大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

どうしようか?~1.12大分シティマラソン

2015-01-09 18:22:04 | マラソン
ひさしぶりのマラソンネタです。

明日からの3連休の最終日、12日に「大分シティハーフマラソン大会」があります。私もエントリーしているのですが、さて走るようにしようか?どうしようか?迷っています。

この大会、制限時間が「2時間」の大会で、今の私には無理があるのではないか、と思ってます。

とにかく走れていません。先月は、ひざの痛みが消えなくて自重したのと、用事(「飲み事」?)が重なったのとで全然走れず、月間走行距離は「10㎞」くらいでした。

今月に入って少し走ってみたものの、一昨年の今頃と比べて1㎞あたり30秒以上は遅くなっています。皇居の周りを走っていると面白いくらいに人に抜かれてしまいます(考えてみれば、30秒くらい速くても抜かれるのは同じですが・・・)。

思えば一昨年は2時間を切るタイムで走り、「この調子で行けばフルマラソン4時間も夢ではない」と思っていたのですが、今や完全な幻想であったことが明らかになっています。去年は、最後の関門を2時間以内で通り過ぎたのでなんとかゴールまでたどり着いたものの前年より7分程遅くなって2時間を超えてしまったし、ゴール後に肩にかけられたタオルを朦朧とした状態で落としてしまうようなこともありました。今年は、さらに衰えているのではないか、と弱気にもなっています。

さて、大事を取って自重すべきか? リタイア覚悟で走ってみるか?・・・・あと二日間、考えてみます。

山香エビネマラソン

2014-05-05 15:50:31 | マラソン

昨日、「日本一山香エビネマラソン」を走ってきました。

結果は、「2時間14分」で、私のこれまでのハーフマラソン歴で最低・最悪の悲惨なものでした。10㌔前からかなりきつくなり、17㌔の給水所で止まってから、しばらく走り出すことができず、最後はなんとかフラフラになりながらゴールにたどり着く、という、実に悲惨なものでした。

この結果をもたらしたものは、はっきりしています。「日頃の練習不足」「不摂生」です。

マラソンというのは、少なくとも私たち素人レベルでは、「準備と結果」の因果関係が実にはっきりしています。準備が悪ければ、結果も悪いものになります。

この関係というのは、社会的な事柄においても、おそらく同じことが言えるのでしょう。準備が悪ければ結果も悪くなるのです。

ところが、社会的な事柄というのは、一つの原因によって結果が決まるわけではなく、他の要因も複雑に絡み合っているので、物事がうまく運ばない場合にも「準備の悪さ」という一つの原因に帰着させることはなかなかできません。言い換えればいろいろな「言い訳」が可能になります。

しかし!やっぱり、「準備が悪ければ結果が悪い」という因果関係は、厳然とあるのです。複雑な関係のなかにあって、この因果関係を解きほぐして明らかにすることが求められます。何が必要なのか?何をするべきなのか?・・・「結果」を見据えて考え、「準備」をすることが求められています。

昨日のマラソンは、実に悲惨なものでしたが、それでもゴール直後に鶏もも焼きを片手に氷水の中でキンキンに冷やされたビールを飲むと、「しあわせ~!」という気分になり、悲惨な走りを忘れさせてくれます。この、反省のなさが、おそらく次回にも同じような結果を生み出すのだろうな、と思いつつ、社会的な事柄においては、このような反省のなさを繰り返していてはいけない、とも思わされます。


読んだ本ー「癒しのランニング」(金哲彦著;講談社新書)

2014-03-21 08:49:14 | マラソン

「生きることは走ること」として、ランニングの普及に努めている「ランニング伝道師」金哲彦さんによる伝道書です。

この本では、特にランニングの「癒し」効果が説かれています。

「競技」として速く走ろうと思うのではなく、「自分自身が楽になる」ということを考えて走る、ということを勧めていて、とても共感するものです。

私自身、最近は「走りたい」と思うことが多くなりました。特に感じるのは、元来「飲みたい」という志向性の極めて強い人間なのですが、「走りたい」と「飲みたい」を比べて「走りたい」の方が勝つ、ということがしばしば(でもないか?)あることです。

