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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

懐かしい『されどわれらが日々ー』

2010年10月10日 21時12分22秒 | Weblog
 久しぶりの誕生日会だったせいか、あるいは小学校の時から私たちの宴席に参加していた大学院生が特別に参加してくれたせいなのか、ちょっと飲みすぎた。11時には終わろうと話していたのに、結局いつものように午前零時を回っていた。5時間余りもいったい何を話していたのだろう。酒の席で政治の話は盛り上がるけれど、深まりはしない。尖閣諸島の問題では、私の意見などは全く誰からも支持されない。若い大学院生も真に愛国者である。酒を酌み交わし馬鹿なことを心置きなく話が出来ても、考え方や価値観は一致出来るところもあれば出来ないところもある。その当然なことが寂しくもあり悲しくもあるが、お互いを大事に思う友だちであることは少しも変わりはない。

 学生の頃なら、一致しなければとことん議論したりすることもあった。中学からの友だちが「自分に影響を与えた小説をもう一度ゆっくり読み返してみたい」と言い、柴田翔の『されどわれらが日々―』を取り上げていた。私たちが20歳の頃、芥川賞を受賞した作品である。あの頃、中学時代から仲のよかった4人でよく飲んでいたから、この小説も当然話題になっていたことだろう。私は新聞部に席を置き、自治会活動にもかかわっていたので、この小説には強い関心があった。確か、弁論大会でこの小説の中の女性、節子を取り上げて話したけれど、どのような内容だったのか今は何も覚えていない。

 書棚にあった『されどわれらが日々―』を取り出しパラパラと見ると、所々に鉛筆で波線が引いてある。自分が引いたものなのか、ひょっとすると古本屋で買い求めたものではないだろうか、そう思いながら読んでみた。学生運動にかかわった節子と、常に客観的な立場に居て空虚さだけを持ち続けている主人公の文夫の、「生き方」を取り上げている。文夫が虚しさ故に(?)、次々と女の子と寝ていく男だったと読み返して初めて知った。学生の頃は、これは小説の世界であって現実は違うと勝手に切り捨てていたのか、こういう男に全く関心がなかった。覚えているのはやたらと客観的であろうとするアウトサイダーぶった男というイメージだったのに、虚しさだけはなぜか共有できてしまっていた。

 私が学生だった時は、学生運動の高揚はなく、選挙で勝って民青の人たちから自治会を奪った時も、だからといって取り上げる課題も運動の指針もなかった。学生たちを動員できる力もなく、何をしても何も変わらない。そうだった。小・中・高と児童会や生徒会の役員に選ばれたけれど、だからといって決して私は多数派ではなかった。誠実だとか、いい人だとか、そう思われて当選したけれど、それで私も出来るだけ応援してくれたみんなに応えようとしたけれど、だからと言って学校が変わったりはしなかった。大学も同じで、私を支配したのは何も変わらないという挫折感だった。

 中学からの友だちは「覚悟がなければ、男と女が一緒に暮らす価値がない」と言うけれど、私はこの小説の文夫が言うように「男と女が一緒にいるってことは、それだけで、かなりいいことなんだ」と思っている。その先は、まだ、分からない。
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父親と酒が飲める息子

2010年10月09日 17時28分23秒 | Weblog
 久しぶりに行ったら、マスターが「皆さんもよく来てくださいます」と言う。名前をあげた中に「親子でみえました」と言うカップルがあったので、全く疑いもなく「あの親子はまるで恋人同士のように仲がいいから」と話した。この店は以前、私たちの街にあった。私は初めてマスターの料理を食べて、こんなに腕のいい料理人がここにいるのはもったいないと思った。マスターである料理人は有名なホテルで働いていたようだが、私が最も感心したのは「凝り性」なところだ。材料もそうだけれど料理の方法そのものにも強い思い入れがあるのを感じた。

 親しくなっていろいろ話すうちに、私のカンは大体当たっていた。歳も歳なのだから、独立して店を構えるのは当然なのだろうけれど、「上司とはうまくいかなかったね」「離婚したでしょう」の2点は的中していた。こだわり過ぎる性格は妥協できない。周りの人々に悪気があったわけではないが、彼はどうしても自分のやり方にこだわったのだろう。善意がうまく回らなくなり、仕方なくそこを飛び出してしまったと私は推測している。私たちの街では、彼のような凝り性のフランス料理を受け入れる土壌はなかった。彼の料理を食べてみたいと熱望した私もそんなに通うことは出来なかった。

