大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

「境界確定協議の請求権」~法制審民法・不動産登記法部会での「議論」を見て

2019-10-23 19:49:00 | 日記
今年も大きな災害がありました。お見舞い申し上げます。

随分と久しぶりの更新なのですが、少し前(前々回)に書いたことと同じことを書くことになってしまいました。
この「変り映えのなさ」は、私自身の問題でもあるでしょうが、わが業界の「変ろうとしない」姿勢(社会が変わっているし、変わることを求めているのに変わろうとしない考え方)の問題なのだと思います。

「境界確定協議の請求権」について、です。
「登記情報」誌の10月号に「司法書士・土地家屋調査士の執務と近時の法令改正・判例」という鼎談(岡田前日調連会長、加藤新太郎先生、鈴木龍介司法書士)が掲載されています。
この中で、岡田さんが次のようなことを言っています。
「加藤さんのご意見を1つ聞きたいことがあるのですけれど、先ほどちょっとお話した相隣関係のところで、境界確定協議の請求権というのが議論されているのですけれど、要は言い出しっぺが損をしないという制度というか、作りこみにしてほしいわけです。・・・境界立会いをしてくださいと頼みに行った方が何か引け目があるというか早く土地を売ってしまいたいとか、息子さんの家を早く建てたいとかいう何らかの思惑があるわけですから、本当はダメなのでしょうけれど、境界はここまで譲りますみたいなことが起こったりするのです。ほかにもハンコ料を要求されてみたり。そういうことがないようにするためにも、境界をはっきりさせることは、お互いのことだから協力し合うことが大事なのよという訓示的な規定を求めることというのは、今の世の中というか、法律的には難しいことなのでしょうか。」

・・・こういう専門誌上で、土地家屋調査士が鼎談・対談に出るとか、論文を発表する、ということはとても大事で意義のあることだと思いますので、どんどんやるべきことだと思います。極端な話、「内容はともかく」で、かなり杜撰なものでも、まぁ許そう、という気分でいるのです。でも、ここまでのことを言われてしまうと、「出て行って恥をさらすくらいなら出ない方がまし」という思いが、頭のかなりの部分を占めるようになってしまいます。
内容的に言ってもとても恥ずかしいものなのですが、それについては後で見ることにして、まずは最後の「今の世の中というか、法律的には難しいことなのでしょうか。」という、やけに弱気なところが気になります。何故こんなに弱気なのか?ということで考えてみました。
まず、初めの方で「境界確定協議の請求権というのが議論されているのですけれど」という話が出ていますが、そんなものどこで議論されているんだ?と思った方が多いのではないかと思います。土地家屋調査士業界の「世の中」の動きからかけ離れたところにいる私もそうです。
その上で、調べてみたら、ありました。法制審議会民法・不動産登記法部会という大変なところで、たしかに「境界確定協議の請求権」が「議論」の俎上に上っているようです。第4回会議(6月11日)の資料に、掲載されています。(http://www.moj.go.jp/content/001296545.pdf)。
そこでは、「問題の所在」が次のように言われています。
「土地の取引に当たっては,売買の対象となる土地の所有権の境界が明らかであり,境界紛争のない土地であることの証として,隣地との境界について隣地所有者(隣地が共有されているときは共有者の全員)の立会いを求めた上で,現地での確認結果を書面(当該確認をした者の記名押印をしたものが一般的)にし,このような書面の取り交わしによって,当該取引後の境界に関する紛争の発生を防止している。もっとも,隣地所有者が確認に応じないケースでは円滑な取引に支障を生ずることがある。
そこで,土地の所有者は,隣地所有者に対して,土地の境界を明確にするための協議を求めることができるものとし(境界確定協議請求権),隣地所有者の土地の境界の確認作業への立会いを確保する必要があるとの指摘がある。」

