友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

葬儀

2017年01月10日 17時45分47秒 | Weblog

 椿が咲いて、冬を実感した今日、カミさんは友だちのダンナの葬儀に出かけていった。ダンナは知らないが、友だちの方とは私も古くからの知り合いだ。記憶が定かではないが、彼女は中学で英語を教えていたのに芸大で音楽を学び、音楽を教えるようになった。それだけでなく創作和太鼓を発表し、今では地域に根付いた和太鼓楽団となっている。

 ダンナの方は会社員で、ふたりは小・中学校が同じだったが、それぞれ別の人生を歩いてきた。それが定年の時のクラス会が縁となり、結婚することになったのだから人生は不思議だ。彼女は結婚することなく仕事に打ち込んできたが、ダンナの方は妻を亡くしていた。どういういきさつで結婚を決意したのか私の知るところではないが、ダンナは彼女の家の姓となった。

 昨年の夏、ふたりの画集を頂いた。かなりお金をかけた立派な画集で、表も裏もダンナの作品を掲げている。目立ちたがり屋と思っていた彼女が引いて、ダンナを立てていることがよく分かった。表紙の絵は吹雪の中を歩く人の絵で、奥に灯の燈る家が見える。必死に家に向かう姿から、彼には家が温かな帰るべき場所と推測できる。

 定年を迎え、彼はアルトサックス、詩吟、囲碁、ゴルフ、テニスと楽しんだようだ。「一流といえるまで道を究めた」と語るところなど、同じ歳だからよく分かる。勉強して一流企業に勤め、我武者羅に働いて、終わったのだから自分がしたかったことをしようと意欲が湧くのだ。最ものめり込んだのが水墨画で、高じて東京まで学びに出かけている。「やるならとことん」が口癖だったというが、これもよく分かる。私たちはそんな風に生きてきた。

 同じ歳の人が亡くなるは辛い。年齢順でもなく、死はいつかはやって来る。私はこれ以上恥をかきたくないから早く死が来て欲しいと願っているが、それでもこうして現実に死を突き付けられると心の準備が出来ずにいる。まだ整理が出来ていないことも心に引っかかる。2月にはこの街の同年の人たちの集い「シクラメンの会」を成功させなくてはならない。その次は‥、まだ井戸掘りが1件残っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする