本書の内容を、カバー裏から引用すると
「日本は破滅に向かっている。反知性主義は大衆のみならず、政治家にも蔓延し自分勝手な妄想に浸り、歴史を都合よく塗り替えようと必死である。一方、それを批判するリベラルは、『戦後』に落とし前をつけることができず、壊滅的な状況が続いている。なぜ、日本は思考停止に陥ってしまったのか?・・・臆することなく徹底討論。」
ということになります。読むと、内容的には共感するところも多くあるのですが、全体としての身体的な感想としては、「なんでそんなにエラそうなの?」という感じがあります。年の差約30歳の二人なので、気の合う親子が晩酌しながら意気投合して世の中全部ダメじゃん、って言い合っている、という感じを受けてしまうのですね。
・・・と、まずはケチをつけた上で、なるほど、と思ったところを紹介します。
「積極的平和主義」について。まずは、全体的な理念としては、「これからの日本人は世界市民としての自覚を持ち、その責任を果たさなければならない」ということが言われている、とします。しかし、具体的な提言になると、「日米同盟の強化こそがその実現につながる」ということになってしまっている、として「論理的なつながりがない」とします。「世界=アメリカ」という考え方で、これではダメなのだ、とするわけです。
そのように考える基礎には、世界の構造変化ということがあります。冷戦終了後、アメリカが唯一の「世界国家」になったかに見えたけれど、それも危うくなってきています。戦後の冷戦時代というのは、アメリカとソ連が「世界国家」の座を争ったものであったけど、爆発的な世界戦争にはならないまま、ソ連の崩壊で終了しました。
その意味を考え直す必要があるそうです。つまり、第一次大戦以降、戦争の性格が変わった、ということから考える必要がある、とします。昔の「国民戦争」は、自国の利害を貫こうとして対立する時の「利害調整の最終手段」で、そのようなものとして国際法上「交戦権」が認められてきたわけで、いわば、お互いに「正しい」戦争をしていた、という感覚だったけれど、第一次大戦以降、「どちらの陣営も敵国を侵略者とし、自国の戦争を自衛戦争と位置付けますから、戦争は要求を獲得するための相対的な国民戦争から、犯罪者としての敵を殲滅する絶対戦争に転化」した、というように言われます。ここから、二つの世界大戦として甚大な被害をお互いにもたらし、その上に冷戦が展開された、ということになります。
そして、冷戦が終了したのだからアメリカが唯一の「世界国家」になって、「世界=アメリカ」という姿が創られた・・・・というように考えられもするわけですが、現実はそうではないことを示しています。ウクライナや、イラク・シリア、パレスチナ(ガザ)などの最近の情勢とそれへのアメリカの対応は、逆に「アメリカによる平和」の崩壊を示しているわけです。
この「アメリカ=世界」という構造が崩壊したことを受けて、だからこそ日米同盟を強化してアジアの危機に対応しなければ、という発想が出てきているわけですが、世界の構造自体が変わってきている中での、そのような従来型発想でいいのか?・・というのが問題です。
著者(対談者)の一人である白井聡氏は、「永続敗戦論」という本の著者でもありますが(私は読んでませんが)、そのような従来の発想を越えられないことこそが「永続敗戦レジーム」なのだとします。「永続敗戦レジーム」とは、「敗戦」を「アメリカへの敗戦」として一面化してとらえ、アメリカへの愛憎半ばする感情を抱きながら、総体としては従属していく体制を指すのだと思います。
そして、このような構造は、戦後の日本社会で広く(私たちの周りでも)見られることです。「永続従属レジーム」とでもいうべきもので、戦後の特殊な条件の下で成立してきたに過ぎない構造を永続的なものであるかのようにとらえてしまうものです。これを突き破るべき若い世代においても、「ネトウヨ」的な低レベルなものに陥ってしまい、逆に「従属」を強化する方向に向かってしまったりしています。
そのようなものとして「日本劣化論」が言われなければならない、ということなのでしょう。あんまり「上から」の感じでなく考えていきたいと思わされました。