・・・・このような「指摘」「議論」があること自体を知らなかった私としては、誰がそんな「指摘」「議論」を始めたんだろう?ということが気になります。
実はこの資料、第4回会議に提出されたものの、いくつかある論点のうち初めの方に掲載されている論点で時間切れになり、この「境界確定協議の請求権」については取り上げられず、次の回に持ち越しになっているのですが、その持ち越しをする際に山野目委員長は、次のように言っています。
「第2の2と3のところ(「境界確定協議の請求権」)について,岡田委員におかれては,一所懸命,土地家屋調査士会の方でも御議論を積み上げておられて,御発言の用意をなさってきたかもしれません。審議の進捗がこのようなことになりましたから,次回以降に,また土地家屋調査士のお立場から御意見をおっしゃっていただければ有り難いと感ずるものでございます。」
このような山野目委員長の言いっぷりを見ると、、この「境界確定協議の請求権」については、「土地家屋調査士(会)が提起した」ということなのかと思われます。
民法・不動産登記法の抜本的な改正の検討に土地家屋調査士(会)が参加できる、というのは素晴らしいことだと思うのですが、せっかくそうなったのであれば、もう少しまともなことを言ってほしかった、というのが正直な感想です。こんなことなら、何も言わない方がまだまし、会議に呼ばれなかった方がまし、とさえ思ってしまいます。
私がそのように思うのは、この「境界確定協議の請求権」的なことについて、土地家屋調査士の世界の中で話を聞いたことはあるわけですが、そこでの問題意識は、岡田さんの言葉を借りるなら「境界立会いをしてくださいと頼みに行った方が何か引け目があるという」感覚を持っている、ということからでているものであったからです。そこでの「「境界立会いをしてくださいと頼みに行った方」というのは、依頼者の土地所有者のことであるより、依頼を受けた土地家屋調査士のことです。つまり、土地家屋調査士が隣接土地所有者に立会い依頼に行ったときに「お前は何の権限があって来たんだ?」と尋ねられた時にうまく答えられずに往生することがあるので、そんなときに水戸黄門の印籠を出すように「民法**条の境界確定協議請求権に基づいて来たんです!」と答えたい、というところからこの発想は出てきているものでした。「現状」を前提にして、「現状」に甘んじたところで、自分の都合だけを考えるような発想です。それは、土地家屋調査士の中でも、上記の隣接地権者の質問にまともに答えることができないような低レベルの者に合わせた考え方です。「現状」を変えるべき制度の問題を考えるべき時に、このような狭く卑しい考えしか出せない、というのは、本当に情けない、と思うのです。

まぁ、気を取り直して、法制審民法・不動産登記法部会の第4回会議資料に戻りましょう。
引用したのが結構前のことになってしまったので、あらためて引用し直します。
「土地の取引に当たっては,売買の対象となる土地の所有権の境界が明らかであり,境界紛争のない土地であることの証として,隣地との境界について隣地所有者(隣地が共有されているときは共有者の全員)の立会いを求めた上で,現地での確認結果を書面(当該確認をした者の記名押印をしたものが一般的)にし,このような書面の取り交わしによって,当該取引後の境界に関する紛争の発生を防止している。もっとも,隣地所有者が確認に応じないケースでは円滑な取引に支障を生ずることがある。」
これが「現状」に関する認識として示されていることです。このような「現状」は、それが現実のものなのであれば、確かにその現実を認めたうえで考えるべき前提になることではあります。その上で、その「現状」が好ましくないものなのであれば、それを変革していくための方策を考えるべき、ということになるわけです。
では、今、ここで示された「現状」というのは好ましいものなのかどうか?ということから考えてみましょう。
それにあたっては、不動産登記制度のそもそもの存在意義を考える必要があります。不動産登記法の第1条は次のように言っています。
「この法律は、不動産の表示及び不動産に関する権利を公示するための登記に関する制度について定めることにより、国民の権利の保全を図り、もって取引の安全と円滑に資することを目的とする」
このように、不動産登記(法・制度)というものは、不動産取引の安全と円滑を確保することを目的とするものです。それは、土地の境界に関する事がらにも当てはまるものです。不動産登記制度によって、土地境界に関する問題が「不動産取引の安全と円滑」を阻害することのないように、「安全と円滑」をより一層確かなものにしていかなければならないのです。そのようなものとして、私たち土地家屋調査士は、日々土地の筆界を確認して、それを登記に載せることによって公示して、「土地の境界が明らかであり、境界紛争のない土地であることの証」を立てることを自らの職責として業務を行っているわけです。
そのような不動産登記制度がありながら、土地の取引にあたって、いちいちいちいち「隣地との境界について隣地所有者(隣地が共有されているときは共有者の全員)の立会いを求めた上で,現地での確認結果を書面にし,このような書面の取り交わ」すというようなことを行わなければならないものとしてあるのだとすれば、それは、不動産登記制度の機能不全、という問題になります。したがって、この機能を十全に果たせるようにするための方策を考える必要がある、ということになるわけです。これが、このような「現状」があるのだとすれば、私たちが考え提案すべきことです。
それは、不動産登記制度の下において「筆界」を認定・認証して公示する、という機能を強化する、ということになるのだと思います。「筆界」がきちんと認定・認証されたものとして公示されていれば、それを信頼して「土地の所有権の境界が明らかであり,境界紛争のない土地であることの証」を得られる、ということになるわけだからです。
こう言うと、「それはあくまで『筆界』に関することだけであって『所有権界』に関しては、やっぱり確証できてないのではないか?」という疑問が出てくるかもしれません。この「筆界と所有権界との区別」を過大にとらえて、一種の逃げ口上のようにしてしまう傾向があるのはこまったものです。しかし、そこに概念上の区別があるにしても、あくまでも「筆界が明らかになった場合には、通常は、これが所有権界と一致するという推定が働く」「筆界を越えて所有権を取得する司法上の原因がない時は、事実上、所有権に関する紛争の解決」にもなる、というものとして「筆界」の意義があるわけです。ですから、それを公的に認定・認証・公示する機能がしっかりと働くなら、いちいち個別的な「境界確認」に頼らなくても問題が解決する、というかたちにすることができるようになるはずです。少なくとも、私たちはそれを目指すべきです。

