大分の土地家屋調査士ブログ

「土地家屋調査士の業務と制度」を中心に、それに広い意味で関連する様々なことについて一人の人間として思うところを書きます。

「会長声明」

2018-05-30 19:28:34 | 日記
日調連の岡田会長が、「会長声明(所有者不明土地・空き家問題解決へ向けて)」を出して「5月1日に連合会ウェブサイト(http://www.chosashi.or.jp/)において公開しました」との連絡が各会に来た、ということで、私もその「会長声明」を見てみました。
「5月1日」に公表されたものに関する連絡が「5月28日」に来る、というのはどうしてなのか?と思うところもありますが、まぁ、それはいいでしょう。

内容について見る前に、この「会長声明」というものについて少し考えました。
日調連においては、「会長声明」というものが発出されたことはほとんど(まったく?)ありません。しかし、「会長声明」を必要に応じて出していく、というのは、私はとてもいいことだと思います。今回、初めて(?)出したのを皮切りに、今後も継続していくべきものなのだと思います。

このような「会長声明」は、他の資格者団体においては、よく利用されています。
たとえば日弁連では、ごく最近のものだけをあげても、次のようなものが出されています。
2018年05月22日 災害救助法の一部を改正する法律の早期成立及び被災者支援制度の早期の抜本的な改善を求める会長声明
2018年05月15日 新たな「外国人材の受入れ」制度の創設に関する会長声明
2018年04月27日 「特定複合観光施設区域整備法案」の国会上程に反対し、廃案を求める会長声明
2018年04月20日 少年の実名・顔写真報道を受けての会長声明
2018年04月20日公文書改ざんの再発防止を含む適切な公文書管理の徹底を求める会長声明
2018年04月11日 最低賃金額の大幅な引上げを求める会長声明
また、日司連でも
2018年(平成30年)01月22日 精神保健及び精神障害者福祉に関する法律の一部を改正する法律案の再提出に反対する会長声明
2018年(平成30年)03月07日 「株式会社の不正使用防止のための公証人の活用」に関する会長声明
2018年(平成30年)03月11日 東日本大震災から7年-被災地・被災者支援の継続を-(会長声明)
2018年(平成30年)03月16日 東京電力福島第一原子力発電所事故から7年-さらなる支援継続へ-(会長声明)
2018年(平成30年)04月13日熊本震災から二年に寄せる(会長声明)
と、かなりのペースで「会長声明」が出されています。
両会とも「会長声明」とは別に「会長談話」というものも出していて、使い分けがなされているようです。
使い分け方は、日弁連においてより明確で、法律の制定、制度の創設、社会的な事態などに対する日弁連の賛否などの態度・意見を表明して社会に対して訴えかけるときに「会長声明」という形で公表しているのだと思います。
今、「日弁連の賛否などの態度・意見」と書きましたが、もちろん直接的には「会長声明」という名前の通り「会長の意見」が表明されているわけですが、その前提としては、その問題に関する「委員会」などでの討議を踏まえた意見を、必ずしも「理事会決議」などの機関手続を経なくても表明できるものとして、「会長声明」という形がとられているのだと思います。
日調連においても、そのようなものとしての「会長声明」が、今後も必要に応じて出されていく、というのは、大変いいことだと思うわけです。

