前回、土地家屋調査士会の「定時総会」のことについて書きました。補足すべきことや、その後に知った事柄もありますので、補足的に書きます。
前回書いたように、大分県の土地家屋調査士会では、今年度の「定時総会」について、出席者を限定して行うのが望ましいとして、できるかぎりの「欠席」を求めています。また、大分県の土地家屋調査士会においては、総会に「定足数」の定めはないので欠席者が多くても一般的な決議事項(特に「決算」「予算」)は決することができて、特に会の執行に支障が出るわけではない、ということになります。
「COVID-19」の感染拡大予防、という点から、この「多くの会員に欠席を求めて少人数で総会を開催する」という方針については、諸般の事情も勘案したところでは、やむをえない、妥当なものだと思います。
しかし、そのうえで、大分県土地家屋調査士会の執行部では、「今回の総会では会則改正案の提案もあり、会則改正については『特別決議』で過半数の出席が必要になるので委任状を出してほしい」と言っています。
これに会員が応じて多くの総会に出席する誰かに委任する委任状を提出した場合、それをも「出席者」にカウントしますので、特別決議の「過半数の出席」の要件を満たして、その過半数の賛成が得られた場合には、「会則改正案」も承認・成立する、ということになります。
このように事が進んだとすると、それは、まったく「会則」の定めるところに基づいてなされた適法なもの、ということになります。形式上の適法性は保たれる、ということです。
しかし、私はそれではいけない、と思います。
先に述べたように、「会の運営を保つ」というところまでは、やむをえないことであり、この「緊急事態」のもとにおいては許容しうるものだと思いはするものの、それを越えてしまう、というのはよくないことだと思うのです。
その理由は、大きく言って二つあります。
1つは、形式的なことです。先に、このような方法は「形式上の適法性は保たれている」と言いましたが、それは本当に最低限の「形式」の問題です。もう少し深いところでは、「総会というものはできるだけ多くの会員が出席して開催されるべきものだ」という「総会の開催形式」についての暗黙の共通認識があるわけで、「ほとんどの会員に欠席を要請するような開催形式は普通ではない」ということが「形式」の問題としてあるわけです。ですから、もしもそれを外れるような形で「総会」を開催するのであれば、きわめて謙抑的になるべきです。具体手には、そこで決定することは、会の運営にとって必要不可欠な事項、に限定するべきなのであり、それ以外のことをするべきではありません。ましてや、「特別決議」として、より多くの会員の賛成が必要とされているような事項についてまで、多くの会員が欠席するようにされている総会において決定するべきではないのです。これは「形式的正当性」に関する問題で、「形式的適法性」よりも厳しく見るべき問題です。
もう一つは、実質的なことです。「会則の改正案」というのは、会員にとって重要な問題としてあります。だからこそ「特別決議」にされているわけです。そして、これまであったものをあえて「改正」しようというのは、よほど前進的なことがあるから、ということなのだと思います(私は今回の「改正案」をそのようなものとは考えませんが)。そうであれば、やはり、「総会」という場において、多くの会員にその趣旨を説明し、それに対する疑問点に答えたり、反対論に反駁したりして、そのような前進的な措置への広く深い理解を得た(という手続きを踏んだ)上で決議することが望ましい、と言うか、そうあるべきなのです。「検察庁法改正案」を断念した時の安倍首相風に言えば「国民の理解なくして前に進むことはできない」(よく言うよ)のです。逆に言うと、そのような理解を得る機会のないような総会においては、会の運営に必要不可欠な事項以外を取り扱うべきではなく、ましてや「会則改正案」というような大事な事案を入れるべきではないのです。
さらに言うと、大分会を含む多くの会において、おそらく8-9月という、「COVID-19」の感染が比較的に抑えられているであろうと予測される時期に「全体研修会」が予定されているだろうと思われます。それに合わせて「臨時総会」を開催する、ということは可能なことだと思えます。そうするべきだと思うのです。
・・・以上、大分会(等の単会)のことについて書きましたが、これは言わば本題に入る前の前説です。
日調連の総会について、以上に書いたこと以上の、異常なことが起きているということで、それについて書きます。
まず、結論的にどのような形で日調連の「第77回定時総会」が開催されようとしているのか、ということを紹介します。日調連発出の文書(日調連総発第39号。令和2年5月26日)によると、
前回書いたように、大分県の土地家屋調査士会では、今年度の「定時総会」について、出席者を限定して行うのが望ましいとして、できるかぎりの「欠席」を求めています。また、大分県の土地家屋調査士会においては、総会に「定足数」の定めはないので欠席者が多くても一般的な決議事項(特に「決算」「予算」)は決することができて、特に会の執行に支障が出るわけではない、ということになります。
「COVID-19」の感染拡大予防、という点から、この「多くの会員に欠席を求めて少人数で総会を開催する」という方針については、諸般の事情も勘案したところでは、やむをえない、妥当なものだと思います。
しかし、そのうえで、大分県土地家屋調査士会の執行部では、「今回の総会では会則改正案の提案もあり、会則改正については『特別決議』で過半数の出席が必要になるので委任状を出してほしい」と言っています。
