大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

観た映画―「スノーデン」

2017-01-31 10:13:02 | 日記
先週末、映画「スノーデン」を観ました。

アメリカの元CIA、NSA職員で、「アメリカ政府が対テロ諜報活動の名のもと、世界中のメール、チャット、SNSを監視し、膨大な情報を収集している実態を暴露」(映画公式HP)して、「スパイ」の嫌疑をかけられて「亡命」状態にあるエドワード・スノーデンを描いた「実録もの」映画です。

この映画を観ようと思った直接的なきっかけは、監督であるオリバー・ストーンが新聞のインタビュー記事(朝日新聞1.24)で、この映画の製作に当たっては
「米国のどの映画スタジオにも断られ、大変でした。彼らの多くは政府と関係があり、政府の何かを踏んでしまうのを恐れて自己規制したのだと思います。制作にはとても困難を伴い、なんとか配給会社は見つかりましたが、小さな会社です」
と答えていたのを見たからです。そんな映画なので大分では上映がないだろうと思っていたら、各県1館では上映があるようです。ありがたい時代になったものだと思います。(もっとも1週間だけの上映なので、今週には終わってしまいます。)

映画の内容が「基本的に実話」なのだとすると、アメリカ政府による情報収集は恐るべきものとしてある、というのが、(映画への感想としてはいかがかとも思いますが)とにかく感想の第一です。インターネットでつながって、私たちが様々な情報にアクセスできる状態というのは、逆に優れた能力を持つ巨大な組織からすると私たちを丸裸にできる状態なのだ、ということが、映像によってリアリティを感じさせられる形で示されています。とにかく恐ろしい・・・。

映画の内容は、主にスノーデン氏からの聞き取りに基づいているようなので、自分を美化していたり、自己弁護が過ぎているところもあるのかもしれません。しかし、それを差し引いても、自らの安全を省みずに、「国家犯罪」とも言うべきものに対して、一人で立ち向かい、公然とその非を追及する姿には感心させられます。しかもそれが、ごく保守的な考えをもつ「オタク」みたいな青年だということに、将来への明るい希望を見るような思いもしました。

ところで、この映画をみるきっかけとなったオリバー・ストーン監督のインタビュー記事は「トランプ政権への期待」と題されたものでした。
「米軍を撤退させて介入主義が弱まり、自国経済を機能させてインフラを改善させるならすばらしいことです。これまで米国は自国経済に対処せず、多くが貧困層です。自国民を大事にしていません。ある面では自由放任主義かと思えば、別の面では規制が過剰です。トランプ氏もそう指摘しており、その点でも彼に賛成です」
と言っているのですが、トランプ就任以来の子供じみた暴走ぶりを見ていると、このような「好意的」な見方は裏切られているとしか言いようがないように思います。

それにしても
「ヒラリー・クリントン氏が勝っていれば危険だったと感じていました。彼女は本来の意味でのリベラルではないのです。米国による新世界秩序を欲し、そのためには他国の体制を変えるのがよいと信じていると思います。ロシアを敵視し、非常に攻撃的。彼女が大統領になっていたら世界中で戦争や爆撃が増え、軍事費の浪費に陥っていたでしょう。第3次大戦の可能性さえあったと考えます」
と言っている部分には、今回のアメリカ大統領選挙が「キングコブラvsガラガラヘビ」の対決だったこと、だからこそトランプの勝利と言う本来あり得ないことも起きてしまったということを思い知らされました。

映画を観た後、現実に戻ると、映画の中の「非現実性」が、より増幅して目の前に現れたように感じて、ほのかな明るい希望も消えてしまう感じです・・・。

「土地家屋調査士制度グランドデザイン」

2017-01-23 18:55:39 | 日記
先週、土地家屋調査士会の全国会長会議が行われた、ということです。私自身はもちろん出席していないのですが、資料類をみせてもらいました。

その中に「土地家屋調査士制度グランドデザイン(案)」というものがありましたので、それについて書きます。(これらの資料は全国の各会に送られているものですので、関心のある方は各会に問い合わせてみてください。)