ところが、この実際に出された「会長声明(所有者不明土地・空き家問題解決へ向けて)」を見ると、はたしてそのような位置づけなのか何なのか?・・・・わからないなぁ・・・、という気分になってしまいます。
(全文については、上記ウェブサイトを見てください。)
「会長声明」は、冒頭、次のように言います。
「平成30年3月9日、政府は「所有者不明土地の利用の円滑化等に関する特別措置法案」を閣議決定した。『所有者不明土地問題』への対策をめぐる動きは、社会的にも更に加速することが確実な情勢である。」
冒頭から、何故こんな評論家的な言い方になるの?と思います。「法案の閣議決定」を最初に言ったのであれば、それに対する自分の立場・意見をまず言うべきでしょう。「この法案は、国民の権利を踏みにじるもので不当なもので反対である」とか「この法案は所有者不明土地問題の解決へ向けた一歩を踏み出す重要な法案であり支持する。早期成立を願う」とかの(もちろん後者なのでしょうが)態度・意見を明らかにするべきなのです。「そんなこと言わなくても政府の方針に反対するわけないじゃないか」と思う人もいるかもしれませんが、そういうところが「調査士界」のダメなところだと、私は思います。
「会長声明」は、次に、全体の3分の2の分量を費やして次のようなことを言います。
「土地家屋調査士には・・・この問題に先鞭をつけた存在として、大きな期待が寄せられている」
というようなことです。そこで言われている自画自賛については事の真偽を含めてもう少し考える余地があるように思えますがそれはさておき、そもそもこんなことは「会長声明」で社会に対して言うべきことではありません。言わば「大きな期待が寄せられている」ことは当たり前の前提としたうえで「その期待に応えていくこと」が表明されるべきことになるのであり、そのために何が必要なのか、ということを明らかにして社会に訴えるのが「会長声明」の役割であるはずなです。しかしこの「会長声明」の文面を見る限りまったく明らかになっておらず、そのかけらも見えません。要するに、この「会長声明」は「社会に対するもの」ではなく、「身内に対するもの」(それも自画自賛の)になってしまっているのです。これでは「会長声明」を出す意味がない、と言うべきでしょう。
「会長声明」は、最後に次のように言って締めくくっています。
「当連合会は、深刻な社会問題である『所有者不明土地問題』と『空き家問題』の解決に資する国家資格者団体として、関係機関・団体との連携を図り国の施策への提言を積極的に行うなどこれまで以上に問題解決へ全力で取り組んでいく所存であり、一丁目一番地の施策と位置付けて対応することを表明し、会長声明とする。」
つまり、この「会長声明」は、しょっぱなの「決意表明」であるわけです。それはそれで意味がないわけではない、ともいえるかもしれませんが、具体的な問題にかんする具体的な態度・意見が表明されている日弁連などのものとくらべて、いささか情けなく心許ない、との印象を禁じ得ないところです。「初めてのことだから仕方ない」と言うわけにもいきませんが、そう思うようにして、今後の改善を期待するしかないのでしょうね。
(なお、蛇足的に言うと、「一丁目一番地の施策」などという訳のわからない言い方はしないほうがいいですね。「最も大きな動機」「最重要の課題」を示す(のであろう)俗流表現を使っていると、それこそ「一丁目一番地」がどこにあるのかわからない、という「所在不明土地問題」に陥ってしまいます。)
コメント

観た映画―「虎狼の血」

2018-05-23 19:50:02 | 日記
ヤクザ映画を観ました、という話を書く前振りみたいに書くのは失礼だし、けっしてそういう意味ではないのですが、今日、大分県公嘱協会の公開セミナーで山野目章夫早大教授の講義を聞いた話をまず書きます。
「所有者不明土地」問題について、特に「所有者不明土地特措法」について、とてもホットなお話を聞けて、とても勉強になりました。なにしろ、昨日衆議院国土建設委員以下の審議に参考人として出席されてきた翌日の話、ということで、このような機会を得られることはめったにないことなのだと感謝に堪えないところです。(帰ってから、衆議院の審議状況を観てみました。たしかに山野目教授が、今日の3時間の話の要点を9分間で話していただいていて、この要点を聞くとあらためて今日の話が理解できる、というものです。是非見てみてください。http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=48180&media_type=)
いろいろと勉強になったことがあるのですが、特に(本題とはちょっと離れますが)二つのことが印象的だったので、それについて。
一つは、「所有者不明」の場合の「収用」に関するところで、所有者を探索する方法について、旧来「地域の有力者や古老から聞く」とされているものについて、(いろいろと気に食わないところがある、とされ(そのことにとっても同意し)たうえで)今の時代にはそのような「フィールドワーク」ではなく「デスクワーク」で考えるべきだ、とされていたことです。本当にそうで、「フィールドワーク」が「デスクワーク」よりも優位なものとみなされてきたことについては、特殊な歴史的事情があるのであり、それが失われた今は、逆説的に聞こえるかもしれませんが、「フィールドワークよりデスクワーク」というべきなのだと思います。
もう一つは、それこそ本題から離れる話ですが、「土地家屋調査士民族主義」を批判されていたことです。所有者不明土地問題から、「分筆をしようとする土地の隣接地の所有者が不明だった時にどうするのか?」という問題が当然に起きるわけですが、そのときに旧来の「隣接地所有者との立会による確認」ということにこだわると隘路にはまり込んでしまって、「どうにかしてくれ」という話になります。「土地家屋調査士の立会要請権の確立要求」というような話になるわけです。しかし、これはまったく的を外した話で、自分の都合によって物事を考えることの誤りだ、とされた指摘は(そのことに関わってきた者としてとても痛いし)、その通りだと再確認できるのでした。
・・・というような傍論を含めて、勉強になったお話しでした。