これに会員が応じて多くの総会に出席する誰かに委任する委任状を提出した場合、それをも「出席者」にカウントしますので、特別決議の「過半数の出席」の要件を満たして、その過半数の賛成が得られた場合には、「会則改正案」も承認・成立する、ということになります。
このように事が進んだとすると、それは、まったく「会則」の定めるところに基づいてなされた適法なもの、ということになります。形式上の適法性は保たれる、ということです。
しかし、私はそれではいけない、と思います。
先に述べたように、「会の運営を保つ」というところまでは、やむをえないことであり、この「緊急事態」のもとにおいては許容しうるものだと思いはするものの、それを越えてしまう、というのはよくないことだと思うのです。
その理由は、大きく言って二つあります。
1つは、形式的なことです。先に、このような方法は「形式上の適法性は保たれている」と言いましたが、それは本当に最低限の「形式」の問題です。もう少し深いところでは、「総会というものはできるだけ多くの会員が出席して開催されるべきものだ」という「総会の開催形式」についての暗黙の共通認識があるわけで、「ほとんどの会員に欠席を要請するような開催形式は普通ではない」ということが「形式」の問題としてあるわけです。ですから、もしもそれを外れるような形で「総会」を開催するのであれば、きわめて謙抑的になるべきです。具体手には、そこで決定することは、会の運営にとって必要不可欠な事項、に限定するべきなのであり、それ以外のことをするべきではありません。ましてや、「特別決議」として、より多くの会員の賛成が必要とされているような事項についてまで、多くの会員が欠席するようにされている総会において決定するべきではないのです。これは「形式的正当性」に関する問題で、「形式的適法性」よりも厳しく見るべき問題です。
もう一つは、実質的なことです。「会則の改正案」というのは、会員にとって重要な問題としてあります。だからこそ「特別決議」にされているわけです。そして、これまであったものをあえて「改正」しようというのは、よほど前進的なことがあるから、ということなのだと思います(私は今回の「改正案」をそのようなものとは考えませんが)。そうであれば、やはり、「総会」という場において、多くの会員にその趣旨を説明し、それに対する疑問点に答えたり、反対論に反駁したりして、そのような前進的な措置への広く深い理解を得た(という手続きを踏んだ)上で決議することが望ましい、と言うか、そうあるべきなのです。「検察庁法改正案」を断念した時の安倍首相風に言えば「国民の理解なくして前に進むことはできない」(よく言うよ)のです。逆に言うと、そのような理解を得る機会のないような総会においては、会の運営に必要不可欠な事項以外を取り扱うべきではなく、ましてや「会則改正案」というような大事な事案を入れるべきではないのです。
さらに言うと、大分会を含む多くの会において、おそらく8-9月という、「COVID-19」の感染が比較的に抑えられているであろうと予測される時期に「全体研修会」が予定されているだろうと思われます。それに合わせて「臨時総会」を開催する、ということは可能なことだと思えます。そうするべきだと思うのです。
・・・以上、大分会(等の単会)のことについて書きましたが、これは言わば本題に入る前の前説です。
日調連の総会について、以上に書いたこと以上の、異常なことが起きているということで、それについて書きます。
まず、結論的にどのような形で日調連の「第77回定時総会」が開催されようとしているのか、ということを紹介します。日調連発出の文書(日調連総発第39号。令和2年5月26日)によると、
「本月22日に開催の第1回正副会長会議において協議した結果、少人数が参集する方式により開催することとし、当連合会役員の出席については、当職、鈴木副会長、内野・山本・原田常任理事及び監事とし、左記以外の役員におかれては議決権の行使を当職へ委任いただきたいと考えております。」
すごいことです。さらにすごいのは、この方法は、大分県土地家屋調査士会においてそうであるように、「形式的には適法」な開催方法ではないことです。ややくどくなりますが、日調連の「会則」における「総会」に関する規定を以下にあげます。
>「代議員の委任を受けた各土地家屋調査士会長は、当職又は東京の直近県である東京土地家屋調査士会、神奈川県土地家屋調査士会、埼玉土地家屋調査士会、千葉県土地家屋調査士会の会長を復代理人として選任いただき、議決権を行使することにより、土地家屋調査士会長が総会に参集することなく、開催する方法とします。」
とのことです。通常であれば200人弱が出席するべき総会を、10人程度の出席で「開催する方法とします」、ということなのです。すごいことです。さらにすごいのは、この方法は、大分県土地家屋調査士会においてそうであるように、「形式的には適法」な開催方法ではないことです。ややくどくなりますが、日調連の「会則」における「総会」に関する規定を以下にあげます。
「第16条 総会は、役員と調査士会の会長及び代議員(以下これらの者を「総会の構成員」という。)をもって組織する。」
しかし、これについて、上記文書によると、
しかし、「総会の開催方法」というのは「会則」において定められることであり、それを下位機関である「理事会」において勝手に変えてしまう、というようなことが許されるはずもありません。もしも、何の留保もなく「令和2年度第1回理事会」が上記のことを「決議」したのであれば、その「決議」自体が無効、と言うべきでしょう。
