前回、「筆界特定と異なる判断が裁判所によってなされた事例」のことについて書きました。繰り返しますがこのことに関する検討はとても大事です。
それは、「筆界の位置がどこであるのかを探求する」ということの「精度を上げる」ために必要だからです。
「精度を上げる」と言うと、「測量精度」的なことを思い浮かべる人が多いのではないか、と思いますが、私の言いたいのはそういうことではなく、「妥当性を上げる」「正当性を上げる」ということであり、それは「説得力を上げる」ことになり、ひいては「信頼度を上げる」ことになる、という意味合いのことです。
それは、裁判所が行う判断のあり方をしっかりと把握したうえで、それの足りないところを補いうるようなものにしなければならない、ということでもあります。そのようなものとして「筆界特定と異なる判断が裁判所によってなされた事例」に関する検討がとても大事だと思うのです。
そのような課題について、前回予告したように、今月号の「登記研究」誌(856号)に掲載されている新井克己先生の連載「Q&A不動産表示登記」の38回目中の「Q195」として「分筆登記の地積測量図によって分筆地の筆界は確定するのか」という設題と解答について、関連するところがあり、重要な問題を含んでいると思いましたので、今日はそれについて書きます。(できることなら、ここで以降の私のブログを読むのをいったん止めて、「登記研究」誌(856号)を読んでみてください。そこで考えて、明日にでも以降のものを読んでいただければ、ありがたいと思います。)
はじめに、この設題のどういうところを重要だと思ったのか、ということを含めて、基本的な視点について書いておきます。
「筆界特定と異なる判断が裁判所によってなされた事例」を考えると、具体的な事案における当否の問題は別にして、「筆界特定の判断基準」と「裁判の判断基準」に、具体的なことを超えた違いがあるのではないか、と思えます。
それは、裁判(司法)における判断というのは、あくまでも個別の事案の解決に資することを目的意識としているのに対して、筆界特定を行う法務局をはじめとする行政的な判断というのは、全般的な、あるいは統一的な(あるいは画一的な)解決を目指すものとしてあるのだろう、ということです。
・・・ということで、ようやく本題。
「分筆登記の地積測量図によって分筆地の筆界は確定するのか」?という設題に対する新井先生の結論的な解答は、「分筆の登記がされたからといって、分筆地とその隣接地との間の既存の筆界が確定されるわけではない」と言われています。
このこと自体は、「境界の確定」ということがきわめて法的には狭く解釈されるべきものとされていて、筆界特定でさえ確定するものではない、とされていることを前提にするなら、きわめて当たり前の答えだ、ということになります。分筆登記が行われ絵地積測量図に「既存の筆界」の記載があったとしても、後日それが誤っていることが明らかになったのであれば、以降それに拘束されなければならないわけではなく、正しいと認定された筆界をもって爾後の登記手続きを進めればいい、というのは極めて当たり前の妥当な「解答」です。しかし、このようなことは「分筆登記の地積測量図」に限ったことではありません。筆界特定だって、その判断に誤りがあるとされれば筆界確定訴訟でひっくり返されるわけですし、筆界確定訴訟の下級審判決だって上訴審でひっくり返されることはあるわけです。まさに「確定判決」が決まるまで、筆界が「確定」するわけではない、というのは、その通りだと言えばその通りであるけれど、ほぼ何も言っていないのと同じようなことです。
しかし、「境界確定」という言葉は、このような厳密な意味において使用されているだけではありません。たとえば、国有財産法では「境界確定の協議」ということが言われています。そして、この「境界確定の協議」は、戦前のように行政処分として境界(筆界)そのものを確定させる効力があるわけではなく、私人間の契約と同様なものであると解されているものであり、「境界確定訴訟の確定判決によってのみ確定する」というような狭い意味とは異なるものとして使用されています。