本格的に走り始めて3年になるのですが(もちろん、今の状態を「本格的」と言えるのであれば、という条件付きですが)、初めのうちは、走りに行く、ということを億劫に感じていました。自らに鞭打って走りに出る、という感じです。

ある程度走っていると、後半に(5㎞くらい走ったところで)体の中から「気持いい」というのを感じるようになります。それでも、その頃は、初めの500m~1㎞くらいのところがきつく感じて、その初めの部分を考えると億劫さがなくなったわけではありません。

もう少したつと、初めのきつい部分を超スローペースで走って体に負担をかけない、というようなテクニック的な部分を含めて出だしでの億劫さもなくなってきます。ただ体があったまってきてからの「気持よさ」だけが頭に浮かぶようになりました。

「走ること」を「競技」「競争(走)」的にとらえるではなく、ただひたすら「気持ちいい」ものとして(「癒し」の面から)とらえるーということが、本書ではもうちょっと格調高く、実証的、科学的に説かれています。読んで見て、走り始めていただけると嬉しく思いますし、読まなくてもとにかく走ってみよう、と思っていただければ(かなりレベルの低い「ランニング伝道師」として)嬉しく思います。


大分シティハーフマラソン

2014-01-13 08:41:51 | マラソン

今日、「おおいたシティハーフマラソン2014」を走ります。

最近あんまり走れていません。寒さが厳しくなってきたこともあってズルズルと走らなくなってしまうのではないか、という危機感のある中、今年初のマラソン大会です。

この大会は、「2時間」という制限時間設定のあるものです。「ハーフ2時間」というのは、「ど素人ランナー」にとっては、一つの大きな関門になるものです。

去年はそれなりに走り込むことができていたので、なんとかクリアできたのですが、今年の練習不足からすると非常に厳しいと思わざるを得ません。そんな状態でどこまでやれるものなのか試してみたいと思います。

では、走ってきます!!


「走った距離は裏切らない」

2013-10-14 10:11:45 | マラソン

「走った距離は裏切らない」・・・・野口みずきさんの「マラソン名言」です。

もっとも、これはトップランナーには、当てはまらないのではないか、と言われています。野口さんをはじめとして、走り込みすぎでの負傷、ということが多くあり、「距離信仰」から脱却すべき、という意見の方が最近は強いようなのです。

・・・・が、素人ランナーには、ほぼ絶対的に当てはまる言葉で、まさに「名言」です。練習でどれだけの距離を走ったのか、ということが、本番での出来を決めるわけです。

その意味で、昨日の「筑後川マラソン」の悲惨な結果は、走る前からわかっていたことでした。

まず、結果を報告しますと、「5時間20分(くらい)」。これまで6回走った中で最悪のタイムでした。

でも、私としては、昨日のあの状態で、ゴールまでたどり着けただけで、大満足、という面もあります。少なくとも2回、「次の給水所でリタイアしよう」と固く決意しました。それでも、なんとか最後まで行けた、というのは、上出来だと思えるわけです。

走れてない、という自覚があったので、前半は、これまでとは違って「着実に抑える」ということができました。6分15秒/㎞くらいのペースで折り返しまで行きます。しかし、これは今の走力では「抑えた」とは言えないものだったようです。22㎞の給水所で一度止まってしまったら、再び走り出すことがなかなかできません。

なんとか走り出しても、どんどんきつくなり、28㎞の給水所前では、足が全く動かず、リタイアを決意しつつその機を伺っていたのですが、言い出せないまま休んでいたらなんとなく動ける感じになり、ボランティアの中学生の元気いい「頑張ってください」の声に励まされて再び走り出します。

まったく同じことを34㎞の給水所でもして、再び出発。この時点ですでに4時間20分を過ぎています。

この段階になると、走っている人は10人に1人くらい、という感じで、敗残兵の行進のような様相です。そんなことを思いつつ、自分としては、すぐ目の前しか見ずに、ただひたすら一歩ずつ前に進んで行くことだけを考えるようにしました。

そんな状態になってのゴールは、格別の感覚でした。屈辱感、情けない気分は34㎞地点に捨ててきた、という感じで、なにはともあれゴールまでたどり着いたことへの満足です。いろいろな失敗をしつつ、結局満足してしまっているのが、成長しない理由なのかもしれませんが・・・。