・・・とすると、日調連の今年度の総会は、少なくとも100人程度(各会の会員数に基づく総会構成員数を計算する手間を省いているのでいい加減な数ですみません。おそらく90~100人程度だと思います)が現実に集まらないと、総会を開催することができない、ということになります。・・・これは、私としては可能なことだと思いはするのですが、「感染拡大防止」の観点からすると「無理」もしくは「望ましくない」ということになるのかと思います。
そうすると、結局は「超法規的措置」、「緊急事態下における緊急避難措置」ということになるしかありません。
繰り返して言いますが、私は、そこまでも措置をとることに必要性があるとは考えません(政府の緊急事態宣言も解除されています)。しかしその上で、「やはり必要がある」とする意見にも相応の合理性があるとは思いますので、その上で考えると、「緊急事態下における緊急避難措置」として、超法規的に、「令和2年度の定時総会に限り、同会則第21条第2項及び第3項とは別に、総会の構成員は総会の他の構成員を代理人と定めて議決権を行使することができることとする。」という「令和2年度第1回理事会決議」について、「違法とまでは言えない」程度の評価をすることはできるのか、と思います。
しかし、それはあくまでも「緊急避難的措置」ということにおいて、なのです。
つまり、「総会が開催できなくて、決算も予算も成立しないことになってしまっては組織の維持ができない」ということになってしまっては困る(「法は不可能までをも要求しない」)ので、会の運営のために必要最低限のことまではできるようにしよう」ということにすぎない、ということを自覚する必要があるのだと思います。
その限りにおいて、「令和2年度第1回理事会決議」によって「第77回定時総会」を開催し、必要最低限の決議をして、会の運営を確保する、ということが許される、と考えられるわけです。
しかし、現実には、日調連の執行部は、この総会において、「第2号議案 日本土地家屋調査士会連合会会則の一部改正(案)審議の件」「第3号議案 日本土地家屋調査士会連合会役員選任規則の一部改正(案)審議の件」「第4号議案 土地家屋調査士職務規程の制定審議の件」という、日調連会則第24条の「特別決議」(「第20条第2号及び第4号並びに役員の解任に関する事項の決議は、総会において、出席した総会の構成員の議決権の3分の2以上の決議による。」なお、第20条第2号は「会則並びに役員選任規則の制定及び変更に関する事項」)とされていることまでをも含んで、今回の「緊急避難的に10人程度で開催する第77回定時総会」において決議しようとしています。
このようなことは、どう考えても許されるべきことではない、と私は思います。
大分県土地家屋調査士会のような単会については、先に述べたように、「形式的にも実質的にも望ましくはないけれど形式的には適法」だと言えたものの、日調連については、「形式的には違法」なのであり、「実質的に適法」と言えるためには「緊急事態性」と「謙抑性」を備える必要があるのであり、そうでなければ「はっきりと違法」と言うべきなのだと思います。
もしも、今予定されているような形で「日調連第77回定時総会」が開催され、そこで「特別決議」とされる事項までもが決定されてしまうのであれば、「法の支配」というようなものは、土地家屋調査士の世界とは縁のないものになってしまう、と言わなければなりません。
なお、私は、今回上程されている「第2号議案 日本土地家屋調査士会連合会会則の一部改正(案)審議の件」「第3号議案 日本土地家屋調査士会連合会役員選任規則の一部改正(案)審議の件」「第4号議案 土地家屋調査士職務規程の制定審議の件」のすべてに反対の考えを持っているものですが、これらの議案が適法な手続きに基づいて決議されることにまで反対するものではありません。これらの「特別決議」については、なにもこの6月の「定時総会」で違法・脱法的に決議することなく、たとえば9-10月に予定されているであろう「全国会長会議」だとか「70周年記念式典」とかの機会に、何らかの形で「臨時総会」を開催することにして、「形式的な正統性」をも獲得して成立させることにすればいいのにな、と(繰り返しますが私は反対ですが)思うのですが、そういう余裕はないのですかね?
>「第19条の2 総会は、総会の構成員の過半数の出席により成立する。」
「第21条 2 調査士会の会長及び代議員は、代理人によって、議決権を行使することができる。ただし、代理人は、代理権限を証する書面を総会に提出しなければならない。
3 前項の代理人は、総会の構成員以外の者であって、当該調査士会の調査士会員である者に限る。」
つまり、日調連の会則においては、総会というのは、「役員と調査士会の会長及び代議員」(これが200人弱)の「過半数」の出席がなければ成立しないもの、とされているわけです。その上で「代理人」についての定めもあるわけですが、その「代理人」は、「総会の構成員以外の者であって、当該調査士会の調査士会員である者に限る」とされているので、もともと「総会の構成員」であるものをもって代える、ということはできません。どうしても「200人弱の過半数の100人弱」が現実に出席しなければ、日調連の総会は成立しない、というのが、日調連の「会則」上の決まり、なのです。3 前項の代理人は、総会の構成員以外の者であって、当該調査士会の調査士会員である者に限る。」
しかし、これについて、上記文書によると、
「令和2年度第1回理事会において、『令和2年度の定時総会に限り、同会則第21条第2項及び第3項とは別に、総会の構成員は総会の他の構成員を代理人と定めて議決権を行使することができることとする。』旨及び〈令和3年度以降の定時総会においてその旨を報告し承認を頂くこと〉を決議したところであります。」