このように、さまざまな意味で「確定」ということが使われる、ということを踏まえて、さて、設題に対して「確定するわけではない」という回答を出すべきなのか?ということを考えると、疑問です。
たしかに「法的確定」という位相においては「確定」するものではない、のだとしても、他の位相、ここでの問題としては「分筆登記の地積測量図」の属する位相=不動産登記のステージにおいては「確定」するものとして理解し、取り扱うべきなのではないのか、と思います。
そのあたりのことを以下書いていくのですが、とりあえず直接的な感覚として言えば、少なくとも、「まったく確定しない」とするのだとすると、私たちは日々何のために仕事をしているのだろう?ということになってしまいます。分筆をして、地積測量図を備え付けることによって、その土地の境界が将来にわたって安定する、というものとして私たちは仕事をしているはずです。少なくとも、大分のような田舎でも一つの分筆登記をするためには40~50万円の費用が掛かってしまう、ということのなかで、その費用に見合った効果を生じさせるべきなのは、当然の職業上の責務なのだと思います。(さらについでに言うと、土地を分筆するために土地所有者にこれほどの負担を強いる現在の日本の制度自体について、私たちはついつい当たり前のことのように思ってしまいますが、考えてみるとずいぶんなことだと思えるはずです。そんな土地の管理・境界の管理は「公」の責任において行うべきものだろうと思える・・・という話ですが、本題と離れて行ってしまうのでこの辺で終わります。)
問題は次のようなことです。
このような場合において、筆界はどこの位置にあるものとして考えるべきか?というのが問題です。
この問題な二つに分かれます。
A.一つは、既存の筆界である「1番」と「2番」の筆界はどこにあるのか?(すなわち「イーロ」なのか、「イ´-ロ´」なのか?
B.もう一つは、この分筆によって創設された筆界は、どこの位置にあるのか?(すなわち「A-B」にあるのか?そうでないのか?)
ということです。
この問題についての新井先生の解答は、次のものです。
私なりに整理すると、新井先生の解答は、次のようになります。
A.「1番」と「2番」の筆界はどこにあるのか?・・・については、後から正しいことが判明した「イーロ」が「1番」と「2番」の筆界であり、分筆の際に確認した「イ´-ロ´」は単に誤認したものなので全然関係ない。
B.分筆によって創設した筆界は「A―B」なのだから、その「移動」は認められない。つまり、
というように、新たに正しいと認められた「イーロ」を前提として、当初の分筆をした際の地積である200㎡を確保するような分筆線「A´―B´」を分筆線だとすることは認められない、ということです。
しかし、この解答には、私は疑問を抱きます。
「筆界の移動は認められない」と言われています。しかし、何をもって「移動した」ということが言えるのでしょうか?分筆によって創設された筆界の位置がはっきりしたものでなければ、そもそも「移動」ということは言えません。
おそらく、分筆した位置である「A」点、「B」点に境界標が設置されている、とか、分筆した位置である「A―B」が復元可能な座標を持つ線として公示されている、というようなことが、分筆によって創設された「A-B」を確固たるものにしていて、だからそこからの「移動」は認められない、というようなこととして想定されているのかと思われます。
しかし、たとえば、分筆登記をおこなったのが、そもそも数量指示の分筆で、分筆はしたものの特に利用されはしたが境界標も何の工作物も設置されておらず、分筆の地積測量図は復元性のない三斜のものであった、というような場合であったらどうなのでしょうか?
