新潟・山形で大きな地震がありました。報道でも言っていましたが、「日本にいる限り地震の被害から完全に免れられるところはない」ということなのでしょう。被害を受けられた方々にお見舞い申し上げます。
話は変わって、日調連の総会が終わり、「政権交代」があった、とのことです。
「政権交代」という言葉に明るい未来を感じさせられた時代は終わったのだな、という思いをあらためさせられています。
折しも、アメリカではトランプが再選出馬表明をした、ということですが、「***ファースト」という自己利害の極大化路線には未来はない、ということを(日調連総会での結末を含めて)あらためて考えるべきなのだと思います。
・・・という話はともかくとして、、それとは何の関係もない話です。
観た映画―韓国映画「古山子(コサンジャ)-王朝に背いた男」(2016)について書きます。
私事ではありますが、この1年半ほど、大分での「単身赴任生活」をしています。
「単身生活」では、酒の飲みすぎに注意をして週の半分は「休肝日」にして、本を読むことと映画を観ることに力を注ぐべし、としています。
週に3冊、2本くらい読んで観られれば、と思っているのですが、現実としてはなかなか「3冊」には至らないものの、「2本」以上のペースで映画を観る、というのは実現できている、というところです。特に映画については、今は「1本=80円」で借りることができるので、実に助かっています。
毎週、邦画を1本、洋画を1本、観ようと思っていたのですが、近くのレンタルビデオ店の洋画の品揃えがイマイチの感があり、観たいと思うような洋画が底をついてきたので、最近は「洋画枠」の1本を韓国映画に当てたりしています。
その中で観た映画です。
朝鮮全土の地図の作成に心血を注いだ民間人で、「韓国の伊能忠敬」とも言われるキム・ジョンホ(金正浩)をモデルにした映画です。
映画自体については、いろいろな角度から論じるべきこともあるのですが(地図を作るためには、伊能忠敬が測量隊を組織していったのに対して、一人で歩き回れば地図ができる、みたいに描かれているリアリティのなさ、が特に気になりましたが)、それはともかくとして、民間人であるキム・ジョンホの作成した地図(その木版)を取り上げようとする「国家(王朝)」側の次のような「思想」を興味深いものと感じました。
地図を求める政府高官に対してキム・ジョンホが
「わざわざお買いになる必要はございません。・・・大量に刷って町で配るつもりです。木版も誰もが利用できるようにします。」
と言うのに対して、その高官は
「なんと無知な男だ。地図は国のもの。朝鮮を狙う外敵や反乱を図る者にとって地図は必要不可欠だ。」
「国の情報が記された地図は国が管理すべきだ。」
と答えます。「国の情報が記された地図は国が管理すべきだ。」
国家の機密情報としての地図情報(地理情報)という考え方です。これを国家が独占することによって、「民」に不便が生じたとしてもそれは仕方のないことだ、とも考えます。
この考え方は、およそ「国家」に一般的なもので、特に戦前の日本において、地図を管理統括していたのが「陸軍参謀部陸地測量部」であったことに、そのような考え方がよく表れています。
この「陸軍陸地測量部」が、戦後になって今日の「国土地理院」に引き継がれているわけで、「国家」が「地図」を死活的に重要な情報だととらえていることがわかります。
しかし、このようなことにも、今の日本においては綻びが現れてきているようです。
「イージス・アショア」の配備計画の策定にあたって、地図情報の誤った利用が行われていた、と防衛省は言っています。しかもそれは、「グーグル・アース」を使って間違ってしまった、ということとして言われています。
そんなことってあるの!?と思います。
おそらく私は、「既定方針ありきの「選定過程」をごまかすための虚偽説明」なのではないかと思います(「あー、グーグル・アースを使って間違っちゃったんだね」とネットユーザーに「理解」してもらうための嘘ではないか、と)が、もしもそうでないのだとすると、「陸軍陸地測量部」の伝統が継承されていない、ということで、大変なこと、深刻なこと、ということになるのでしょう。
映画「古山子」の中で、地図の誤りによって厳冬の山中に迷い死んだ人々を前にして
「こんな地図は無用の長物だ。この人たちは地図に殺されたようなもんだ。」
というセリフがありましたが、まさにそのようなものとして「イージス・アショア」の選定がなされようとしているのだとすると、実に恐るべきことだと思います。このことを含めて、「政治の劣化」と「官僚の劣化」が相乗的に起こっているのではないか、ということが「金融庁2000万円問題」を含めて、実に心配されるところです。
そんな中での、「日調連政権交代」なのかな、とも思いつつ・・・・。