ということで、この文書において言うところの「10人程度での開催」も「適法」だということになるようにされています。しかし、「総会の開催方法」というのは「会則」において定められることであり、それを下位機関である「理事会」において勝手に変えてしまう、というようなことが許されるはずもありません。もしも、何の留保もなく「令和2年度第1回理事会」が上記のことを「決議」したのであれば、その「決議」自体が無効、と言うべきでしょう。
・・・とすると、日調連の今年度の総会は、少なくとも100人程度(各会の会員数に基づく総会構成員数を計算する手間を省いているのでいい加減な数ですみません。おそらく90~100人程度だと思います)が現実に集まらないと、総会を開催することができない、ということになります。・・・これは、私としては可能なことだと思いはするのですが、「感染拡大防止」の観点からすると「無理」もしくは「望ましくない」ということになるのかと思います。
そうすると、結局は「超法規的措置」、「緊急事態下における緊急避難措置」ということになるしかありません。
繰り返して言いますが、私は、そこまでも措置をとることに必要性があるとは考えません(政府の緊急事態宣言も解除されています)。しかしその上で、「やはり必要がある」とする意見にも相応の合理性があるとは思いますので、その上で考えると、「緊急事態下における緊急避難措置」として、超法規的に、「令和2年度の定時総会に限り、同会則第21条第2項及び第3項とは別に、総会の構成員は総会の他の構成員を代理人と定めて議決権を行使することができることとする。」という「令和2年度第1回理事会決議」について、「違法とまでは言えない」程度の評価をすることはできるのか、と思います。
しかし、それはあくまでも「緊急避難的措置」ということにおいて、なのです。
つまり、「総会が開催できなくて、決算も予算も成立しないことになってしまっては組織の維持ができない」ということになってしまっては困る(「法は不可能までをも要求しない」)ので、会の運営のために必要最低限のことまではできるようにしよう」ということにすぎない、ということを自覚する必要があるのだと思います。
その限りにおいて、「令和2年度第1回理事会決議」によって「第77回定時総会」を開催し、必要最低限の決議をして、会の運営を確保する、ということが許される、と考えられるわけです。
しかし、現実には、日調連の執行部は、この総会において、「第2号議案 日本土地家屋調査士会連合会会則の一部改正(案)審議の件」「第3号議案 日本土地家屋調査士会連合会役員選任規則の一部改正(案)審議の件」「第4号議案 土地家屋調査士職務規程の制定審議の件」という、日調連会則第24条の「特別決議」(「第20条第2号及び第4号並びに役員の解任に関する事項の決議は、総会において、出席した総会の構成員の議決権の3分の2以上の決議による。」なお、第20条第2号は「会則並びに役員選任規則の制定及び変更に関する事項」)とされていることまでをも含んで、今回の「緊急避難的に10人程度で開催する第77回定時総会」において決議しようとしています。
このようなことは、どう考えても許されるべきことではない、と私は思います。
大分県土地家屋調査士会のような単会については、先に述べたように、「形式的にも実質的にも望ましくはないけれど形式的には適法」だと言えたものの、日調連については、「形式的には違法」なのであり、「実質的に適法」と言えるためには「緊急事態性」と「謙抑性」を備える必要があるのであり、そうでなければ「はっきりと違法」と言うべきなのだと思います。
もしも、今予定されているような形で「日調連第77回定時総会」が開催され、そこで「特別決議」とされる事項までもが決定されてしまうのであれば、「法の支配」というようなものは、土地家屋調査士の世界とは縁のないものになってしまう、と言わなければなりません。
なお、私は、今回上程されている「第2号議案 日本土地家屋調査士会連合会会則の一部改正(案)審議の件」「第3号議案 日本土地家屋調査士会連合会役員選任規則の一部改正(案)審議の件」「第4号議案 土地家屋調査士職務規程の制定審議の件」のすべてに反対の考えを持っているものですが、これらの議案が適法な手続きに基づいて決議されることにまで反対するものではありません。これらの「特別決議」については、なにもこの6月の「定時総会」で違法・脱法的に決議することなく、たとえば9-10月に予定されているであろう「全国会長会議」だとか「70周年記念式典」とかの機会に、何らかの形で「臨時総会」を開催することにして、「形式的な正統性」をも獲得して成立させることにすればいいのにな、と(繰り返しますが私は反対ですが)思うのですが、そういう余裕はないのですかね?
「検察庁法改正案」の今国会での成立が見送られた、とのことで、何はともあれよかった、と思います。黒川東京高検検事長の「定年延長」と、それをめぐる「解釈変更」というのは、たぶんあまりにも杜撰な「法の無視」(「法の支配」ならぬ)によるものだったのだと思いますが、そのことを指摘されてからなお強行突破しようとして「法律」自体をも変えてしまおうというのは、「法の支配」から「法を支配」へ進もうという姿勢だったと思いますので、それが止められた、というのは、本当に、返す返すもよかった、と思います。
しかし、「検察庁法改正案」が見送られるとともに、それとの「束ね法案」とされていた「国家公務員法改正案」等までも含めて、すべて先送りされてしまう、というのはどういうことなのでしょう?