 このままでは惜しいなと思っていたら、「名古屋に引越しことになりました」と言う。その後、彼の料理を愛好する何人かが新しい店に出かけていったと話には聞いていた。いつか私も行ってみよう。お店は流行っているのか、料理は変わっていないか、そして何よりも元気でやっているのか、気になっていた。ひょんなことから、ランチを食べに行こうということになり、完全予約制であるにもかかわらず受け入れてもらった。彼は元気だったし、料理はますます美味しくなっていた。こちらにいる時からお店を手伝っていた若い女性はさらにきれいになっていた。全てうまくいっている様子だった。

 さて、「親子でみえました」と言うので、私は疑いもなく小学校の時から私たちの宴会に参加し、将来は「料理人になりたい」と言っていた、今は経済学を専攻する大学院生となった男の子がお母さんと来たのだと思っていた。先日、里帰りしていた彼に、「お店に行ったら、親子で来てくれたと喜んでいたよ。いつもお母さんと一緒だね」と冷やかすと、「いいえ、父と行きました」と言う。そのお母さんに先ほど出会ったので、その話をすると、「そうなんです。この頃はふたりでよく飲みにいくんですよ」と言う。ずーっとお母さんにくっついていた息子だった。20歳を過ぎてから父親と仲良くしていることが羨ましくて仕方ないと言う口ぶりだった。

 親子が男同士で酒が飲めるのは素敵なことだ。嫁の父親ではなく、実の父親であれば、そんなに気を遣うこともなく、人生を語り合うこともできよう。私は高校の時に父親を亡くしたからそう思うのだけれど、でも私の父は実の父親である祖父とは口も利かない犬猿の仲だった。親子が理解し合うことは友だち以上に難しいと思い込んできたが、どうやら人によりけり、いろんなケースがあるということのようだ。さて、今晩は誕生日会という名の宴会だ。どんな話が飛び出すのだろう。
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人間は優しい存在なのに

2010年10月08日 21時41分25秒 | Weblog
 今日は名古屋市緑区へ井戸掘りに行ってきた。結果から言えば、まだ途中である。この辺りは尾張丘陵地の延長線上にあり、粘土質と小石が混ざり合い畑作にも適さない土地が続いている。昔は雑木林が続いていたけれど、人の手によって果樹園に変わったところもあるが、大方は住宅地として開発されている。住宅には適した環境かも知れないが、ここに井戸を掘るのは至難の業であった。それでも鋼管で8メートル掘ることが出来た。さて、それで水が出るかと言えば、必ずしもそうではない。来週もう一度挑戦することにして、今日の作業を終えた。

 今晩はカミさんが友だちと会食で出かけて行ったので、一人で食事の準備をして、一人でワインを飲んでいい気分になっている。そこでパソコンを開くと、私のブログにいくつかのコメントが寄せられている。私は自分のことを知っている人たちに向かってブログを書き続けているが、社会の変革を目指そうとか、国家を作り変えようとか、そういう野心はすでに無くなっている。この世はなかなか変わるものではなく、人々の長い営みを経て、徐々に変わっていくものだというのが私の結論だ。けれども、そのためには普通の人々の、これはおかしいんじゃないか、こうあった方がいいのではないか、そういう思いが常に発信されていることが必要だ。

 私のブログは、私を知っている人たちへの手紙に過ぎないが、それでも私の発言に関心を示してくださる人たちには誠実に答えたいと思っている。私は生きるということは何だろうとずっと考えてきた。そこから男と女はどういうものなのだろうとも考えさせられてきた。私の酔っ払ったような発言に対して、真面目に批判してくださった人は、私以上に生きていく意味や人のつながりやその集団である地域やあるいは国家とか、もっと言えば地球のあり方について、真剣に考えている人たちなのだろう。

 菅・仙谷政権は社会主義だと週刊誌などでも批判されていたけれど、菅さんは主義主張というものがないと私は思っている。菅さんには哲学とか思想というものがない。つまり、政治的な強固な信念がないのだ。科学技術予算を削るような「社会主義政権」と非難されているけれど、菅内閣はこれまでの自民党内閣とどれほどの違いがあるのであろうか。それでも国民の多くは自民党政治ではない、新しい政治を望んでいるのだから、それに答えるのが民主党と民主党政権の役割だと思う。

