大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

観た映画―「古山子(コサンジャ)-王朝に背いた男」

2019-06-19 19:41:13 | 日記

新潟・山形で大きな地震がありました。報道でも言っていましたが、「日本にいる限り地震の被害から完全に免れられるところはない」ということなのでしょう。被害を受けられた方々にお見舞い申し上げます。

話は変わって、日調連の総会が終わり、「政権交代」があった、とのことです。
「政権交代」という言葉に明るい未来を感じさせられた時代は終わったのだな、という思いをあらためさせられています。
折しも、アメリカではトランプが再選出馬表明をした、ということですが、「***ファースト」という自己利害の極大化路線には未来はない、ということを(日調連総会での結末を含めて)あらためて考えるべきなのだと思います。

・・・という話はともかくとして、、それとは何の関係もない話です。

観た映画―韓国映画「古山子(コサンジャ)-王朝に背いた男」(2016)について書きます。
私事ではありますが、この1年半ほど、大分での「単身赴任生活」をしています。
「単身生活」では、酒の飲みすぎに注意をして週の半分は「休肝日」にして、本を読むことと映画を観ることに力を注ぐべし、としています。
週に3冊、2本くらい読んで観られれば、と思っているのですが、現実としてはなかなか「3冊」には至らないものの、「2本」以上のペースで映画を観る、というのは実現できている、というところです。特に映画については、今は「1本=80円」で借りることができるので、実に助かっています。
毎週、邦画を1本、洋画を1本、観ようと思っていたのですが、近くのレンタルビデオ店の洋画の品揃えがイマイチの感があり、観たいと思うような洋画が底をついてきたので、最近は「洋画枠」の1本を韓国映画に当てたりしています。
その中で観た映画です。

朝鮮全土の地図の作成に心血を注いだ民間人で、「韓国の伊能忠敬」とも言われるキム・ジョンホ(金正浩)をモデルにした映画です。
映画自体については、いろいろな角度から論じるべきこともあるのですが(地図を作るためには、伊能忠敬が測量隊を組織していったのに対して、一人で歩き回れば地図ができる、みたいに描かれているリアリティのなさ、が特に気になりましたが)、それはともかくとして、民間人であるキム・ジョンホの作成した地図(その木版)を取り上げようとする「国家(王朝)」側の次のような「思想」を興味深いものと感じました。
地図を求める政府高官に対してキム・ジョンホが
「わざわざお買いになる必要はございません。・・・大量に刷って町で配るつもりです。木版も誰もが利用できるようにします。」

と言うのに対して、その高官は
「なんと無知な男だ。地図は国のもの。朝鮮を狙う外敵や反乱を図る者にとって地図は必要不可欠だ。」
「国の情報が記された地図は国が管理すべきだ。」
と答えます。
国家の機密情報としての地図情報(地理情報)という考え方です。これを国家が独占することによって、「民」に不便が生じたとしてもそれは仕方のないことだ、とも考えます。
この考え方は、およそ「国家」に一般的なもので、特に戦前の日本において、地図を管理統括していたのが「陸軍参謀部陸地測量部」であったことに、そのような考え方がよく表れています。
この「陸軍陸地測量部」が、戦後になって今日の「国土地理院」に引き継がれているわけで、「国家」が「地図」を死活的に重要な情報だととらえていることがわかります。

しかし、このようなことにも、今の日本においては綻びが現れてきているようです。
「イージス・アショア」の配備計画の策定にあたって、地図情報の誤った利用が行われていた、と防衛省は言っています。しかもそれは、「グーグル・アース」を使って間違ってしまった、ということとして言われています。
そんなことってあるの!?と思います。
おそらく私は、「既定方針ありきの「選定過程」をごまかすための虚偽説明」なのではないかと思います(「あー、グーグル・アースを使って間違っちゃったんだね」とネットユーザーに「理解」してもらうための嘘ではないか、と)が、もしもそうでないのだとすると、「陸軍陸地測量部」の伝統が継承されていない、ということで、大変なこと、深刻なこと、ということになるのでしょう。
映画「古山子」の中で、地図の誤りによって厳冬の山中に迷い死んだ人々を前にして
「こんな地図は無用の長物だ。この人たちは地図に殺されたようなもんだ。」
というセリフがありましたが、まさにそのようなものとして「イージス・アショア」の選定がなされようとしているのだとすると、実に恐るべきことだと思います。

このことを含めて、「政治の劣化」と「官僚の劣化」が相乗的に起こっているのではないか、ということが「金融庁2000万円問題」を含めて、実に心配されるところです。
そんな中での、「日調連政権交代」なのかな、とも思いつつ・・・・。