この法案については、「不要不急」だ、「火事場泥棒」だ、という批判があったわけですが、それに対する政府・与党の説明(反論)は、「国家公務員法の改正はそれに伴う地方公務員の制度改正とも関連するので『必要・緊急』だ」というようなものだったように思います。もしも本当にそうなのであれば、野党が、検察庁法の問題部分だけを除いた改正案を出しているということもあるわけですから、検察庁法(の問題部分)だけを外して、「必要・緊急」な部分だけは今国会で成立させればよかったのではないか?と思えてしまいます。
そうしないのは、やっぱりそもそも全体として「不要不急」なもので、「火事場泥棒」的に成立させようとしていたということなのか、と思えてしまうようなことです。
・・・ということのうえで、卑近な話。
土地家屋調査士会の総会の案内が来ました。今年の総会については「COVID-19」の影響で、「できるかぎり欠席を」ということでしたので、私も欠席することにして、その旨を返信しました。
その上で、「委任状の提出を」ということも言われていたのですが、それはちょっと違うんじゃないか、と思って、委任状は出さずにおきました。
何が違うのか、と言うと、調査士会の総会自体は定足数の定めがないので、欠席者がいくらいても成立します。それによって、今年度の事業計画、予算などは成立して、当面の現実の事業執行は滞りなく進めることができるようになります。「必要・緊急」なところです。
多くの会員に「欠席要請」をしたうえで成立させる「総会」としては、やるべきことはここまで、なのだと思います。それが「民主主義」というものだと思うのです。
ところが、今回の調査士会の総会では、「会則改正」もが議案となっています。そして、この「会則改正」は、「過半数の出席」を要件とする「特別決議」とされています。
したがって、今回の総会では、会員に「出席しないように」とお願いをしながら、「出席」(過半数の)を必要とする「特別決議」をも決議しようとしているのです。そこから、「委任状の提出」を要請する、ということになります。
しかし、これはおかしい。
このような情勢下での、異例の開催方式をとるのであれば、そこでの決議内容については「最小限」の、それこそ「不要不急」なものは外したものにするべきだと思います。
それ以外のものについては、全員の出席も可能になった時期に、あらためて行えばいいのであって(「定時総会」がこのような形になる以上、当然に「臨時総会」を考えるべきだと思います)、なにも今回急いでやらなければいけない、という必要性は何もないと思うのです。
むしろ、たとえば今回の「会則改正案」での最大の論点である、「会員が守るべき規律として定めるものの中から『会の定める要領』(調査測量実施要領)を除く」ということについては、それを除いた後に守るべき「要領」がまだ定められておらず、いわば「空白期間」をつくってしまうことになる、というものであるわけですから、まったくの「不要不急」なものだと言うべきなのだと思います。
私自身としては、この「会則改正案」自体に反対であり、通常の形での総会が開かれるのであれば、その場で反対の意思表示をしようと思っていたのですが、まぁそれはともかくとして、反対・賛成は問わず、とにかく今回のような異例・異常な総会において、「会則改正」というような「特別決議」とされるような重要な案件を取り扱うべきではないな、と思うのです。そうしないと、それこそ「火事場泥棒」的に成立させたものとして、「正統性」を欠くものになってしまうのではないか、とも思います。
しかし、「検察庁法改正案」が見送られるとともに、それとの「束ね法案」とされていた「国家公務員法改正案」等までも含めて、すべて先送りされてしまう、というのはどういうことなのでしょう?
この法案については、「不要不急」だ、「火事場泥棒」だ、という批判があったわけですが、それに対する政府・与党の説明(反論)は、「国家公務員法の改正はそれに伴う地方公務員の制度改正とも関連するので『必要・緊急』だ」というようなものだったように思います。もしも本当にそうなのであれば、野党が、検察庁法の問題部分だけを除いた改正案を出しているということもあるわけですから、検察庁法(の問題部分)だけを外して、「必要・緊急」な部分だけは今国会で成立させればよかったのではないか?と思えてしまいます。
そうしないのは、やっぱりそもそも全体として「不要不急」なもので、「火事場泥棒」的に成立させようとしていたということなのか、と思えてしまうようなことです。
・・・ということのうえで、卑近な話。
土地家屋調査士会の総会の案内が来ました。今年の総会については「COVID-19」の影響で、「できるかぎり欠席を」ということでしたので、私も欠席することにして、その旨を返信しました。
その上で、「委任状の提出を」ということも言われていたのですが、それはちょっと違うんじゃないか、と思って、委任状は出さずにおきました。
何が違うのか、と言うと、調査士会の総会自体は定足数の定めがないので、欠席者がいくらいても成立します。それによって、今年度の事業計画、予算などは成立して、当面の現実の事業執行は滞りなく進めることができるようになります。「必要・緊急」なところです。
多くの会員に「欠席要請」をしたうえで成立させる「総会」としては、やるべきことはここまで、なのだと思います。それが「民主主義」というものだと思うのです。
ところが、今回の調査士会の総会では、「会則改正」もが議案となっています。そして、この「会則改正」は、「過半数の出席」を要件とする「特別決議」とされています。
したがって、今回の総会では、会員に「出席しないように」とお願いをしながら、「出席」(過半数の)を必要とする「特別決議」をも決議しようとしているのです。そこから、「委任状の提出」を要請する、ということになります。
しかし、これはおかしい。
このような情勢下での、異例の開催方式をとるのであれば、そこでの決議内容については「最小限」の、それこそ「不要不急」なものは外したものにするべきだと思います。