・・・あまりにも長くなったので、先を急ぎます。
法制審民法・不動産部会の第4回会議に出された資料は、「境界確定協議の請求権」についての検討として、まず、次のように言います。
「(1)境界確定協議請求権は,隣地所有者に境界の確認作業への立会いを義務付けるものとすることが考えられるが,例えば遠方に居住している隣地所有者にも立会いを義務付けることが相当か,隣地所有者が単に立ち会うだけでは境界を確定することができないため,立ち会った上で具体的にどのようなことを行う義務を隣地所有者に負わせるか(立ち会った隣地所有者が,どこが境界なのかは分からないと答えたケースや何も言わずに境界を接する他の土地所有者の言い分を聞き置いたケースをどのように考えるか)などについて,検討する必要がある。」
まったくもって、もっともな指摘です。先の「登記情報」誌の鼎談では、岡田さんは「言い出しっぺが損をしない」ようにする必要がある、ということを理由に「境界確定協議の請求権」を確立すべし、と言っていたわけですが、「協議に応じる」「立会に来る」だけでは問題が解決するわけではない、ということが指摘されています。ここで「どこが境界なのかは分からないと答えたケース」が想定されていますが、現在の所有者不明土地問題が示しているのは、境界がどこかわからないどころが土地そのものがどこにあるのかもわからない所有者が増えてきている、ということなのであり、そのような人を「立会」「境界確定協議」に引っ張り出す方策を考えても、問題の解決には何ら資するものではない、ということがしっかりと指摘されています。

次に
「(2)また,隣地所有者が境界確定協議請求を受けてもこれに応じず,立ち会わなかった場合の効果を検討する必要がある。」

として、「境界確定協議の請求権」という「権利があるのだとしたら、その請求に応じないときに何が変わるのか?ということを考える必要があるよ、ということが考えられます。
いくつかのことが想定されているのですが、それはいずれも「特に変わるようにはできないんじゃないの」という結論になっています。
たとえば、
「 まず,境界確定作業に立ち会わなかった土地所有者は,作業に立ち会った土地所有者が確認した境界を承認したものとみなすなどして,所有権の境界について異議を述べる機会を失わせることが考えられるが,立会いをしなかっただけで土地所有権の範囲を争う機会を喪失させるのは効果として重きに失するとも考えられる。」
といった具合です。こういうことを考えることはできるが、やっぱダメだよね、というような展開です。

第5回の会議でこの問題がどのように議論されたのか、議事録がまだできていないということで分かりはしないのですが、この資料を見ただけでも「境界確定協議の請求権」という問題設定そのものが「無理筋」だよね、ということが、かなりあからさまに示されている、と言えるでしょう。おそらく、大した議論にもならないまま、「却下」的に終息した、ということなのかと思います。岡田さんが弱気の発言をせざるを得なくなったのは、そういうことなのでしょう。

・・・その他、言いたいことはいろいろあるのですが、すでに十分以長くなってしまったので終わりにします。最後に繰り返しになりますが、所有者不明土地問題に表れている不動産登記制度の機能不全という現状を克服・改革するために何が必要ななのか?ということを、現場で身をもって知っている立場から、しっかりと発言・提案していかなければならない、という課題はまだあるわけですから、他のより有意義な論点で議論が進んでいくことを期待したいと思います。