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mitumine 夢幻庵日記

夢うつつで過ごしている日々、趣味の絵・旅行・写真・ハイキング・読書などを写真を交えて気ままに記しています。

友人たちと、越前ガニに舌鼓-2泊の蟹づくしの旅-

2015-02-07 14:32:46 | 旅行

友人4人と妻の6人で、4日から越前町の”旅館浜富”に2泊して蟹料理を満喫してきた。

東京駅11:33の新幹線に乗り、米原で北陸線に乗り換え武生で下車、旅館迎えの車で3:30頃には到着した。

 

目の前が越前海岸、シーズンにはダイバーたちで賑わうという、玄関から眺め

 

 

ロビーにある越前かに取扱店認証、かに料理、部屋からの夕焼け

 

  

翌日行った”紙の文化博物館”と創立40周年記念作品

 

特別史跡 一乗谷朝倉氏遺跡-1467年に朝倉孝景から5代103年間越前の中心として繁栄(1573年に織田信長に滅ぼされた)したという

 


友人たちとカンボジア旅行を楽しんだ

2015-01-23 10:50:27 | 旅行

友人二人・妻の4人で16日(金)から、C社の「アンコール遺跡群を年代順に見学!感動の世界遺産アンコールワット5日間」に参加した。

総勢20人のツアーで、シュムリアップのホテルに3連泊で移動が少なくて楽だった。当日空港7時半集合だったので、15日は成田のエアーポートレストハウスに前泊した。空港内のホテルなので、目の前が空港という好条件。翌日ハノイ乗り継ぎで、夜8時頃ホテル(ANGOKOR RESORT &SPA)に到着。

 

17日は、〈9世紀~10世紀の遺跡群〉ロリュオス遺跡群のバコン、バンティアスレイ、東メボン等を見た後、宮廷舞踊を楽しんだ。

 

 

 

翌18日は、アンコールトム、アンコールワットを見学した。ワットでは、聖なる場所弟三回廊の急な階段と人混みに驚いた。

 

 

最後の見学日は、タ・プロム寺院で、1186年建立だがその後カジュマルの木に埋もれていたところ、その様子は圧巻だった。

 

帰りもハノイ乗り継ぎで、20日6時半頃成田に着いた。

 

《雑感》

あのポルポト時代(1975-79年)の大虐殺を経て、30数年で良くここまで立ち直ったものと感慨深い。観光地のトイレは清潔(水洗)だった。ホテルも素晴らしい設備だった。

現地ガイドによると、生活は横ばい、平均月収は60米ドルくらい(観光地では米ドルが普通に通用-現地通貨は必要ない)で楽ではないし仕事も少ないという。プノンペン周辺には工業団地もあり外国企業も立地しているが現地人は月収70ドルくらいで食費が一日3ドル節約しても2ドルはかかり食べるのがやっとという状態だという。

学校は午前午後の2部制で、学制はほぼ日本とおなじらしい。街を一歩離れると小さい子供は裸足で遊んでいる。学校に行かないときは、観光客に絵はがき(10枚1ドル)などを売り歩いている。観光客目当てのお土産売りの大人 も目につく。

移動手段は自転車、とりわけバイクが普及していて一台に家族全員4人くらいは乗って走っている。自動車の隣をバイクが行列していて、見ていても危なそうに見える。免許は要らないという。乗用車は金持ちだけと云っていた。道路も幹線は舗装されているが他は悪路も多いし、観光地は道幅も狭いので小さいバスに乗り換えていくことが多かった。

荷台のあるタクシーにあふれるほどの人を乗せているのも目についた。シクロ(125ccのバイクにリヤカーを付けたようなもの)一台日本円にして30万円ほどするという。一日の稼ぎは20ドルほどだという。生活は苦しそうだが、人口構成は日本と逆で子供が多いという。この国の未来は明るい。現地人の人柄も穏やかなな感じの人が多いようだった。楽しい旅だった。



 


妻と、紅葉狩り(三峯山、昇仙峡、八方尾根)を楽しんだ

2014-10-31 18:59:49 | 旅行

28日から2泊で、マイカーで三峯神社-140号雁坂トンネルで甲府市(「積翠寺温泉 坐忘庵」泊)へ、 翌日昇仙峡を観てから白馬村の「山の郷ホテル白馬ひふみ」に泊-翌日八方尾根の第二ケルンへ行ってから帰途。走行距離は650km程だった。