この「グランドデザイン」については、この2年間ほど検討が行われてきたもの、ということです。その検討に当たった人たちはよく知っている人たちですし、優秀で真面目な人たちであることも知っているのですが、少なくともこの「案」としてまとめられたものを見る限りにおいては「土地家屋調査士制度のグランドデザイン」なるものを描こうとすること自体に無理があり、ただ「グランドデザインは描けない」ということを自白してしまっただけのもののように思えてしまいました。・・・内容を見て行ってみましょう。

冒頭で
「地籍制度全体が検討されている時代に、登記制度を基盤にした土地家屋調査士制度だけが変わらないでいられるはずがない。」
と言われています。問題の立て方がちょっとおかしいような気もするのですが、それはさておき、確かに「変わらないでいられるはずがない」というのは確かだと思います。

「グローバリゼーションが進む中で生き残るためには、なぜ日本には土地家屋調査士が必要かを説明する必要がある。その説明が合理的でなければ、今のままの土地家屋調査士は生き残ることができないであろう」
とも言われています。「グローバリゼーション」が根本的な理由のように言われるのはちょっと違うように思いますが、「なぜ日本には土地家屋調査士が必要か」を明らかにする必要がある、というのは確かにその通りなのだと思います。そうでなければ「生き残ることができない」というのもその通りです。

しかし、この「生き残る」ということについては
「日本土地家屋調査士会連合会としては、どんな時代になっても、専門家として土地家屋調査士が生き延びる方策を考えていかなければならない。」
とも言われています。「土地家屋調査士が生き延びる方策」が必ず考えられなければならないものとされているわけです。

しかし、そうなのでしょうか?それが出発点にある、ということがおかしいのだと思います。
目指すべきものは「土地家屋調査士が生き延びること」に置くべきなのではなく、「土地家屋調査士が社会的に有意義な存在としてあること」に置くべきです。もちろん、「社会的に有意義な存在としてあること」が実現できるのであれば「生き延びる」こともできることになるでしょうが、それは結果としてのことであり、「生き延びること」を目的として置く、というのは違うのです。

最近流行りの言葉で言うと「土地家屋調査士ファースト」の考え方、ということになるのでしょうが、それは、「既得権益保持であり、「土地家屋調査士エゴ」になってしまうのです。そして、そのように振舞っていると、社会的にはじきとばされてしまうことにもなります。

実際、「グランドデザイン」の内容を見ていると、その名称の意味する「壮大な」ものにはなっておらず、極めて手前味噌で我田引水的なものが目についてしまいます。
たとえば、「土地家屋調査士は、不動産に関するすべての情報を土地家屋調査士、明確化しうる唯一の国家資格者である」というようなことが言われていますが、その根拠は何でしょう?それこそ「合理的説明」が求められるのだと思いますが、論証なしの言いっぱなしです(単に筆が滑っただけなのかもしれませんが)。
一方で、土地家屋調査士の世界に広がる「不都合な真実」に目を向けながら、それらを正面から問題にし続けてしまうと身も蓋もないようなことになってしまうので途中でやめてしまって、「土地家屋調査士の強みは、測量能力を生かした調査と法律判断である」などという、全く実証されない言い古された自画自賛で集約してしまっているのは、いささか残念です。

自分たちが生き残ることを目的にして「グランドデザイン」を描こうとする、という発想法そのものを改めないと、本当の意味での壮大な設計はできないのだと、つくづく思いました。



2017年が明けて・・・

2017-01-15 15:36:32 | 日記
新しい年が明けても、ニュースでしょっちゅうトランプ次期米大統領の顔を見なければならない日が続いています。本当にアメリカの大統領になるわけですからしょうがないことですが、国内ニュースだけでも辟易している上に国際ニュースも観るたびに暗い気分になってきます。

それにしても、いろいろな意味でトランプの勝因の一つとして「マスメディアの責任」が言われているのにもかかわらず、なお改まっていないのは何故?と思ってしまいます。

最近のニュースとしては、「フォードがメキシコ移転を中止」・・・・といったことをさぞ大ニュースであるかのように報道している、ということがあります。それによって800人の雇用が維持されたのだそうです。