・・・という話をした後で書くのも気まずいのですが、そこは気にせず「本題」である「観た映画」について。
週刊誌の提灯記事に「これが『仁義なき戦い』への東映の答えだ」というような見出しで紹介されていたので、「仁義なき戦い世代」(?)の私としては観ておかなければ、ということで観ました。概要の紹介を「作品紹介」から引用すると次のものです。
昭和63年。暴力団対策法成立直前の広島・呉原―。そこは、未だ暴力団組織が割拠し、新たに進出してきた広島の巨大組織・五十子会系の「加古村組」と地場の暴力団「尾谷組」との抗争の火種が燻り始めていた。そんな中、「加古村組」関連企業の金融会社社員が失踪する。失踪を殺人事件と見たマル暴のベテラン刑事・大上と新人刑事・日岡は事件解決の為に奔走するが、やくざの抗争が正義も愛も金も、すべてを呑み込んでいく……。警察組織の目論み、大上自身に向けられた黒い疑惑、様々な欲望をもむき出しにして、暴力団と警察を巻き込んだ血で血を洗う報復合戦が起ころうとしていた……。

初めに内容とは関係のない「興行面」のことを書きますと、私が観た回は、130席の劇場で、観客4人。それも皆「仁義なき戦い世代」ですから「シニア料金」で最高でも4400円の「興行収入」です。日本映画は大丈夫なのだろうか?と、「万引き家族」のカンヌ最優秀賞受賞後も気にかかるところです。

この不安は、内容にも及びます。これが「東映の『仁義なき戦い』への答え」なのだとしたら、どうにも情けない。少なくとも、この映画が対応するのは「仁義なき戦い」ではなく「アウトレイジ」であるように思えます。
まず似ているのが、「過剰な暴力」です。次に、この「過剰な暴力」がもたらすもの、という面もあるのですが「リアリズムの欠如」です。そして、「リアリズムの欠如」というのは、社会的現実を見つめていない、ということでもあり、それは「社会性の欠如」の原因でもあり結果でもある、と言えるものでしょう。
まったくの娯楽映画ですから、「社会性」など求めていない、と言ってしまえばそれまでですが、「現実」っぽい人たちが織りなすことを描くのがヤクザ映画ですから(昔「実録もの」というジャンルもありました)、あまりにも「現実」を踏まえない絵空事が過ぎるとシラケてしまうのです。
たとえば、まずこれはできの悪い娯楽映画においても普通はなされていることで、めちゃくちゃなことをする人間(この映画で言えば大上刑事)は、なぜそこまでめちゃくちゃをするのか、ということが普通は描かれるのですが(それがわざとらしくてウザったい、ということもありますが)、本作ではそれがありません。多分、わざとそうした、ということなのかと思いますが(それが「アウトレイジ」との類似点です)、それって微妙で難しいところから逃げただけなんじゃないかな、と思えてしまいます。
もっとも、「何故クズになったのか?」という社会的背景が問題になった時代と、トップ官僚たちもクズになって行くのが当たり前の今とでは、問題になることがそもそも違うのかもしれません。
他にも・・・、と挙げていくといくつかあるのですが、どうしても「ネタバレ」的になって今うので、この辺にしておきます。つまらない映画だったな、と思いつつ、考えさせられるところのあるものではありました。