このような場合において、「2番2」がどこにあるのか?その筆界はどこにあるのかわからない、ということで、筆界特定の手続なり筆界確定訴訟を行ったりした場合には、「1番との筆界」の位置をまず明らかにして(「イ―ロ」ということになるでしょう。、そしてそこから200㎡を画する「A´‐B´」が2番2と2番1との筆界、すなわち分筆によって創設された筆界なのだ、ということとして判断をすることになるのではないか、と思われます。何も、「A―B」が「不動」で、そこからの「移動」がない、と決めつけられるべきものではないように思えます。
ですから、「分筆したのはA-Bなのだからそこから筆界は移動できない」ということを、どんな場合にも通用する不動の解答であるかのようにしてしまうのは、ちょっと違うのではないか、と思えるのです。
もっとも、「そんな変な事例を想定しているわけではない。「A‐B」には境界標が設置されている、とか、復元可能な座標を持つ線として公示されている、ということが前提であり、そのうえで「筆界は移動しない」ということを言っているのだ」との反論がなされるかもしれません。
しかし、もしもそうであるのなら、「A‐B」だけでなく、「イ´―ロ´」についても「境界標が設置されたり、復元可能な座標を持つ線として公示されていることになるはずです。その場合、たとえそれが「1番と2番との筆界」ということではないとしても、「2番2の筆界」を示すものであることには間違いない、と言うべきでしょう。その意義を、ほとんど何の意味もないようなものにしてしまって、「イ‐ロが正しいのだからそれで地積更正をしろ」というのは、あまりにも分筆登記という手続きの意義を軽んじるものであるように思えて仕方ありません。
もしも、分筆の際に「イ´―ロ´」としたのが間違いだったとしても、そこを「2番2の西側の筆界だ」としたことの意味を踏まえて、「イ´―ロ´―ロ―イ―イ´」で囲まれたは「もともとは2番の土地の範囲内なのだから言わば2番3だ」ということになる、というような考え方をも示してもいいように思えます。
なお、新井先生の大著「公図と境界」では、このように考える考え方を「飛地分割説」として、今回「正しい」としている処理方法を「地積更正説」とするのとともに示していて(そのほかにもう一つ「分筆錯誤説」をも挙げて)、「いずれによっても差し支えないであろう」とされています(P359-361)。
今回、なぜ「飛地分割説」がなくなり、「地積更正説」だけになってしまったのか理由は不明ですが、「諸説並び立つ」形から「これひとつが正解」へと絞り込んでしまう、ということは、「進化」なのではなく「退化」なのではないか、と思います。「多元主義」から「一元主義」へ、というような感じで、「一元」が好きな「行政」的立場にふさわしいのかもしれませんが、本来は、諸説が並び立つ、ということだけでなく、当該分筆がどのような性格のものだったのか・・・先に挙げたように相続だとか売買だとかで「200㎡」という数量が重要なものだった場合もあるでしょうし、特定の位置での分筆ということだった場合もあるでしょうし、分筆後にどのような経緯をたどっているのか、ということもさまざまあるでしょうから、それらの場合分けに応じた適切な処理をするようにする、という判断の仕方をすることが重要になるのではないか、と思います。
いわば「司法」的な判断の仕方で、これは、前回書いた「筆界特定と裁判での判断の仕方の相違」ということにも結び付くことであり、まさに「筆界特定」や「表示に関する登記」における実務が、現実の土地境界問題に関する解決能力を持ち、それを発揮することができるものなのかどうか?ということを問われるような問題であると言うべきなのだと思います。
それは、「筆界の位置がどこであるのかを探求する」ということの「精度を上げる」ために必要だからです。
「精度を上げる」と言うと、「測量精度」的なことを思い浮かべる人が多いのではないか、と思いますが、私の言いたいのはそういうことではなく、「妥当性を上げる」「正当性を上げる」ということであり、それは「説得力を上げる」ことになり、ひいては「信頼度を上げる」ことになる、という意味合いのことです。
それは、裁判所が行う判断のあり方をしっかりと把握したうえで、それの足りないところを補いうるようなものにしなければならない、ということでもあります。そのようなものとして「筆界特定と異なる判断が裁判所によってなされた事例」に関する検討がとても大事だと思うのです。
そのような課題について、前回予告したように、今月号の「登記研究」誌(856号)に掲載されている新井克己先生の連載「Q&A不動産表示登記」の38回目中の「Q195」として「分筆登記の地積測量図によって分筆地の筆界は確定するのか」という設題と解答について、関連するところがあり、重要な問題を含んでいると思いましたので、今日はそれについて書きます。(できることなら、ここで以降の私のブログを読むのをいったん止めて、「登記研究」誌(856号)を読んでみてください。そこで考えて、明日にでも以降のものを読んでいただければ、ありがたいと思います。)