二泊とも、食事も美味しく温泉も大満足だった。紅葉は、三峯では見頃、昇仙峡は少し早いかな、八方尾根は既に終わりでホテル周辺が見頃といった感じだった。

三峯神社鳥居付近

昇仙峡覚円峰は未だ早い

団右衛門碑付近は見頃

八方尾根からの白馬三山(左から白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳)

 

 

 


妻と、沖縄旅行へ行ってきた

2014-04-13 12:56:16 | 旅行
先月31日から4日まで、那覇市のロワジールホテルに4泊して観光を楽しんだ。

★ 31日(月) 羽田を14時半にANA機で那覇まで2時間半ほど。空港からモノレールとタクシーでホテルに18時過ぎに到着。


  
ゆいレール、ロワジールホテル、11階の部屋からの那覇港の眺め

★ 1日(火) 雨模様なのでタクシーで県立博物館と美術館を見学。近くで沖縄そばを食べて国際通りを散策してホテルへ帰った。

 
立派な博物館と美術館。博物館は出土品・歴史・文化・自然・習俗など多岐にわたる展示が充実していて見応えがあった。一方美術館は郷土の作家の展示だったが、こちらは小規模な展示だった。イリオモテヤマネコの展示


お昼に食べた沖縄そばは、麺は中華風で豚肉が入っている。同じようなのでソーキそばは骨付きのは入っていた。味はなじみがなくて、日本そばが恋しくなった。翌日の観光バスの昼食も同じものだった。

 
国際通りは賑わっていた、今年完成したという那覇市役所


ホテルのロビーに隣接してオオゴマダラ蝶園があり、黄金に輝く蛹と蝶が見られた。説明によると日本最大の蝶でゆったり飛ぶという。理由は毒のある食餌で成虫になってもそれがあるので鳥などには襲われないのでゆったり飛ぶのだという。

★ 2日(水) 那覇バスの定期観光バス(約8時間のAコース-首里城・旧海軍司令部壕・ひめゆりの塔・平和記念公園・沖縄ワールド-)に乗って観光した。

この日は、沖縄戦の悲惨な様子を見聞きし(若いガイドさんの説明、ヒメユリの塔や資料館など)、ヤマトンチュウの一人として慚愧に堪えない思いに駆られた。それにつけても現内閣が戦争を出来る国を目指して、解釈改憲などの禁じ手を使ってまでもして進めているのには、不信の念をぬぐえない。戦争に行くのは若い人たちなのに、先日の都知事選でも国家主義思想の人に60万票も入り、その多くは若い人だったという。多くの人が沖縄の戦跡を訪れて、戦争について学んでほしいと思う。

  
守礼門、漏刻門と市内の眺め、正殿と御庭

 
ひめゆりの塔の記、資料館(左奥)、資料館で買い求めた冊子(1100円、涙なくしては読めない)

 
平和の礎(戦争で亡くなった内外の25万人の人が刻銘されている)、喜屋武岬(米軍に追い詰められ、多くの人が身を投げたところ)

 
沖縄ワールド(玉泉洞と土産物屋など)、洞窟内

★ 3日(木) 前日に続き那覇バスの定期観光バス(約9時間のDコース-絶景・古宇利島・今帰仁城・美ら海コース)で観光した。両日とも朝は迎えの車が来てくれたので楽だった。

この日の楽しみは、美ら海水族館で待望の巨大な水槽で泳ぐジンベイザメとイルカショウーを観られて満足だった。イルカショーの頃から小雨が降り始め今帰仁城では本降りになってしまった。絶景の古宇利島風景は雨に煙っている有様でいい写真は撮れずじまいだった。


定期観光バス(ほぼ満席だった)

 
水族館、巨大水槽とイルカショー

 
首里城とともに世界遺産に指定されている。14世紀頃の沖縄は琉球国で南・中・北とに分かれ、この城は北の王の城だったが後に中の王に破れ支配下に置かれるようになったという。建物は残っていないが、百曲がりの城壁が残されている。

★ 6日金)夕方帰宅した。今回は、マイレージが失効するというので急遽行ってきたもの。沖縄戦の様子が少しでも理解できただけでも、とても有意義な旅になった。 





友人たちと、越前海岸へ行ってきた

2012-05-10 09:45:18 | 旅行
友人のWが懇意にしている旅館(温泉)が越前にあるので、妻や友人10人で7日から2泊で行ってきた。
越後湯沢まで新幹線(熊谷11:31発)、そこからは特急を乗り継いで鯖江に17時ごろ、ホテル迎えの車で着いたのが18時近くだった。