 中国や韓国と仲良くすることは出来ないと、私の友人も言うけれど、それでは自国の国益を守るための「戦争」へ発展していくことにもなりかねない。仲良くするためには、(普通の生活でもそうだけれど)、まず自分の方から相手を信じなければならないだろう。相手を疑いながら、自分を信じよと言ってもそれはまず無理であろう。人を信じるためには、自分が相手を信じる他ない。もし、それで相手が裏切るなら、まだまだ自分の愛情が足りなかったのだ。南京虐殺があったか否かと言えば、従軍した日本の兵士が殺したと言うのだから、事実はそうだったのだろう。虐殺された数が違うと言う人もいるけれど、そんなことが問題の本質ではないだろう。

 人間は本当は優しい存在なのに、時には残虐にもなりうるということだ。だから戦争はしてはならない。
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人生のほんの少しのズレ

2010年10月07日 20時05分20秒 | Weblog
 ノーベル化学賞がふたりの日本人学者に贈られることになった。今朝の新聞各紙はその偉業に多くを割いて報道していた。昨日は衆院本会議で、菅総理の施政方針に対する野党の代表質問が行なわれたけれど、そのやり取りは吹っ飛んでしまっていた。自民党の谷垣総裁の質問は、確かに鋭さはなかったけれど、真面目な態度でさすがに紳士だなと思った。その谷垣総裁の後、質問に立った稲田朋美さんは弁護士出身というが、ここまで言うかと思いほどの言葉で罵倒していた。テレビで見る限りでは均整の取れた美人で、長い付けまつげが印象的だった。好き嫌いでは申し訳ないけれど、私はとてもこの女性とは暮らせない。

 稲田さんは安倍晋三前総理と同じような考え方のようで、民主党政権は教育や国家の安全をないがしろにしていると盛んに非難していた。「友愛などとネタボケたことを言っているから、外国に馬鹿にされる」というようなことを言っていたけれど、勇ましいことが好きな人たちはきっと大いに共感したことだろう。若い政治家の中に、この人のように考える人が増えてきている。私は寒気がして、「何で仲良くすることを馬鹿なことだと言い切ってしまうのか」と悲しく思った。政治が当面する現実に立ち向かわなければならないことは理解できるけれど、しかし、どのような方向へ人々を導くかとなれば、それはより高い理想へということであろう。

 それにしても、人間はいろんなめぐり合わせの中で生きている。同窓生からノーベル物理学賞の受賞者が出たカミさんは「ノーベル賞は身近なもの」のように思っている。今度の化学賞の受賞となった有機化合物についても、カミさんの友人が大学で連日連夜にわたって実験と研究を行なっていたものだけにすこぶる関心が高い。有機化合物の研究は日本ではかなり古くから取り組まれてきたそうで、「誰が受賞されてもいいほど層が厚い」そうだ。物理や化学の分野で日本人の能力は優れているのだそうだ。

 受賞者となられた北海道大学の鈴木章教授は「答えがいくつもある国語よりもひとつしかない数学の方が好き」ということで、理系に進まれたそうだが、「計算すれば答えが出る」理系に私は全く関心がいかなかった。そもそも計算が出来なかった。高校になって、数学は論理学だと気付いたけれど、すでに遅かった。どんな人生を歩むか、そこでどんな人と出会うか。大和塾の市民講座の講師を務めてくれた金美齢さんは「チャンスは目の前にある。捕まえるためには自分を磨かなくてはダメ」と話してくれたが、チャンスを生かすか否かは自分にかかっている。逆に言えば、目が出なかったのではなくて、生かす目が自分になかったという厳しい結果なのだ。

 日の目を見た人も、見なかった人も、人生のほんの少しのズレに過ぎない。日の目を見た人を羨ましく思ったり、日の目のでない自分の不運を嘆いたりするよりも、すばらしい功績を果した人を素直に賛美し、コツコツと生きている自分も素直に認める方が健康的だ。人生の差なんてほんの少しのズレだ。そのうちにきっといいこともあるはずだ。
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人は人を理解したいと思って生きている