はじめに、この設題のどういうところを重要だと思ったのか、ということを含めて、基本的な視点について書いておきます。
「筆界特定と異なる判断が裁判所によってなされた事例」を考えると、具体的な事案における当否の問題は別にして、「筆界特定の判断基準」と「裁判の判断基準」に、具体的なことを超えた違いがあるのではないか、と思えます。
それは、裁判(司法)における判断というのは、あくまでも個別の事案の解決に資することを目的意識としているのに対して、筆界特定を行う法務局をはじめとする行政的な判断というのは、全般的な、あるいは統一的な(あるいは画一的な)解決を目指すものとしてあるのだろう、ということです。
・・・ということで、ようやく本題。
「分筆登記の地積測量図によって分筆地の筆界は確定するのか」?という設題に対する新井先生の結論的な解答は、「分筆の登記がされたからといって、分筆地とその隣接地との間の既存の筆界が確定されるわけではない」と言われています。
このこと自体は、「境界の確定」ということがきわめて法的には狭く解釈されるべきものとされていて、筆界特定でさえ確定するものではない、とされていることを前提にするなら、きわめて当たり前の答えだ、ということになります。分筆登記が行われ絵地積測量図に「既存の筆界」の記載があったとしても、後日それが誤っていることが明らかになったのであれば、以降それに拘束されなければならないわけではなく、正しいと認定された筆界をもって爾後の登記手続きを進めればいい、というのは極めて当たり前の妥当な「解答」です。しかし、このようなことは「分筆登記の地積測量図」に限ったことではありません。筆界特定だって、その判断に誤りがあるとされれば筆界確定訴訟でひっくり返されるわけですし、筆界確定訴訟の下級審判決だって上訴審でひっくり返されることはあるわけです。まさに「確定判決」が決まるまで、筆界が「確定」するわけではない、というのは、その通りだと言えばその通りであるけれど、ほぼ何も言っていないのと同じようなことです。
しかし、「境界確定」という言葉は、このような厳密な意味において使用されているだけではありません。たとえば、国有財産法では「境界確定の協議」ということが言われています。そして、この「境界確定の協議」は、戦前のように行政処分として境界(筆界)そのものを確定させる効力があるわけではなく、私人間の契約と同様なものであると解されているものであり、「境界確定訴訟の確定判決によってのみ確定する」というような狭い意味とは異なるものとして使用されています。
このように、さまざまな意味で「確定」ということが使われる、ということを踏まえて、さて、設題に対して「確定するわけではない」という回答を出すべきなのか?ということを考えると、疑問です。
たしかに「法的確定」という位相においては「確定」するものではない、のだとしても、他の位相、ここでの問題としては「分筆登記の地積測量図」の属する位相=不動産登記のステージにおいては「確定」するものとして理解し、取り扱うべきなのではないのか、と思います。
そのあたりのことを以下書いていくのですが、とりあえず直接的な感覚として言えば、少なくとも、「まったく確定しない」とするのだとすると、私たちは日々何のために仕事をしているのだろう?ということになってしまいます。分筆をして、地積測量図を備え付けることによって、その土地の境界が将来にわたって安定する、というものとして私たちは仕事をしているはずです。少なくとも、大分のような田舎でも一つの分筆登記をするためには40~50万円の費用が掛かってしまう、ということのなかで、その費用に見合った効果を生じさせるべきなのは、当然の職業上の責務なのだと思います。(さらについでに言うと、土地を分筆するために土地所有者にこれほどの負担を強いる現在の日本の制度自体について、私たちはついつい当たり前のことのように思ってしまいますが、考えてみるとずいぶんなことだと思えるはずです。そんな土地の管理・境界の管理は「公」の責任において行うべきものだろうと思える・・・という話ですが、本題と離れて行ってしまうのでこの辺で終わります。)
問題は次のようなことです。
「「図1において、旧不動産登記法当時、2番の土地(900㎡)を2番1及び同番2の各土地に分筆する分筆登記(以下,本問において「本件分筆登記」という。)が経由されている。本件分筆登記に関する地積測量図には,2番1及び同番2の各土地は,次のように求積されている。
① 2番2の土地(以下, 本問において「本件分筆地」という。)は,イ'・ロ'・B・A・イ´の各点を順次直線で結んだ範囲を求積(200rd)