日調連役員選挙

2019-06-12 20:27:56 | 日記
前回に引き続き、「大分県土地家屋調査士会の総会」の「感想」・・・前回「予告」したように「政治連盟」について書こうと思ったのですが、以下の事情によりやめました。別のことについて。

日調連の役員改選がある、ということで、「選挙公報」が日調連雄ホームページ(会員専用)に載っています。正直言って面白いものではありませんが、その面白くなさを含めて「これが調査士界の現状だ」ということですのでみておくべきものだと思います。是非御一見ください。

載っているのは、「会長」「副会長」に立候補した人の「所信」です。
「会長」には3人の人が立候補しています。これは、かつてない「乱立」で、それ自身としてはとてもよろしいことだと思います。
これに対して「副会長」については、「定数4」のところ「4人」の立候補しかない、ということです。もっとも、「会長指名副会長」という制度が前回からでき、今回も3人の立候補者のうち2人は「副会長指名」をしている、ということですので、この2人が当選した場合には1人が落選する、ということになるので、完全な「無投票当選」ということではないようです。
このような選挙状況であり、それはそれで興味深いと言えば言えなくもないのですが、正直言って「胸躍る感」のない、内容的にはきわめてつまらないものだと言わなければなりません。
何故つまらないか?・・・それは、「選挙公報」を見ていただければ、よくわかるのではないか、と思います。
まず「副会長候補」の「所信」について言うと、量的にも少ないですし、内容的にはさらに見るべきものがありません。・・・ということで、これについては、まぁいいや。
「会長候補」についてこそ、その内容が問われると思うのですが、積極的に「進むべき方向性」や具体的に「やるべきこと」が打ち出されているものはなく、きわめて物足りないものになっています。特徴的なところを挙げると以下のとおりです。
まずは、現職の岡田さん。当然のことではあるのですが、「現職」としての「実績」を並べて総花的になってしまっています。これははたして会長候補の所信表明なのか?日調連の事業報告なのか?・・・と思うようなものです。その「実績」について、様々な点で「物足りなかった」という意見のある中、「そんなことはなく、よくやったんだ」ということを強調しています。これはまぁ、そんなものでしょうね。
それに対して、菅原さんは、現職の副会長でありながら会長に立候補したことについて、「情報系統の曖昧さ」「会長、副会長、理事との連携を悪くしていた」ことを改善することが必要だと考え、敢えて立候補した、ということを言われています。岡田さんが強調される“赫々たる成果”があるわけではなく、むしろ危機的な状況のあることが示されてしまっているわけです。
こうしていると、もう一人の候補者である國吉さんに期待が高まります。前回、前々回と苦杯をなめた國吉さんですが、異例ともいえる3回目の挑戦をするのは、このような現執行部における「混乱」がある、ということにもよるのでしょう。しかし、少なくとも「選挙公報」に見る限りにおいては、これもまたあまり期待できるものではありません。“地積測量図の作成者を土地家屋調査士と不登法に明記するように”といった「素人」が思いついて言うような主張を前面に立てていて、一体前2回の敗戦の教訓をどうとらえているのか?そもそも、今後もしも会長になったときにどのようなことを行っていくつもりなのか?ということの見えないことしか言っていません。
土地家屋調査士法の改正がなされて「使命」規定が新設された直後の会長選挙だというのに、土地家屋調査士という業務独占資格者の「公的使命」を担っていこうという積極性はどの候補にも見受けられず、唯一現職の岡田さんが「法務省に付き随ってきたこれまでと同様に行きます」ということを示しているだけで、いかにも淋しい状況だと言わなければなりません。もっとも、「調査士法改正」自体が、司法書士による「我利」追求にくっついて行ったに過ぎないと言えるようなものですので、必然的な成り行きと言うべきものなのかもしれません。
このような3人の立候補者による選挙、という事態は「枯れ木も山の賑わい」と言え、それはそれで全面的に悲しむべきことでもないのですが、より直接的な淋しさは、「副会長候補」により如実に表れてます。今期の常任理事には優秀な人が多くいるので、それらの人々が「副会長」とかになって今後の組織運営を担っていくようになっていけばいいと思っていたのですが、ほとんどの人が今期で「卒業」ということになってしまい「定数と同じ立候補者」になってしまっていて、淋しく感じるところです。

・・・ということで、「前置き」を終わって本題に入ろうと思ったのですが、このような日調連の現状を前にして「政治連盟」について語るというのも間の抜けた話のように思えてきてしまったので、これはまたいつか、ということにします。