コメント

筆界特定について考えた②・・・筆界特定登記官

2018-05-17 19:37:18 | 日記
今日の夜7時のニュースは、一番目に「旧優生保護法による不妊手術への提訴」、二番目に「日大アメフト部の悪質反則行為」、三番目に「西城秀樹死去」でした。
たしかに「旧優生保護法による不妊手術」問題は大きな問題であり、これがトップニュースになることには異存はないのですが、それ以降については、どうなのかな?と思います。たしかに「西城秀樹死去」は同い年の私にとって文字通り「他人事ではない」ことですし、日大アメフトの悪質反則についてもいろいろと考えるところがあり、言いたいことはたくさんあるのですが、しかし、北朝鮮問題が大きく取り上げられるならともかく、比較的「平穏」だった日に、「国内政治」(特に「加計・森友」)がニュースのトップ3にも入らず、それに優先して伝えられなければならないことなのかな?と思います。
こういう日々を続けているうちに、みんな忘れてしまい、忘れたころに「選挙」をして、・・・また同じようなことが繰り返されていくのでしょうか?

・・・が、それはさておき、前回書いた「筆界特定について考えた」ことの続きを書きます。

(3)筆界特定登記官・補助職員
「筆界調査委員の位置づけ低下」にともなって「筆界特定登記官(を含む法務局職員)」の相対的上昇がもたらされます。これは、そもそも制度そのものが「境界確定制度」から「筆界特定制度」へとトーンダウンしている中での相対的上昇です。たとえて言えば、サッカーのJ1のチームで補欠だった選手がJFLのチームの主力選手になった、というような感じでしょうか。
元々、「要綱案」において「境界確定を行う行政庁」を「登記官」としたのは、次のような理由付けによります。
① 登記官には,もともと管轄 する土地の分筆又は合筆により新たな土地の区画を形成する登記をする権限があり,
② 登記所には,地図,地図に準ずる図面(いわゆる「公図」)及び地積測量図等,境界を確定する 上で有益な資料が豊富に備え付けられているほか,
③ 登記官は,表示に関する登記事務の様々な場面で現地の境界を確認する作業を行っており,境界の確認について知見と経験を有すること
です。たしかに、「登記官」以外に、他に適当な「境界確定を行う行政庁」があるとは思えないので、消去法で「登記官」ということになるのは妥当なのだと思いますが、それにしてもこの理由付けはあまり説得的なものではありません。①の「土地の区画を形成する登記をする権限」と言っても何ら実質的なものではありませんし、②登記所に有益な資料が豊富にあるからと言ってそれを有益に利用しうるとは限りません。そして③は、事実の問題、実態として言えば「嘘」に類することです。実際に「現地の境界を確認する作業」を行っているのは土地家屋調査士であり、登記官はその「報告」を受けるにすぎないものだったからです。
ですから、「境界確定を行う行政庁」として「境界確定登記官」を置くのは消去法で仕方ないとしつつ、実質的な判断をするものは「境界確定委員会」だとした制度設計は、妥当なものであった、ということができるわけです。
筆界特定制度においても、基本的な構造としてはこれを引き継ぎつつ、細部の手直しにより、「筆界調査委員の位置づけ低下」と「筆界特定登記官(を含む法務局職員)」の相対的上昇がもたらされたわけですが、「筆界特定登記官」の主体的な資質・能力ということに変化があったわけではありません。
したがって、いきなりの地位上昇にあたっては、はたしてその職責を十全に果たしうるのか、という心配を伴うことになったと言えるでしょう。ここにおいて筆界調査委員は、その不安に備え補うものとみなされたということなのかと思います。
制度発足当初は、ここに一種のもたれあいの構造ができたように見えます。一方に、「筆界特定」をおこなうという「権限」を持ちつつ十分な調査・判断の経験がなく、したがって権限の行使に及び腰の筆界特定登記官、他方に「様々な場面で現地の境界を確認する作業を行っており,境界の確認について知見と経験を有する」ものとして筆界調査委員になっているが、その職責をどこまで行使するべきかについて及び腰になっている土地家屋調査士、という双方の及び腰によるもたれあいです。
この傾向は、制度発足からしばらくの間、全国的に見られ、それが二つの結果をもたらしたと言えるように思えます。
一つは、手続の事件処理の遅れです。双方ともに一歩前に踏み込ま(め)ないために手続の遅滞が生じてしまった、という形です。これが当初の手続きの遅れとして問題になり、「筆界調査委員」側にこれと言った改善が見られずにいる一方、「筆界特定登記官」側では「どうにかしなくてはならない」という切迫した必要性があり、したがってそれなりの対応策をとるとともに、筆界特定事案の蓄積によってそれなりに自信をつけて処理しうると思えるようになった、ということにより積極的なリードがなされるようになり、今日においては一応の解決を見ている(「標準処理期間」内での処理ができるようになっている)と言えるのだと思います。
そしてこれがもう一つの「内容的な問題」につながります。
これについては、「筆界特定を行った事案についての裁判例の動向」(宮崎康文、塚田佳代)という報告(「登記情報」誌2016.8。「登記研究」誌2016.7)を見ると、その傾向を理解できるものとなっています。この報告は、「法務局の筆界特定登記官が行った筆界特定とは異なる線をもって境界を確定した裁判例」を6件を紹介しているもので、要するに筆界特定が誤った判断をした事例が紹介されているものです。この問題を突き詰めると「そもそも筆界とは何か?」という話になりますが、さしあたり表に出てきている問題で言うと、次の二点が問題になります。
一つは、現状の占有状態にかんする評価の問題であり、筆界特定においては「現況主義」批判の一知半解や「筆界と所有権界との峻別」論などから、これを過小に評価する傾向があります。
そしてもう一つには、「既存書面(図面)資料の過大評価」ということがあります。既に登記所に備え付けられている資料の誤りを認めることを回避したり、既往の「筆界確認」の前歴などを無批判に絶対視してしまう傾向です。そもそも筆界特定を必要としているような事案においては、既存の諸資料が相互に矛盾していることによって直ちに判断がつかない、という場合が多くあるわけですが、そのような矛盾のなかにおいて「登記所の資料は正しい」「登記所が最近行った措置は正しい」として、その他の資料を「誤りだ」としてしまうような傾向があるように思えます。このような傾向というのは、土地家屋調査士においてもあるものなのかもしれませんが、「登記官」においてより顕著であり、ここから、「現況」「占有状態」を軽視して、既存資料を重視する偏向が生まれているのではないか、と思えるのです。
このような傾向というのは、すでに問題にされており(だからこそ、「筆界特定を行った事案についての裁判例の動向」というレポートもなされているわけですから)、やがて克服されていくべきものとしてある、と(一応は)言えるのでしょう。
しかし、ここでも問題は二つあります。
一つは、このような「克服の過程」に対して、土地家屋調査士がほぼ何らの関与も出来ずにいることです。本来リードすべきものとしてあった土地家屋調査士がリードされまくりであり、かつては「頼もしい外部専門家」だったものが、今や「使い倒すべき下請」になってしまっていることです。
もう一つは、この「克服」をきちんとするためには、「筆界」に関する理解を、これまでのものから大きく抜け出すことが必要になるわけなのですが、その準備はほとんどなしえていない、ということです。
次回(少し間があくと思いますが)は、その問題について考えるようにしたいと思います。
コメント