②2番1の土地(以下, 本問において「本件分筆残地」という。)は差引計算(旧不登準則123条ただし書)による求積(700㎡〉
ところが,2番の土地の筆界は,イ・ロ・ハ・二・イの各点を順次直線で結んだ範囲(900㎡)であった。すなわち,2番の土地と1番の土地との筆界は,イ・ロの各点を直線で結んだ線であるところ,本件分筆登記申請時において,これをイ'・ロ'の各点を直線で結んだ線であると誤認したものである。」
① 2番2の土地(以下, 本問において「本件分筆地」という。)は,イ'・ロ'・B・A・イ´の各点を順次直線で結んだ範囲を求積(200rd)
②2番1の土地(以下, 本問において「本件分筆残地」という。)は差引計算(旧不登準則123条ただし書)による求積(700㎡〉
ところが,2番の土地の筆界は,イ・ロ・ハ・二・イの各点を順次直線で結んだ範囲(900㎡)であった。すなわち,2番の土地と1番の土地との筆界は,イ・ロの各点を直線で結んだ線であるところ,本件分筆登記申請時において,これをイ'・ロ'の各点を直線で結んだ線であると誤認したものである。」
このような場合において、筆界はどこの位置にあるものとして考えるべきか?というのが問題です。
この問題な二つに分かれます。
A.一つは、既存の筆界である「1番」と「2番」の筆界はどこにあるのか?(すなわち「イーロ」なのか、「イ´-ロ´」なのか?
B.もう一つは、この分筆によって創設された筆界は、どこの位置にあるのか?(すなわち「A-B」にあるのか?そうでないのか?)
ということです。
この問題についての新井先生の解答は、次のものです。
「分筆の登記がされたからといって,本件分筆地の境界(イ´・ロ'・B・A・イ'の各点を順次直線で結んだ範囲)及び本件分筆残地の境界(A・B・ハ・二・Aの各点を順次直線で結んだ範囲)が公認されるわけではない(甲府地方裁判所昭和53年5月31日・訟務月報24巻8号1609ページ)。
本件分筆登記によって,2番2の土地と1番の土地との筆界の認定に誤りがあった(イ・ロの各点を直線で結んだ線とすべきをイ'・ロ'の各点を直線で結んだ線と認定)結果,登記記録(不登法2条5号)上の地積(200㎡)が実際の地積(300m2)と齪翻することになったのであるから,地積更正の登記(同法38条)によって,これを是正すれば足りることになる。」
「この場合、2番2の土地の登記記録上の地積を確保して,本件分筆線をA'・B'の各点を直線で結んだ線に移動する是正方法(図2参照)は,筆界を移動することになるから,認められない。」
本件分筆登記によって,2番2の土地と1番の土地との筆界の認定に誤りがあった(イ・ロの各点を直線で結んだ線とすべきをイ'・ロ'の各点を直線で結んだ線と認定)結果,登記記録(不登法2条5号)上の地積(200㎡)が実際の地積(300m2)と齪翻することになったのであるから,地積更正の登記(同法38条)によって,これを是正すれば足りることになる。」
「この場合、2番2の土地の登記記録上の地積を確保して,本件分筆線をA'・B'の各点を直線で結んだ線に移動する是正方法(図2参照)は,筆界を移動することになるから,認められない。」
私なりに整理すると、新井先生の解答は、次のようになります。
A.「1番」と「2番」の筆界はどこにあるのか?・・・については、後から正しいことが判明した「イーロ」が「1番」と「2番」の筆界であり、分筆の際に確認した「イ´-ロ´」は単に誤認したものなので全然関係ない。
B.分筆によって創設した筆界は「A―B」なのだから、その「移動」は認められない。つまり、
というように、新たに正しいと認められた「イーロ」を前提として、当初の分筆をした際の地積である200㎡を確保するような分筆線「A´―B´」を分筆線だとすることは認められない、ということです。
しかし、この解答には、私は疑問を抱きます。
「筆界の移動は認められない」と言われています。しかし、何をもって「移動した」ということが言えるのでしょうか?分筆によって創設された筆界の位置がはっきりしたものでなければ、そもそも「移動」ということは言えません。
おそらく、分筆した位置である「A」点、「B」点に境界標が設置されている、とか、分筆した位置である「A―B」が復元可能な座標を持つ線として公示されている、というようなことが、分筆によって創設された「A-B」を確固たるものにしていて、だからそこからの「移動」は認められない、というようなこととして想定されているのかと思われます。
しかし、たとえば、分筆登記をおこなったのが、そもそも数量指示の分筆で、分筆はしたものの特に利用されはしたが境界標も何の工作物も設置されておらず、分筆の地積測量図は復元性のない三斜のものであった、というような場合であったらどうなのでしょうか?