2010年10月06日 21時53分13秒 | Weblog
 昨日は半田市で井戸掘りだった。なかなか掘れなくて5度目の挑戦だった。先回、掘ったけれど引き抜くことが出来なかった塩ビ管の中に、鋼管を入れて12メートル繋ぎ降ろしていった。11メートルくらいのところで、上から入れた水が引いていった。水脈である。十分な水量とはいえないが、一応要求には応えられる量はある。8月の上旬から始めて、ずいぶんと時間がかかってしまった。夏場での作業ということもあってか、みんな疲れていた。昨日も黙々と作業をこなしているけれど、その顔をよく見ると、やはり「おじいさん」である。そんなに長く続けられないなという不安がよぎった。

 家に戻って顔を洗おうと洗面所に立って鏡を見た。仲間では一番若いはずの私もみんなとそんなに変わらない顔をしている。その時、右手の親指とその付け根から人差し指が赤紫色になっていることに気が付いた。そういえば、作業中になんとなく違和感があったけれど、内出血しているようだ。特に痛いというわけではないので、そのまま作業を続けてきたけれど、まざまざと見れば痛々しい。コップに氷を入れ、ワインを注ぎ、それを右手に当てながら、時々飲んではまたワインと氷を足しては冷やした。

 半田へ行く道中は、もっぱら時事問題に花が咲く。「オザワひとりのために審議が出来ないんじゃーどうしようもない」「オザワは早く辞めるべきだ。ああいう古い、自民党体質の政治家が幅を利かせる時代はもう過ぎた」。すると岩手県の出身者が「岩手県は自民党王国だったんですよ。それが私がチョット目を瞑っている間に民主党王国になってしまったんです」と言う。すると物知りが「オザワは自民党政治そのものだ。公共事業を持ってくることで支持者を増やしてきた。だから有権者はオザワが自民か民主かは関係ないんだ」と答える。こういう政治の話では私はもっぱら聞き役に徹する。意見が一致する部分もあるけれど、不一致の部分が多すぎるからだ。

 おしゃべりの皆さんは「(自民党総裁の)タニガキはダメだね」「カン(総理)はやっぱりアカン」「今の政治家はみんな粒が小さい」「海上保安庁の巡視船に6千トン級をさらに増やすというが、1万トン級でも造って、尖閣や北方を巡回させないと中国や韓国やロシアに取られてしまう」などなど、いいたい放題だ。高齢の人たちは政治談議が好きというのはどうしてなのだろう。自分たちが生きてきた自信とか経験がそう言わせるのだろうか。それにしても評論家的で、じゃあどうのように解決するのかについての建設的な提言は聞こえてこない。

 どなたも私が首長選挙に立候補した時に、一生懸命に応援してくれた人たちだ。「情報公開を徹底して、市民参加の市政を」との私の主張に賛同し、地域エゴと立ち向かえと激励してくれた。一緒に何でもやってくれた。私と多少考え方は違うけれど、大まかなところでは一致しているからこそ、応援してくれたし、また私もよき理解者を得たと思っている。何から何まで、全く同じという人はいないだろう。それは夫婦であってもそうだと思う。だから人は、人を理解しようと生きている。
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何か手伝おうか

2010年10月05日 22時15分02秒 | Weblog
 日本の会社員の平均年収は430万円だそうだ。これを男性だけに限定すると533万円になるという。それだけ女性の会社員は給与が低いということなのだろう。男女平等と言いながらもまだ実体はそうなっていないということだ。ところで、若い女性たちが憧れる年収1,000万円以上の人は4.9%だそうだが、会社員だけなのか企業家も含めた男たち全体なのか、それとも独身男性だけなのだろうか、分母がよく分からない。

 この特集では、年収1,000円以上の男性と結婚する女性は何が優れているかと質問していた(どういう誰にか、よくわからないけれど‥)。その答えは、1)は性格がよいから。僅差だそうだが、2)は外見だという。解説では、性格を挙げたのは若い人で、外見を挙げた人は年齢の高い人だった。年齢の高い人たちは「結局はそうだったのか」という経験に基づいて回答しているのだろうけれど、これは意外な感じがした。