「フォードの800人」のように、アメリカ国家の最高権力者が個別企業の方針にくちばしを突っ込む、というのはどうなのでしょう?これは「良し悪し」の問題としてではなく、スケールの問題として言うことです(もちろん「良し悪し」の問題としては「悪し」でしょうが)。
これは、たとえて言えば日調連の会長がどこかの町役場に行って50万円の分筆登記の仕事を取ってきた、ということよりもけち臭い話です。そんなことがあたかも「成果」だとされるようなことは、とーっても小さな私たちの世界でもないことなのに、世界中でそんなことを問題にして一喜一憂している、というのは、おかしな姿だと言うしかありません。

「政治」の役割というのは、こんな風に小さい個別的な事柄をめぐる「利益誘導」を行うことにあるわけではないはずです。もっと構造的なものを動かすべきものであるはずです。グローバル企業の「強欲資本主義」が格差を生み出し、「中間層の崩壊」をもたらしているのであれば、その構造を変えていくことを「政治」の課題にするべきなのでしょう。それをせずに、個別企業の海外移転を阻止して「800人」を問題にすることは、根本的な問題を回避するゴマカシにすぎない、というべきでしょう。
このようなゴマカシは、さらに手の込んだ形で、量的にも膨らまされて行っている(「アマゾンの10万人」のように)ようですが、問題が見せかけの「量」にあるわけはないことは、はっきりしています。

もっとも、トランプ大統領が構造的なものを変革していくとすると、それがかえって悪い結果を生み出すことになる危険の方が大きいのかもしれません。その意味では、チマチマとした個別的な「雇用確保の実績」くらいでお茶を濁していられるのであれば、その方がマシなのかもしれません。
同様のことは、私たちの狭い世界にも言えることですが・・・。

新しい年―2017年

2017-01-05 11:42:52 | 日記
新しい年、2017年が明けました。おめでとうございます。

私自身は、年賀状を出す、ということを数年前にやめてしまったため、新年のご挨拶をするのは、この場になります。年賀状をいただいた皆様には、失礼ながらお許しください。

年末年始をのんびり過ごしたのですが、その中でもトランプ大統領の誕生するこの2017年の初めに「今年の展望」をどのように描けばいいのか、考え込んでしまいました。

そんな中、新聞で興味深い記事を見ました。
「博報堂生活総合研究所の定点観測調査によると、「日本の現状はこの先も、とくに変化はない」と見る人は昨年54%で、9年前より22ポイントも増えた。さらに身の回りで「楽しいことが多い」人が増え、「いやなことが多い」人は減った。」(朝日新聞1月3日)
というのです。

記事の中では、「成長」を追い求めるのではない「定常社会」の兆しとして好意的に紹介されていましたし、確かにこれが本当なら日本はアメリカのようにトランプ大統領を生み出すこともなく「特に変化なく」進んでいけるのかもしれません。(私には、日本ではすでに「トランプ的なもの」が緩やかに導入済みなだけのようにも思えますが・・・。)

「この先も、とくに変化はない」とい考え方は、わが業界においても支配的な考え方であるように思えます。昨日と同じように今日があり、今日あるように明日もある。明後日も・・・、という考え方であり、これは人間の普通の考え方なのかもしれません。

しかし、先の記事にあるように、今では半分以上の人がそう考えているにしても、「9年前」には3分の2の人がそうは考えていなかったわけです。アメリカで、そしてヨーロッパで、中東で、そしてまたお隣の韓国で大きな変化が起きていて、今年それがさらに大きくなることが確実に予測できる今にあっても「この先も、とくに変化はない」と考えているのだとしたら、それはあまりにも能天気なのではないか、と思ってしまいます。

今年は、将来の「世界史」の教科書には「大転換の年」と書かれるような年になるのではないか、と思います。そんな新しい年を、しっかりと過ごしていかなければ、と思います。
本年もよろしくお願いします。