「筆界特定」について考えた①・・・「事件数」「筆界調査委員」

2018-05-09 20:38:01 | 日記
「ゴールデンウィーク」があったもので、久しぶりになります。
「9連休」をしっかりと休んだ上で、「休み明け」にも休み続けて今日に至っていて、すっかりふやけきった感じでおります。

そのような中ですが、筆界特定制度について少し考えたので、何度も言ってきたことを含めて書くようにします。

筆界特定制度が出来て12年以上が過ぎました。全体として順調に推移して、すっかり定着した制度になった、と言えると思います。私としては、この制度の全体については、概ね肯定的な評価をしています。「この程度のものでよかった」「このくらいのことしかできないのではないか」というような、なかが諦めムードということもありますが、その上で肯定的に受け止めている、ということです。
と言いつつ、いろいろ思うところもありますので、かねて思ってきた幾つかの疑問について書くことにします。

(1)事件数
筆界特定の申請事件数は、きれいに概ね年間2500件というところで推移しています(2007年以降の10年で合計25083件で、最低が2302件、最高が2690件)。
この件数について、制度発足当初「予想をはるかに超える件数」ということが言われました。制度設計をした人たちにとっては、この実際の件数が「予想をはるかに超える」ものであったわけです。ということは、それなりの「予想」があり、その「予想」に基づいて具体的な制度設計がなされたわけですから、そのように設計された制度が現実に対応しきれないところもあった、ということになります。その意味で、古い話をほじくり返すように思えるかもしれませんが、少し考えてみたいと思います。
さて、この事前の「予想」ですが、その根拠として言われているのは「それまでの境界確定訴訟の年間件数が1000件ほどだった」ということです。だから筆界特定も年間1000件くらいだろう、と「予想」していた、というわけです。
しかし、これはおかしな話で、「境界確定訴訟」というものが敷居の高い使いづらいものであることが筆界特定制度創設の一つの理由とされているわけですから、使い勝手のいいものにすることによってその利用件数が増加する、ということは当然に考えられて然るべきものだったのだと思います。まぁ、「せいぜい50%増くらいだと思っていたら250%とは!?」という話なのかもしれませんが・・。
今言ったことは、筆界特定制度を「境界紛争解決の制度」としての面から考えたものです。ところが,筆界特定制度というのは、単に「境界紛争解決の制度」としてのみとらえられるべきものではありません。それは、筆界特定制度が不動産登記法のなかに規定されて創設されたものであることに端的に示されているように「不動産登記制度上の制度」でもあるわけです。
これは、私たち土地家屋調査士が実務のなかでいやというほどに知っていることですが、たとえば一筆の土地を分筆しようとするとき、その一筆の土地の四囲の「筆界」を「認定」することができないと、原則として分筆登記を行うことができないものとされています(私は、このこと自体ずいぶん不当に過大なな要求だな、と思っており、よくみんな文句を言わないものだな、と思っていますが・・・)。そして、その「筆界の認定」は、「これまでの登記官の筆界の認定は、基本的には相隣接する土地の双方の所有者の確認が得られた旨の資料の提供がなければ、筆界の認定が困難であるとして処理していたのが実情」だというものです。したがって、土地の所有者が自己の所有地を分筆しようと思っても、隣接する土地の所有者の「確認」が得られないとすることができない、というのが「基本的」な姿であったわけであり、実務上の解決すべき問題としてあったわけです。
これは、「登記実務」の世界では「あたりまえ」のように思われていることですが、少なくとも「理論的」にはおかしなことです。「筆界」というのは「公法上の境界」であって「客観的に固有」なものですでに存在しているものであるわけですから(これ自体におかしなところがあるのだと今は思いますが、それはさておき)、隣接する土地の所有者の「確認」が得られないと「認定」することができない(どこにあるのだかわからない)、というのはおかしな話であるわけです。「そんなこと、公的に筆界を定めたという国の責任じゃないか!?」という話です。
「筆界特定」という制度は、不動産登記上のこの実務的な課題と理論的な矛盾を解決する必要があって作られた、という事なのかと思います。
ここで初めの「申請件数」の話に戻れば、「紛争解決」だけでなく「不動産登記」からの必要性を担うものとして誕生した筆界特定制度へのニーズが「年間2500件」くらいに「高い」というのは、言わば当たり前のことだととらえるべきものだ、ということになるでしょう。むしろ、年間40万件ほどの分筆登記がなされている中で((2007年以降の10年で合計約440万件、年平均44万件ですが、こちらの方は2007年の50万件から2016年の38万件へと着実な右肩下がり傾向(23%減)を示しています)、筆界特定件数がその約0.5%というのは、少ない方だと言えるのだと思います。