2泊とも美味しい海鮮料理に舌鼓をうち、二日目は友人運転の車で永平寺と東尋坊を訪れた。何れも2回目だったが、永平寺は荘厳で心清まる雰囲気は変わらず、東尋坊の観光化には驚かされた。楽しい旅だった。




車窓からの八海山、泊まった旅館



美味しかった料理



新緑の永平寺と東尋坊

妻と、シチリア島とカプリ島、アルベロベッロなどへ行ってきた

2011-10-25 16:52:39 | 旅行
一行15人のツアーで、12日から24日までの13日間、シチリア島(7泊)・アルベロベッロ(2泊)・ナポリ(2泊)・アマルフィ(1泊)へ行ってきた。
天候にも恵まれ、紀元前からの多くの遺跡や聖堂、美しい風景、美味しいイタリア料理を満喫した旅だった。

いずれホームページに載せたいと思うが、取り敢えずここに写真を載せてみる。掲載順は次の通り。


アグリジェントの神殿の谷、ローマ時代のモザイク画(カザーレ荘)
タオルミナのギリシャ劇場、アルベロベッロのトウルリ、美味しかったチーズと生ハム、神秘的なカプリ島の青の洞窟



「シチリア・マフィアの世界」 藤澤房俊 著 講談社学術文庫 刊 を読んだ

2011-10-10 06:31:55 | 旅行


シチリアは、イタリアのつま先に当たる部分で、四国の1.3倍ほどの面積の島である。
古代ローマ支配時代から、少数貴族(パラナッジオ)による大土地所有制が確立して、これがシチリアの歴史に大きな影響を及ぼしている。

純粋なシチリア人貴族は、強い自尊心、寛大さ、騎士道精神、復讐心、保守性、徹底した正統派、友情・寛大に筋を通すなどの特質があり、これが緩やかな同化によって、最も下層な民衆まで浸透していった。

シチリアは、古くからフェニキア人、ギリシャ人、ローマ人、アラブ人、フランス人、スペイン人、そしてイタリア人によって支配されてきた。このことが、シチリア人の特性と相まって名誉と復讐という行動形態を取るようになった。名誉という感覚に基づくオメルタ(沈黙-誠実・信頼・強さを意味し、見ざる・言わざる・聞かざるという行動形態を取る-)という行動形態こそがマフィアの法である(1890年下院議員だったコラヤンニ)。

マフィアの原型は、19世紀の大土地所有者と農民との間に生まれた新興ブルジョアジー(ガベロット)にある。構成員は、地主、財産管理人・鉱山監視人、商人、仲買人、建築請負人、公証人、薬剤師、土地測量士、医者、弁護士など多岐に亘る。そして、政界のトップ(1950年のチャンチミーノ、パレルモ市長)や、国会議員もいる。

シチリアには今でも、国家や権威に対する不信感を代弁するものとしてマフィアを沈黙のうちに支持する土壌が残っているという。

と、ごくごく大ざっぱな要旨だが、ひと言での紹介は難しい。マフィアと言う言葉からの感じは、これを読んでみて浅い認識だったと思うようになった。


DVDで映画「ニュー シネマ・パラダイス」を観た

2011-10-09 19:13:55 | 旅行


1989年のフランス・イタリア映画

映画好きの子供サルヴァトーレ(トト)と映写技師のアルフレードとの交流。
トトと恋人との出会いと別れ。そして30年後の再会には心を打たれる。

各賞に輝いているだけあって、とても感動的な映画だった。
この映画のロケ地になっているシチリアのパラッツオ・アドリアーノに、今度の旅行で行くので観てみた。


TV録画で、「ゴッドファーザー」三部作を観た

2011-10-09 17:02:15 | 旅行



第一部は1972年、第二部は同74年、第三部は同90年の公開

アメリカに渡ったイタリア移民とその子孫の一族の栄光と悲劇を描く。
暗黒社会のドンにまで上り詰めたヴィトー・コルリオーネ(マーロン・ブランド、第二部の青年時代はロバート・デ・ニーロ)、その後を継いだ三男マイケル・コルリオーネ(アル・パチーノ)の家族愛と非情、裏社会のすさまじさに圧倒される。