それ以外のものについては、全員の出席も可能になった時期に、あらためて行えばいいのであって(「定時総会」がこのような形になる以上、当然に「臨時総会」を考えるべきだと思います)、なにも今回急いでやらなければいけない、という必要性は何もないと思うのです。
むしろ、たとえば今回の「会則改正案」での最大の論点である、「会員が守るべき規律として定めるものの中から『会の定める要領』(調査測量実施要領)を除く」ということについては、それを除いた後に守るべき「要領」がまだ定められておらず、いわば「空白期間」をつくってしまうことになる、というものであるわけですから、まったくの「不要不急」なものだと言うべきなのだと思います。
私自身としては、この「会則改正案」自体に反対であり、通常の形での総会が開かれるのであれば、その場で反対の意思表示をしようと思っていたのですが、まぁそれはともかくとして、反対・賛成は問わず、とにかく今回のような異例・異常な総会において、「会則改正」というような「特別決議」とされるような重要な案件を取り扱うべきではないな、と思うのです。そうしないと、それこそ「火事場泥棒」的に成立させたものとして、「正統性」を欠くものになってしまうのではないか、とも思います。
「銃・細菌・鉄」などの著者ジャレド・ダイアモンドが「危機」への対応について、歴史的な具体例を挙げながら論じた本です。
今、コロナウィルスをめぐって日本だけでなく世界全体が「危機」に直面している中で、学ぶべき点の多い本でした。
著者は、「危機」に直面した時に「選択的変化」が必要になる、と言います。
この「選択的変化」をめぐって、著者は、「国家的危機の帰結に関わる要因」として12の要因を挙げます。
こうした「要因」と、そこから導き出される「提案」については、著者自身も
そして、このような観点から、現在の「COVID-19」による危機、とそれが明るみに出した危機を見てみると、いくつか気づかされることがあります。
・・・ということで、今、まさに問題になっている「COVID-19」による危機を考えるのにあたって、本書から何を学べるのか、ということを書こうと思ったのですが、5月8日の朝日新聞に、「(新型コロナ)「世界の一員」アイデンティティー作る好機 ジャレド・ダイアモンドさんに聞く」という記事が掲載されていて、本書に即して今回の危機について語っています。。
この最後の問題は多岐にわたる問題ですが、その基礎には本書で言う⑦「公正な自国評価」、⑥「ナショナル・アイデンティティ」、⑪「国家の基本的価値観」の問題があり、その上での④の「選択的変化」を考えるべき、ということになるのだと思います。
そういう観点で、たとえば、「PCR検査の実施数」という問題があります。日本における検査数が、諸外国(欧米各国、韓国等)と比べて格段に少なく、「世界標準」から外れている、という問題です。
日本においては、少なくとも初期の段階で検査を抑制していた、ということは歴然たる事実であるわけですが、安倍首相が5月4日の記者会見でも「本気でやる気がなかったわけでは全くありません」と言うように、政府はけっして認めません。「37.5度以上、4日間」というのも単なる「目安」であって「基準」ではないのに、「誤解」されてしまっただけだとさえ言います。
おそらく、当初検査を抑制したのは、検査体制、医療体制が不備であったために(そのような状態にしてしまっていたことの責任は問われるにしても)、言わば次善の策として検査を絞り、それによって感染者=入院者を少なくして、医療崩壊を防いで「救える命を救う」ということを目指した、ということなのだと思います。与えられた条件の下での「被害の最小化」を目指した、ということです。
そしてその結果として、欧米諸国に比べて格段に少ない死者数、という成果を出しているわけですから、それはそれとして胸を張ってもいいのだと思います。
しかし反面、「必要(だと判断した)な検査だけをする」という方針が、「コミュニティにおける感染の広がりを把握するための検査はしない」ということで社会的な感染の実態をわからなくしてしまうことになり、「出口」を見いだせない状態に陥らせてしまっています。
また、このような「検査抑制方針」が、「世界標準」から外れている、ということ自身も問題になります。
「世界標準」の方針というのは、「検査によって早期に感染者を発見し、必要な医療的措置をとることによってその感染者を救うとともに、社会への感染の広がりを把握して拡大阻止のための対策をとる」というものです。「一人一人の個人を守るとともに社会を守る」というものです。
さて、この方針がうまくいっているのか?と言うと、欧米諸国における感染の広がりと死者の多さや、それを受けての厳しい対策(ロックダウン等)による経済的打撃の大きさ、という結果から見ると、必ずしもうまくいっている、とはいえないでしょう。
しかし、それにしてもその「心意気」は認められるべきだし、単に「心意気」ではなく「理念」の問題になっていきます。近代西洋の「基本的人権」「民主主義国家」の理念です。
それでは日本の方針はどうか?「PCR検査を広く実施して無症状の人をも医療的措置の対象とするようなことをしたら医療崩壊を招いてしまう。だから、重症化するリスクの高い人だけに絞って検査をしよう。」ということは、検査を受けられずにいる間に重症化して死に至ってしまう人が出ることも仕方ないだろう、というように「見切る」ことでもあります。現にそのようなことで命を落とした人もいます。
しかし、もしも医療崩壊を招いてしまったらより多くの死者が出てしまいます。そして、医療崩壊とそれによる感染の拡大が起きてしまったら、都市のロックダウンや外出禁止命令のようなより強力な措置を取らなければならなくなり、より大きな経済的打撃を受けることになってしまいます。だから功利主義的な考え方からすると、「無駄な努力」をするべきではない、ということになるわけです。
