりする人々が大勢いる。・・この復興による災厄は『復興災害』と呼ぶ以外にあるまい。これは自然の猛威でなく、社会の仕組みによってひきおこされる人災であり、本来防ぐことが可能な災害である。」

というのが、著者の主張です。なるほど、「言い過ぎ」ではないのですね。

本書を読んで、いろいろと教えられたことがあるのですが、その中の一つとして「理念の重要性」と「理念の現実化のむずかしさ」ということがあります。そのことについて書きます。

「復興事業が被災者の役に立たない」、という問題では、「流用問題」がまず問題になります。「森林整備加速化・林業再生基金」の1400億円、「新卒者就職実現プロジェクト」への235億円、「重点分野雇用創造事業」の2007億円等々、被災地の復興に直接関係のない事業に「復興予算」の多くが使われている、と言われています。

このことは、個別的・具体的に見てみるとそれぞれに多くの根深い問題があるのだと思います。その検証は、それぞれの分野でしっかりとなされなければならないでしょう。その上で、問題になることとして「基本理念」の問題があります。

復興基本法では、その目的を「東日本大震災からの復興の円滑かつ迅速な推進と活力ある日本の再生を図ることを目的とする」と謳われています。この「目的」は、ごく当たり前のことのように思えもします。しかし、この「基本理念」にもとづいて、あらゆる「活力ある日本の再生」を目指す事業について「復興事業」なのだ、と理由づけられる、ということが起きてしまう、ということがあるわけなのですね。

本書では、「被災者の生活再建と住宅復興・街づくりの間のギャップ」ということが強調されています。2013年度中に確保された予算7兆5089億円のうち、「町の復旧・復興」に42.6%(3兆2000億円)が投じられながら、「被災者支援」には3%(2328億円)しか向けられていない、という現実がその姿を端的にしめしているようです。(その他は「原子力災害からの復興・再生」に16.5%、「産業振興・雇用確保」に8.3%などだそうです。)

大災害により、インフラが根底的に破壊されてしまったわけですから、その「復旧」に巨額の費用が掛かり、さらに災害前より安全なまちを作ろうと思えばさらに巨額になる、というのは、当然のことで避けられないことなのかもしれません。しかし、それらはあくまでも被災した人々が生活を再建し、普通の暮らしをして行けるようにすることの基礎になるべきことであるはずです。最初の目的がどんどん忘れられていってしまう、ということがここでも起きてしまっているのか、と思わされます。大きな事業を行っていく際の「理念」の大事さ、ということを考えさせられます。

また、大震災後の混乱状態において、事前に考えていたことを実行していくことの難しさ、ということについても教えられました。さまざまな教訓や反省点を得て真剣な検討がなされながら、その経験が実際に有効に機能しない、という問題です。

たとえば、東日本大震災の前年2010年5月の厚生労働省が全国の災害救助実務担当者を集め手行う会議で配布された「災害救助事務取扱要領」では、仮設住宅について、次のように言われていたそうですが、その1年後の東日本大震災に活かされない事例が多くあった、ということです。

「個々の応急仮設住宅の建設にあたっては、一戸建てまたは共同住宅形式のもの、共同生活の可能なものなど、多様なタイプのものを供与して差し支えない」「被災者の家族構成、心身の状況、立地条件等を勘案し、広さ、間取り及び仕様の異なるものを設置することも差し支えない」「画一的なものの整備に陥りやすいが、・・・」「同一規格のものを機械的に設置しがちであるが、長期化も想定されるので、できる限り設置後の街並みや地域社会づくりにも配慮し・・・」

これは、阪神大震災におけるその後の「孤独死」に最も鋭く表れる仮設住宅の問題点、その教訓を踏まえて言われていたことです。その意味では十分にわかっていたわけです。でも、東日本大震災後の仮設住宅には、ごく一部の例外を除いて活かされなかったそうです。たしかに、大きな災害の後、というのは仮設住宅を作る側も被災していて大変なわけですが、だからこそ、あらかじめ備えておくことの重要性が大きい、ということを肝に銘じなければならない、ということなのでしょう。「理念の現実化」の難しさの一つの現れであるように思えました。




今週の予定 と 読んだ本―「賢者の戦略―生き残るためのインテリジェンス」(手嶋龍一・佐藤優。新潮新書)

2015-02-16 08:27:49 | 本と雑誌
今週の予定
2.17-18 日調連の今年度最後の理事会です。

次に、「読んだ本」
手嶋龍一と佐藤優の「インテリジェンス対論3部作」の3冊目です。
タイトルがどこまで内容に合っているのかは、よくわからないところですが、「ウクライナ」「イスラム国」という、今の世界における大問題についての基礎的な知識を与えてくれるところが、まずは役に立ち、ありがたいところです。

「インテリジェンス」ということについては3冊目になるので、1冊目・2冊目と違う目新しいものがそう示されるわけではありませんが、たとえば「ウクライナ問題」をとらえるときに、ここ数年の動きだけを見ていたのではけっしてわからず、少なくともヨーロッパの近現代史におけるウクライナの位置などの知識の上で今の問題を見るのでなければ皮相な分析に終わってしまう、ということをあらためて思わされました。

そういう中で、たいしたことではないのですが、私が面白いと思ったエピソード。

(佐藤)「僕がイスラエルで案内されたのが、テルアビブ郊外のヘルツェリアにある「カウンターテロリズム・センター」でした。ここは大学院レベルの規模の研究機関なのですが、なんとたった一人の中年男性が運営しているのです。」「で、彼がひとりでどうやって肝心の情報を入手しているのか。驚いたことに、情報源は「インターネット」。あとは、「自然に教えてくれる人が出てくる」のだそうです。」


というものです。「現下の国際情勢を読むには、諜報活動によって得られる秘密情報と、社会に散らばっているオープンソースの情報双方を総合的に分析しないといけない」とも言われていますが、先のエピソードからすると、前者よりも後者の比重の方が重い、ということであるように思えます。

逆に言うと、「諜報活動によって得られる秘密情報」というのは、あくまでもオープンソースの情報・知識の層の厚い蓄積の上ではじめて役に立つものであり、それなしに「秘密情報」だけを追い求めることによってわかること、というのはほとんどなく、逆に正しい分析を阻害することにさえなってしまう、ということが言えるのでしょう。

そのためには「基礎学力」です。いきなりインターネット上にある砂漠の砂のように膨大な情報を手当たり次第に仕入れても有用な情報が得られる、というわけではなく、公開されている情報の中から、それらを結び付けて「宝石」を手に入れるためには、背景にある情勢、その歴史的経緯等に関する「基礎学力」と、それ相応の「インテリジェンスの文法」が必要になる、ということなのだと思います。

素人の「情勢分析」には、どこから仕入れたのかよくわからない「極秘情報」を根拠としているだけ、というものがよくあります。素人が株を買うのにあたって偽の「インサイダー情報」に騙されて損する、みたいなことです。オープンソース情報によってある程度の分析ができるようになっていないと「秘密情報」に頼ることになってしまう、ということでしょうし、真贋を見極めることができないと「秘密情報」「内部情報」と称するものに踊らされ騙されてしまうことになるわけです。
デマにコロッと騙されないように、とにかくまずは「基礎学力」! 肝に銘じておかなければならないことです。