大分県選出の磯崎洋輔参議院議員(首相補佐官)の「安保法制―法的安定性」に関する発言が問題になっています。
私は、この発言の第一報を見ていなかったので、どういう発言なのかと思って見てみました。
この発言については、自民党の谷垣幹事長が「配慮に欠ける」と苦言を呈している、とのことです。
しかし、磯崎さんは、ご自身のホームページでも同趣旨のことを言っています。
「法的安定性」をめぐる議論は「形式議論」で「国家にとって有益でない」と断ずる、と言うのはなかなか大胆で、「法的安定性なんて関係ない」というアケスケな言い方をしているのかどうか、という違いはあるにしろ趣旨は同じであるように思えます。谷垣幹事長の「配慮に欠ける」というのは、趣旨はいいけど言い方に気をつけろ、という意味なのでしょうか。
現在の安保法制推進派の人の中では「憲法残って国滅びる、ではいけない」というような言い方がよくなされるように、「現実に軍事的脅威があるのだからそれに対応しなければならず、そのためには憲法論議なんてしてられない」というのが、今回の「解釈変更」とそれに基づく「安保法制」の意味するところなのであり、磯崎さんはあまりにも正直に言ってしまった、ということのように思えます。
ここで、「そのような国際情勢の変化による脅威・危機は本当に存在するのか?」「存在するとしてその危機への対応策は軍事的な抑止力強化という方法をとるべきなのか?」ということも問われなければならないわけですが、それとは別の問題として、「法的安定性」「規範性」の問題、より一般化して言えば「国のかたち」をめぐる問題も問われている、ということを避けてしまうわけにはいかないように思います。
それは、「法」が論理的に示しているところに基づいて、その規範性をもって「国」が動かされていく、という基本的な「国のかたち」です。「人」(政府)が変わったら全く方針が変わってしまう、というのではなく、「法」という形で示されたものに対する合理的な判断によって基本的な方向性は決められるようにしておかなければならないし、これまではそうしてきたはずだし、それを外してしまってはいけないだろう、という問題です。
5月に他県の土地家屋調査士会の総会に伺った際に来賓で来られていた弁護士と話をしていて「安保法制」についての話になりました。その弁護士さんが言うには、「憲法について教わってきたことと全く反対のことが言われているので、理解できるわけがない」ということでした。
たしかに「憲法学者」などというのは憲法解釈の権限を持っているわけではありませんが、この弁護士さんをはじめとする多くの法曹関係者等は「憲法とはこのようなものだ」ということを教わり、それを身につけて実務にあたっています。社会のあらゆることが、「法」を基準にして動かされ、紛争が生じた時には「法」に照らして解決されることになっています。そのようなすべてを含めて「法的安定性」が問われている、ということなのだと思います。
「法律関連専門職」として無関係ではいられないことです。
私は、この発言の第一報を見ていなかったので、どういう発言なのかと思って見てみました。
「政府はずっと、必要最小限度という基準で自衛権を見てきた。時代が変わったから、集団的自衛権でも我が国を守るためのものだったら良いんじゃないかと(政府は)提案している。考えないといけないのは、我が国を守るために必要な措置かどうかで、法的安定性は関係ない。我が国を守るために必要なことを、日本国憲法がダメだと言うことはありえない。
本当にいま我々が議論しなければならないのは、我々が提案した限定容認論のもとの集団的自衛権は我が国の存立を全うするために必要な措置であるかどうかだ。「憲法解釈を変えるのはおかしい」と言われるが、政府の解釈だから、時代が変わったら必要に応じて変わる。その必要があるかどうかという議論はあってもいい。」(大分市での国政報告会で)「朝日新聞デジタル」2015.7.27)
本当にいま我々が議論しなければならないのは、我々が提案した限定容認論のもとの集団的自衛権は我が国の存立を全うするために必要な措置であるかどうかだ。「憲法解釈を変えるのはおかしい」と言われるが、政府の解釈だから、時代が変わったら必要に応じて変わる。その必要があるかどうかという議論はあってもいい。」(大分市での国政報告会で)「朝日新聞デジタル」2015.7.27)
この発言については、自民党の谷垣幹事長が「配慮に欠ける」と苦言を呈している、とのことです。
しかし、磯崎さんは、ご自身のホームページでも同趣旨のことを言っています。
「日本を取り巻く国際情勢が大きく変化していると説明しているにもかかわらず、従来の憲法解釈との法的安定性を欠くなどという形式議論に終始しているのは、国家にとって有益ではありません。憲法は、自衛権について何も規定していませんが、国民の幸福追求権を考えれば、決して我が国の存立を全うするため必要な措置を否定するものではありません。その基準は、「必要最小限度」の範囲内に収まるものか否かにもってひとえに懸かっているのです。」(7.19)
「法的安定性」をめぐる議論は「形式議論」で「国家にとって有益でない」と断ずる、と言うのはなかなか大胆で、「法的安定性なんて関係ない」というアケスケな言い方をしているのかどうか、という違いはあるにしろ趣旨は同じであるように思えます。谷垣幹事長の「配慮に欠ける」というのは、趣旨はいいけど言い方に気をつけろ、という意味なのでしょうか。
現在の安保法制推進派の人の中では「憲法残って国滅びる、ではいけない」というような言い方がよくなされるように、「現実に軍事的脅威があるのだからそれに対応しなければならず、そのためには憲法論議なんてしてられない」というのが、今回の「解釈変更」とそれに基づく「安保法制」の意味するところなのであり、磯崎さんはあまりにも正直に言ってしまった、ということのように思えます。
ここで、「そのような国際情勢の変化による脅威・危機は本当に存在するのか?」「存在するとしてその危機への対応策は軍事的な抑止力強化という方法をとるべきなのか?」ということも問われなければならないわけですが、それとは別の問題として、「法的安定性」「規範性」の問題、より一般化して言えば「国のかたち」をめぐる問題も問われている、ということを避けてしまうわけにはいかないように思います。
それは、「法」が論理的に示しているところに基づいて、その規範性をもって「国」が動かされていく、という基本的な「国のかたち」です。「人」(政府)が変わったら全く方針が変わってしまう、というのではなく、「法」という形で示されたものに対する合理的な判断によって基本的な方向性は決められるようにしておかなければならないし、これまではそうしてきたはずだし、それを外してしまってはいけないだろう、という問題です。
5月に他県の土地家屋調査士会の総会に伺った際に来賓で来られていた弁護士と話をしていて「安保法制」についての話になりました。その弁護士さんが言うには、「憲法について教わってきたことと全く反対のことが言われているので、理解できるわけがない」ということでした。
たしかに「憲法学者」などというのは憲法解釈の権限を持っているわけではありませんが、この弁護士さんをはじめとする多くの法曹関係者等は「憲法とはこのようなものだ」ということを教わり、それを身につけて実務にあたっています。社会のあらゆることが、「法」を基準にして動かされ、紛争が生じた時には「法」に照らして解決されることになっています。そのようなすべてを含めて「法的安定性」が問われている、ということなのだと思います。
「法律関連専門職」として無関係ではいられないことです。