ニーノ・ロータの哀愁を帯びたメロディーが印象的。
第一と二部は、昔、ロードショーで観たのだが、忘れてしまったシーンが多かった。

今度、シチリアに行くので、コルレオーレ村とかマッシモ劇場のシーンがあるので観たのだが、とても良かった。アカデミー賞にも輝いている。


エジプトで、ムバラク体制崩壊

2011-02-12 02:52:28 | 旅行


偶々訪れていたエジプト(2011/01/18-28)で、25日から始まったムバラク大統領辞任要求のデモが勢いを増し、ついに昨夜辞任に追い込まれた。
ブルジョワに属すると思われる私たちのガイド女性(カイロ大学文学部日本語学科卒)も、私の「ムバラクさんは30年も大統領というのは凄い」という言葉に対して、「一寸長い」と、言っていたのが気になっていた。長い統治で貧富の格差が増大して爆発したようだ。近隣の同様の諸国の動向も気になる。

報道によると、特定の指導者はいないで、ネットでの呼びかけがこうした結果になったという。凄いことだ。


エジプトから無事帰国した

2011-01-29 16:27:27 | 旅行
10日目となる27日には、カイロ博物館見学後帰国予定だった。
ところが、25日からカイロではムバラク大統領の強権支配に反発する市民がデモを繰り返し、翌日はイスラム教徒の金曜礼拝日に当り不測の事態が憂慮された。
その日は大規模なデモが予想され、当局は前日から機動隊員を配して警戒を強めている。
そんな状況下では、デモが行われそうな地点に近い博物館見学は諦めざるをえないということで、アズハル公園と宮殿博物館見学に変更された。




公園、そこからのオールド・カイロの眺め、博物館、市内の至る所に見られた機動隊


夕方4時55分発成田行きに搭乗、翌日12時少し前に到着した。ボーイング777型機のビジネスシートは、180度つまりフラットになるので、寝心地が良い。
イスラム国ということから、アルコール・サービスがないのが寂しい。同じイスラムでもトルコのトルキッシュ航空では、サービスしてくれたのに…と、思ってしまう。





帰国の翌朝の新聞朝刊一面トップに、”エジプトで大規模衝突”の見出しで、数十人負傷一人死亡と大きく報じられていた。
夕刊では、20人死亡、大統領は退陣拒否、閣僚更迭、新内閣へ、という見出しになった。

そして、外務省から「渡航の延期をお奨めします」という情報が発せられた。

タッチの差で、帰国出来て良かった。





9日目、変形ピラミッド巡り

2011-01-26 13:13:04 | 旅行
サッカレーなどの古王国時代の変わったピラミッドなどを見た。



赤ピラミッド、階段ピラミッド、博物館のラムセス2世像(膝まである像、重さが50トン)、スフィンクス(カルトーシュがないので誰かは特定できていないとか)

エジプト旅行、7日目が終わった

2011-01-24 05:07:21 | 旅行
3日目ー 早朝にホテル前からヌピア人が操るファルーカに乗って朝食を楽しんだ。



ファルーカ(エンジン付きの船が先導し、下りで帆を上げる)、ホテル前での下船風景



ハトシェプスト女王葬祭殿、そのほかを見学


4日目ー デンデラでハトホル神殿を見学



5日目ー バスでアスワンまで行き、その後飛行機でアブシンベルまで行き神殿を見学後ホテルへ、夕方その神殿に再度行き「音と光」のショーを楽しんだ。



神殿とホテル

6日目ー ヌピア砂漠をドライブ(約300km)をドライブして、アスワンへ、そこから飛行機でカイロへ。



7日目ー ピラミッドとスフィンクス、モハメッド・アリモスクなどを見学



泊まっているホテルの部屋の窓からの日の出とピラミッド



9つのピラミッドが一望、スフィンクス












エジプトへ来て、3日目の朝を迎えた

2011-01-21 15:22:29 | 旅行
N 社主催のツアー(18日出発、11日間)に、妻と参加した。一行16人。

成田から(13時30分発)14時間でエジプトの首都カイロ着、飛行機を乗り継いで(飛行時間1時間ほど)ルクソールには現地時間(日本との時差は7時間)夜中の11時半頃到着(シェラトン・ホテル)した。




ルート、泊まっているホテル



カルナック神殿



ナイル川に沈む夕日(ホテルから)、ルクソール神殿