そしてもう一回しかし、そのような考え方を「政治理念」として公言することはできません。だから方針が一貫していないことになってしまい、とんでもなく的外れなことをやったり、嘘を言ってごまかすようなことしかできなくなってしまうわけです。ジャレド・ダイアモンドさんの言葉で言えば「自身の能力と価値観を公正に評価する」ことができていなことからの問題であり、そこから「将来の危機への対処」を考えていかなければならない、ということになります。。
その上で、とても卑近な(と言うより卑小な)話。
4月17日に、日調連から「当連合会職員の勤務体制の変更について」という文書が全国の調査士会に発せられています。新型コロナ感染所拡大阻止のための施策として、「本月17日(金)から下記の勤務体制とすることといたしました」というもので、「在宅勤務7割」を通知するものです。
この措置が取られた「4月17日」というのも随分遅くて問題だと思うのですが、措置をとるに至った「理由付け」がさらに情けない。この文書の言葉をそのまま借りると、このような措置をとることにしたのは、「本月15日付け日調連発第33号の文書のとおり法務省民事局民事第二課からの出勤者7割削減を実現するための要請を受けたことから、本月17日(金)から下記の勤務体制とすることといたしました。」ということだそうです。「新型コロナ感染症拡大防止のための自主的な判断から」でもなければ、「4月7日の政府の緊急事態宣言を受けて」でさえなく、4月15日になって直属の上司から言われたからやります、ということです。こんなことでさえ自分では判断できず、「直属の上司」からの話を待ってはじめて判断に至るとは、情けない!?かねがね、その「従属体質」「奴隷根性」についてはわかっているつもりになっていたのですが、状態は想像を超えるものとしてあるわけですね。まさに「基本理念」を示すものであり、「危機」にあるからこそわかることがある、ということです。
今、コロナウィルスをめぐって日本だけでなく世界全体が「危機」に直面している中で、学ぶべき点の多い本でした。
著者は、「危機」に直面した時に「選択的変化」が必要になる、と言います。
「ここでのキーワードは「選択的」である。個人も国家も、かつてのアイデンティティを完全に捨て去り、まったく違うものに変化するのは不可能であり、望ましいわけでもない。危機に直面した個人と国家にとって難しいのは、機能良好で変えなくてよい部分と機能不全で変えなければならない部分との分別だ。そのためには、自身の能力と価値観を公正に評価する必要がある。」
ということです。この「選択的変化」をめぐって、著者は、「国家的危機の帰結に関わる要因」として12の要因を挙げます。
①自国が危機にあることへの世論の同意
②責任を受け入れる。被害者意識や自己憐憫、他者を責めることを避ける
③囲いを作り(変更が必要な制度や政策と、変更が不要で温存すべき制度や政策の間に線引きする)、解決が必要な国家的問題を明確にする
④他の国々からの物質的支援・経済的支援
⑤他の国々を問題解決の手本とすること
⑥ナショナル・アイデンティティ
⑦公正な自国評価
⑧国家的危機を経験した歴史
⑨国家的失敗への忍耐
⑩状況に応じた国の柔軟性
⑪国家の基本的価値観
⑫地政学的制約
の12です。②責任を受け入れる。被害者意識や自己憐憫、他者を責めることを避ける
③囲いを作り(変更が必要な制度や政策と、変更が不要で温存すべき制度や政策の間に線引きする)、解決が必要な国家的問題を明確にする
④他の国々からの物質的支援・経済的支援
⑤他の国々を問題解決の手本とすること
⑥ナショナル・アイデンティティ
⑦公正な自国評価
⑧国家的危機を経験した歴史
⑨国家的失敗への忍耐
⑩状況に応じた国の柔軟性
⑪国家の基本的価値観
⑫地政学的制約
こうした「要因」と、そこから導き出される「提案」については、著者自身も
「こうした提案に対して悲観主義者たちは、「馬鹿みたいにあたりまえの内容だ!公正な自国評価をしろとか、他の国をモデルにしろとか、犠牲者の立場に引きこもるな、なんて、ジャレド・ダイアモンドの本に教えられなくたってわかっている!」と言うだろう。」
と言っているように、特に新味のあるものではありません。しかし、その上で「いいや、それでも本が必要だ。なぜならそうした「あたりまえ」に必要なことがあまりにもしばしば無視され、今日でもいまだに無視されていることは否定しようがないからだ。」
ということですし、この本で示されているフィンランド(第2次大戦後)、日本(明治維新)、チリ(ピノチェト/クーデター)、インドネシア(1965.4.30)、ドイツ(第2次大戦後)、オーストラリア、日本(現在)、アメリカ(現在)の実例(歴史)にあてはめてみると、なるほどと思わされるもので勉強になりました。そして、このような観点から、現在の「COVID-19」による危機、とそれが明るみに出した危機を見てみると、いくつか気づかされることがあります。
・・・ということで、今、まさに問題になっている「COVID-19」による危機を考えるのにあたって、本書から何を学べるのか、ということを書こうと思ったのですが、5月8日の朝日新聞に、「(新型コロナ)「世界の一員」アイデンティティー作る好機 ジャレド・ダイアモンドさんに聞く」という記事が掲載されていて、本書に即して今回の危機について語っています。。
「第一は、国家が危機的な状況にあるという事実、それ自体を認めること。危機の認識がなければ、解決へと向かうことはできません。中国は新型コロナが蔓延(まんえん)し始めた当初、危機自体を認めなかったためにパンデミックを防げなかった。米国でもトランプ大統領はパンデミックを否定し、それが裏目に出ました。第二は、自ら行動する責任を受け入れること。もし政府や人々が祈るだけで行動しなければ、問題は解決できません。中国は自らの責任を受け入れ、厳しい対策に踏み切るまでに1カ月を要しました。トランプ大統領は米国がなすべきことをする責任をいまだに認めず、中国批判に多くの時間を費やしています。第三は、他国の成功例を見習うこと。第四は他国からの援助を受けること。そして最も重要な第五のポイントは、このパンデミックを将来の危機に対処するためのモデルとすることです」
本書で示された12の「国家的危機の帰結に関わる要因」で言うと、直接的な問題としての①②④⑤と、「最も重要な」将来危機への対応モデルの問題とされています。この最後の問題は多岐にわたる問題ですが、その基礎には本書で言う⑦「公正な自国評価」、⑥「ナショナル・アイデンティティ」、⑪「国家の基本的価値観」の問題があり、その上での④の「選択的変化」を考えるべき、ということになるのだと思います。
そういう観点で、たとえば、「PCR検査の実施数」という問題があります。日本における検査数が、諸外国(欧米各国、韓国等)と比べて格段に少なく、「世界標準」から外れている、という問題です。
日本においては、少なくとも初期の段階で検査を抑制していた、ということは歴然たる事実であるわけですが、安倍首相が5月4日の記者会見でも「本気でやる気がなかったわけでは全くありません」と言うように、政府はけっして認めません。「37.5度以上、4日間」というのも単なる「目安」であって「基準」ではないのに、「誤解」されてしまっただけだとさえ言います。
おそらく、当初検査を抑制したのは、検査体制、医療体制が不備であったために(そのような状態にしてしまっていたことの責任は問われるにしても)、言わば次善の策として検査を絞り、それによって感染者=入院者を少なくして、医療崩壊を防いで「救える命を救う」ということを目指した、ということなのだと思います。与えられた条件の下での「被害の最小化」を目指した、ということです。
そしてその結果として、欧米諸国に比べて格段に少ない死者数、という成果を出しているわけですから、それはそれとして胸を張ってもいいのだと思います。
しかし反面、「必要(だと判断した)な検査だけをする」という方針が、「コミュニティにおける感染の広がりを把握するための検査はしない」ということで社会的な感染の実態をわからなくしてしまうことになり、「出口」を見いだせない状態に陥らせてしまっています。
また、このような「検査抑制方針」が、「世界標準」から外れている、ということ自身も問題になります。
「世界標準」の方針というのは、「検査によって早期に感染者を発見し、必要な医療的措置をとることによってその感染者を救うとともに、社会への感染の広がりを把握して拡大阻止のための対策をとる」というものです。「一人一人の個人を守るとともに社会を守る」というものです。
さて、この方針がうまくいっているのか?と言うと、欧米諸国における感染の広がりと死者の多さや、それを受けての厳しい対策(ロックダウン等)による経済的打撃の大きさ、という結果から見ると、必ずしもうまくいっている、とはいえないでしょう。
しかし、それにしてもその「心意気」は認められるべきだし、単に「心意気」ではなく「理念」の問題になっていきます。近代西洋の「基本的人権」「民主主義国家」の理念です。
それでは日本の方針はどうか?「PCR検査を広く実施して無症状の人をも医療的措置の対象とするようなことをしたら医療崩壊を招いてしまう。だから、重症化するリスクの高い人だけに絞って検査をしよう。」ということは、検査を受けられずにいる間に重症化して死に至ってしまう人が出ることも仕方ないだろう、というように「見切る」ことでもあります。現にそのようなことで命を落とした人もいます。
しかし、もしも医療崩壊を招いてしまったらより多くの死者が出てしまいます。そして、医療崩壊とそれによる感染の拡大が起きてしまったら、都市のロックダウンや外出禁止命令のようなより強力な措置を取らなければならなくなり、より大きな経済的打撃を受けることになってしまいます。だから功利主義的な考え方からすると、「無駄な努力」をするべきではない、ということになるわけです。
そしてもう一回しかし、そのような考え方を「政治理念」として公言することはできません。だから方針が一貫していないことになってしまい、とんでもなく的外れなことをやったり、嘘を言ってごまかすようなことしかできなくなってしまうわけです。ジャレド・ダイアモンドさんの言葉で言えば「自身の能力と価値観を公正に評価する」ことができていなことからの問題であり、そこから「将来の危機への対処」を考えていかなければならない、ということになります。。
その上で、とても卑近な(と言うより卑小な)話。
4月17日に、日調連から「当連合会職員の勤務体制の変更について」という文書が全国の調査士会に発せられています。新型コロナ感染所拡大阻止のための施策として、「本月17日(金)から下記の勤務体制とすることといたしました」というもので、「在宅勤務7割」を通知するものです。
この措置が取られた「4月17日」というのも随分遅くて問題だと思うのですが、措置をとるに至った「理由付け」がさらに情けない。この文書の言葉をそのまま借りると、このような措置をとることにしたのは、「本月15日付け日調連発第33号の文書のとおり法務省民事局民事第二課からの出勤者7割削減を実現するための要請を受けたことから、本月17日(金)から下記の勤務体制とすることといたしました。」ということだそうです。「新型コロナ感染症拡大防止のための自主的な判断から」でもなければ、「4月7日の政府の緊急事態宣言を受けて」でさえなく、4月15日になって直属の上司から言われたからやります、ということです。こんなことでさえ自分では判断できず、「直属の上司」からの話を待ってはじめて判断に至るとは、情けない!?かねがね、その「従属体質」「奴隷根性」についてはわかっているつもりになっていたのですが、状態は想像を超えるものとしてあるわけですね。まさに「基本理念」を示すものであり、「危機」にあるからこそわかることがある、ということです。