友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

学生の作品に触発されたのに

2013年03月29日 20時37分57秒 | Weblog

 学生演劇と二科展を観に行った27日、本当はもうひとつ観たいものがあった。私の大学の先輩で、現代芸術の先駆者である山田彊一氏の3月25日のブログに、『第1回愛知県3芸術大学選抜H/ASCA展 始まる』の記事があり、学生たちの作品が紹介されていた。その作品を見た時、ぜひ展覧会を観たいという気持ちになった。当日の朝、朝日新聞に「愛知から世界へ 学生15人作品展」の記事があり、ブログで見た作品が載っていた。

 ところがこういう時に、詰めが甘いと指摘されてしまうのだが、展覧会の会場がどこにあるのか書き留めずに出てきてしまった。そこで、二科展の会場で、それから栄地下の画材店でも尋ねてみたけれど、「わからない」と言われてしまい、結局観ることは出来なかった。間抜けだなあと我ながら思う。学生演劇や二科展で、刺激を受けていたのにたちまち萎縮してしまった。

 私が美術科に進んだ時は、愛知県には教育大にしか美術を学ぶところはなかった。私はにわかに美術科を選んだけれど、入学試験の実技で周りの受験生と比べても中位の感じだった。卒業作品は1月になってから、姉のアパートの一部屋を借りて描いたもので、パネル6枚を仕上げるのに追われた。卒業展の会場で並べてみると、まあまあの仕上がりだった。油絵科の同級生が「おまえ、相当デッサン力あるな」と感心してくれた。

 高校の教員になった時も、デザイン科の先生が「卒展の作品を見て決めた」と言ってくださった。大学時代に学生運動から身を引き、もっと絵を描くことに集中していたなら、もう少し優れた作品が描けたのではなどと、今になってはどうしようもないことを考えたりする。なれなかった者が落ち込む自己弁護である。

 今更、悔やんでも仕方のないことだ。全ては自分が選択してきたことである。もし、と思うなら今からでもやり直せばよいことなのだ。教員になったばかりの頃、山田先輩が「一緒にインドへ行かないか」と誘ってくれた。私は行く気満々だったのに、組織はそれを許さなかった。今なら、個人の自由が保障されない組織はおかしいと分かる。

 若い人たちの作品に触れると、自分も何か描いてみたいと触発される。作品作りに至らなくても、気持ちが触発されるだけでもいい。それが生きていく力のひとつになるような気もする。

コメント (1)
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