このような場合において、「2番2」がどこにあるのか?その筆界はどこにあるのかわからない、ということで、筆界特定の手続なり筆界確定訴訟を行ったりした場合には、「1番との筆界」の位置をまず明らかにして(「イ―ロ」ということになるでしょう。、そしてそこから200㎡を画する「A´‐B´」が2番2と2番1との筆界、すなわち分筆によって創設された筆界なのだ、ということとして判断をすることになるのではないか、と思われます。何も、「A―B」が「不動」で、そこからの「移動」がない、と決めつけられるべきものではないように思えます。
ですから、「分筆したのはA-Bなのだからそこから筆界は移動できない」ということを、どんな場合にも通用する不動の解答であるかのようにしてしまうのは、ちょっと違うのではないか、と思えるのです。
もっとも、「そんな変な事例を想定しているわけではない。「A‐B」には境界標が設置されている、とか、復元可能な座標を持つ線として公示されている、ということが前提であり、そのうえで「筆界は移動しない」ということを言っているのだ」との反論がなされるかもしれません。
しかし、もしもそうであるのなら、「A‐B」だけでなく、「イ´―ロ´」についても「境界標が設置されたり、復元可能な座標を持つ線として公示されていることになるはずです。その場合、たとえそれが「1番と2番との筆界」ということではないとしても、「2番2の筆界」を示すものであることには間違いない、と言うべきでしょう。その意義を、ほとんど何の意味もないようなものにしてしまって、「イ‐ロが正しいのだからそれで地積更正をしろ」というのは、あまりにも分筆登記という手続きの意義を軽んじるものであるように思えて仕方ありません。
もしも、分筆の際に「イ´―ロ´」としたのが間違いだったとしても、そこを「2番2の西側の筆界だ」としたことの意味を踏まえて、「イ´―ロ´―ロ―イ―イ´」で囲まれたは「もともとは2番の土地の範囲内なのだから言わば2番3だ」ということになる、というような考え方をも示してもいいように思えます。
なお、新井先生の大著「公図と境界」では、このように考える考え方を「飛地分割説」として、今回「正しい」としている処理方法を「地積更正説」とするのとともに示していて(そのほかにもう一つ「分筆錯誤説」をも挙げて)、「いずれによっても差し支えないであろう」とされています(P359-361)。
今回、なぜ「飛地分割説」がなくなり、「地積更正説」だけになってしまったのか理由は不明ですが、「諸説並び立つ」形から「これひとつが正解」へと絞り込んでしまう、ということは、「進化」なのではなく「退化」なのではないか、と思います。「多元主義」から「一元主義」へ、というような感じで、「一元」が好きな「行政」的立場にふさわしいのかもしれませんが、本来は、諸説が並び立つ、ということだけでなく、当該分筆がどのような性格のものだったのか・・・先に挙げたように相続だとか売買だとかで「200㎡」という数量が重要なものだった場合もあるでしょうし、特定の位置での分筆ということだった場合もあるでしょうし、分筆後にどのような経緯をたどっているのか、ということもさまざまあるでしょうから、それらの場合分けに応じた適切な処理をするようにする、という判断の仕方をすることが重要になるのではないか、と思います。
いわば「司法」的な判断の仕方で、これは、前回書いた「筆界特定と裁判での判断の仕方の相違」ということにも結び付くことであり、まさに「筆界特定」や「表示に関する登記」における実務が、現実の土地境界問題に関する解決能力を持ち、それを発揮することができるものなのかどうか?ということを問われるような問題であると言うべきなのだと思います。