(2)筆界調査委員
年間2500件の筆界特定件数について、私としてはむしろ少なすぎるくらいのものだと思っているのですが、そのようになっている理由の一つとして「土地家屋調査士の関与の不十分性」ということがあるように思っています。
土地家屋調査士の筆界特定制度への関与については、「代理人としての関与」と「筆界調査委員としての関与」があるものとなっています。
このうちの「代理人としての関与」が、この「少ない事件数」にかかわることであり、問題はたくさんあるように思えるのですが、信仰の都合上それはまた別の機会に譲るとして「筆界調査委員としての関与」の方について考えることにします。
まずは「筆界調査委員」についておさらいをしておきますと・・・「筆界調査委員」は、「筆界特定のために必要な事実の調査を行う」ためのものとして選任されるもので、調査の結果として筆界特定登記官にたいして「筆界特定についての意見を提出」することを職務としているものであり、筆界特定登記官はその意見を「踏まえ」て筆界特定をするものとされています。このように「筆界調査委員」は、「筆界特定登記官のために職権で調査し、意見を提出する機関」だとされています。これを私なりに整理すると、筆界特定手続の中における「調査機関」であるとともに、「(準)判断機関」としての位置づけだ、ということになります。
・・今、「(準)判断機関」という言い方をしたのですが、ここに大きな問題があります。「(準)」が付くところの問題です。
その点を見るために、「筆界特定制度」の創設に至る過程で一時有力な「案」としてだされた「新たな境界確定制度の創設に関する要綱案」との比較でみることにしましょう。「要綱案」においては、「筆界調査委員」ではなく「境界確定委員会」という委員会組織が設置されることになっていました。この「境界確定委員会」は「委員3人以上をもって構成する合議体」とされ、「委員は、弁護士、土地家屋調査士等のなかから任命することが考えられる」ものとされており、「調査を終えたときは、境界確定登記官に対し、境界確定についての意見を提出しなければならない」とされるものでした。
この「境界確定委員会」の意見を踏まえて「境界確定登記官」が「境界確定」をする、というのは同じですが、「境界確定委員会」の構成内容や職務権限から、またこの「境界確定」が「現地において改めて境界を形成することにより、境界を確定する行為」であり「行政処分」性を有するものであって「適正手続」性がより要求されるものであることを含めて、「境界確定委員会の意見」は極めて重く尊重されるものとして位置付けられていた、とすることができるでしょう。
先に使った用語で言うなら、「境界確定員会」は境界確定手続における「調査機関」であるとともに限りなく「(準)」をとりのぞいた「判断機関」としても位置付けられていた、と言えるわけです。
現行筆界特定制度における「筆界調査委員」は、このように、先行する「案」における類似機関に比べて、そもそも権限縮小されたものとしてある、というのがまず一ついえることです。ただそれにしても筆界特定制度が「外部の専門家の意見を踏まえて特定する制度」だとして特徴づけられていることからも明らかなように、法的に、あるいは制度的に見て「筆界調査委員」の位置づけは決して低いものではない、ということも言えます。
しかし、その上で、この12年間の経過を見てみると、「筆界調査委員」の現実上の位置づけはどんどん低下させられていったように見えてなりません。「要綱案」における「期日」の主宰者が「境界確定委員会」であったものから「筆界特定登記官」に変更されたことは法的規定の問題としていたしかたないとして(と言うか、このような形で「低下」が法的に規定されたことの延長線上で、ということなのかとも思いますが)、「筆界調査委員の現地調査」も「筆界特定登記官の現地調査」であるかのようにして行われたり、「筆界調査委員の意見」の内容への介入がなされたり、といった様々な問題が、「制度」の問題ではなく「運用」の問題として進んだわけです。
このことがそもそも目論まれたものであるのかどうかはともかくとして、一方当事者である筆界調査委員(である土地家屋調査士)の主体的な問題としてある、としてとらえておかなくてはならないでしょう。
これは、筆界特定登記官(法務局)の側から、くり返し「筆界調査委員の意見書の簡略化」が追求されたことにも現れています。「筆界調査委員に難しい意見書を書かせようと思うといつまでたっても筆界特定できない」ということで、「調査報告」と大して変わらない様式への穴埋めをする形で「意見書」ができるようにして法的形式上の手続きが済んだものとして筆界特定登記官による筆界特定に進んでしまおう、というものです。まったくなめられたものです。しかし、それは仕方ないことだった、と言うしかありません。筆界調査委員=土地家屋調査士の側が、「きちんとした意見書を書いて提出する」ということを行ってこなかったからであり、そのための技量の向上に努めてこなかったからおきてしまったことだからです。

・・・と、とりとめのない話が長くなりました。以下は「次回以降」ということにして、さしあたり「筆界特定登記官・補助職員」「筆界認定」といったことについて思うところを書くようにしたいと思います。
コメント