今日は何をしようかな?

いつの間にやら13年経ちました。
いろいろ忘れないように、書き留めておきます by nori    

与論島 雑記

2008年08月28日 14時02分15秒 | おでかけ
那覇-与論島間のフライトで初めて乗ったプロペラ機。
40人乗りでタラップも短く、バスのよう。



与論空港で荷物を受け取るレーンは、やっちゃ場みたいに手動でした。

プロペラ機なので低空飛行=沖縄の辺戸岬(多分?)がクッキリ見えます。



ほとんど寝ていた30分なので、写真を撮ってくれた旦那さんに聞かないとあやふやですが、ここは伊平島辺りかしら?



*橋が見えたら底地島だそうです。なので、本部辺りです。

パナウル王国(よろん語で『花とサンゴの王国』という意)らしく、あちらこちらに花が咲いていました。
こちらは空港のブーゲンビリア


お部屋の前にも



ホテル入口に咲いていたプルメリア


プルメリアと聞くと松田聖子主演の『プルメリアの伝説』を思い出してしまう。
見たこともないのに、あの頃の聖子ちゃんは宣伝が上手だったのか、結構刷り込まれています

今回与論島で初めて知った事がいろいろとありましたが、映画の『めがね』の撮影場所だったようで、新しい地図には撮影した場所がきちんとマークされていました。

帰ってきてDVDをレンタルしに行ったら全部貸し出し中で

ドライブ中、作家の故 森瑤子さんのお墓があるという事で赤崎海岸の海の家の方に道を聞いたら、「特に何も目印はないけれど、この道を真っすぐ行くと牛(豚?)小屋につきあたってそこを右に曲がり一本目の道を左に曲がって真っすぐ行けば判ります。」との事。その通りに行くときちんと着きました



こういう海が見える場所にあるお墓っていいな。

ちなみに、与論島は茶花市街地に信号が2個あるだけなので、のんびりとドライブ出来ます。

その他に、レンタカーが『れ』ナンバーだったり(石垣や宮古島辺りでも『わ』ナンバーだったのに何故?)いろいろありました。



今回、印象に残っているのは、『ガードレールで稲干し』という自由さと、島内観光の時、ホテルのバスに手を振ってくれた与論高校の女生徒の明るい笑顔です。



ちょっぴり「ぶっきちょ」だけれど、話しかけると一生懸命蝉の話をしてくれたおじさんや、「ジョートーだね。」とスイムブーツを誉めてくれたおばあちゃん、いつまでもお元気で

『ナツコ 沖縄密貿易の女王』

2008年08月28日 11時03分35秒 | 本のこと
図書館で借りた本を読み終えてしまい久しぶりに購入。

内容(「MARC」データベースより)
戦後の1946~1951年、「ケーキ(景気)時代」と呼ばれる沖縄密貿易時代に、混乱、騒擾、欺瞞、陰謀に明け暮れながら、類まれな才覚と器量で颯爽と生きた女親分「ナツコ」を生き生きと蘇らせた評伝ノンフィクション。

著者の奥野氏の執念にもにた取材に敬服しました。
戦後、アメリカにも日本政府にも見捨てられていた沖縄を支えた密貿易があった事さえ知らなかったので、今は観光地化している本部や伊江島にあった薬莢等、米軍の資材を香港や台湾に運び巨万の利益を築いた時代など想像もしませんでした。
台湾に近かった与那国島と港としての糸満の繁栄、「奇跡の1マイル」と呼ばれる現在の国際通りの成り立ち、安栄観光の創業者のインタビューなど、当時の写真も載せながら、ナツコを軸に沖縄復興の様子が克明に書かれています。
現在アメリカの公文書が公開され始め、沖縄復興の400万ドルを日本政府が支出した等の事実が発覚してきましたが、まだまだ一般に知られていない戦争の事実が沢山あるのでしょう。
終戦から60余年経ち、戦争の事実を知っている人が少なくなっていますが、忘れられていく歴史をギリギリのところでこの本にされた著者に今後も期待します。

伊藤さん、拉致数時間後死亡か=「足手まとい」とタリバン-遺体きょうカブールへ(時事通信) - goo ニュース
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最近は国際情勢がきな臭く不安ですが、戦争で一番被害を受けるのは市井の人。
いつまでたっても終わらない争いは何の為にあるのでしょう。