 さて、それでは年収1,000万円以上の男性の妻にふさわしい人はどういう女性かというと、1)気配りが出来る 2)機転が利く 3)社交性がある 4)料理が得意である という順番だそうだ。ここまで読んできて、何も年収1,000万円以上と限定しなくても、結婚する男女のことでよいのではないかと思った。いかにも年収1,000万円以上を上げることで話題性を呼び込もうとしていると。

 ところで結婚する男女は、恋愛結婚で結ばれた場合はもちろん見合い結婚であっても、ふたりは「赤い糸」で結ばれている。結婚というものはそういうものだと思う。本当は誰でもよかったのだろうけれど、それでは自分たちの結婚に意味がなくなってしまう。いやむしろ、もっと意味のある、もっと尊いものと決め付けなければ、一生に一度の賭けの値打ちがない。だからこんな風に考えてみる。球上に65億人の人が暮らしているのだから、結婚できる相手は20億人くらいだろうか。そうなると20億分の1という宝くじなど比較にならない高確率で結ばれていると。

 そんな風にして結ばれた男女であるのに、いざ生活を始めると不満ばかりが先行する。今の若い人たちはそれほどでもないだろうけれど、私たちの世代なら、男は外で働き女は家を守る風潮が残っていた。次第に女性が社会進出し、共働き夫婦が多くなってきても、男たちの意識は妻に対して、「何か手伝おうか」である。自分としてはそれが精一杯の妻への思いやりのつもりなのだが、妻の側にすれば、「家庭は共同のものではないの。家事も子育ても、共有することなのに、あなたには“手伝い”なの!」ということになる。

 女たちが結婚にふさわしい相手はどういう男なのかと考えてみればいい。自分は果たして、その条件を備えているのかとなると、男たちのどのくらいの人が自信を持って答えられるだろうか。私自身も誠に心細い限りだ。受け入れてくれているカミさんに感謝しなければならないだろう。いや、この年齢になればお互い様ということなのだろうか。
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希望を持っているか

2010年10月04日 21時02分59秒 | Weblog
 今晩、NHKテレビを見ていたら『クローズアップ現代』が、「妻に先立たれた男たち」を取り上げていた。見ていて、どうしたわけか中学時代からの友だちのことが頭に浮んだ。彼とは中学・高校からずっと一緒だったけれど、彼はブログで、孫から「ジジは親友がいるの?」と聞かれ、考えてみたら自分には親友といえる人がいないというようなことを書いていた。おいおい、オレたちはどういう位置づけなのだと文句のひとつも言いたくなったけれど、逆にどうしていつもそんなにも控えめなのだろうと思ってしまった。

 私は彼から教えられることが多かったが、陽気に振舞いながら自分が養子であることにずっとこだわっていたことが気になって仕方なかった。私が始めて彼の家に遊びに行った時に感じたのは、血のつながりなってどうでもいいことだ、むしろ血のつながりは醜いとさえ思った。彼の両親は彼をとても可愛がっていたし大事にもしていた。養子である彼からすれば、それが血のつながっていない親子である証拠だと思っていたのかもしれない。けれども、血のつながりの中の家庭にいた私には、素晴らしく暖かなものだった。彼の家にはとげとげしく冷たい家庭よりも癒される空気が流れていた。

 多分、それは私のような外部者の感想であって、養子である彼からすればどこかで本当の家族ではないという思いがあったのだろう。彼は恋愛をしても、最後の一歩を踏み出さない、厳格さがあった。私たちの時代がそうだったのかもしれないが、好きだからというだけで肉体を重ねることはタブーだったと思う。もちろん、そうでない友だちもいたけれど少なくとも私も彼もそういう認識だったのだ。だからきっと、激しい恋をして結婚するだろうと思っていた。しかし、彼は人が勧めてくれた女性と結婚し、子どもをもうけた。

 今日、「人はどうして結婚するのだろう?」と聞かれたけれど、たとえ見合いで結婚したとしても「好きだったから」としか考えられない。いや昔であったなら、好きなどというレベルでなくても結婚をしているから、もっと違う何かがあるのだろう。たとえば、適齢期になれば結婚するのが当たり前だからということだってある。そう考えれば、人間の行為にはそれほど深刻な意味などないのかもしれない。みんなが結婚し子どこを作るからと、余り考えずにそうしてきたのかもしれない。

 私がテレビを見ていて、彼のことを思ったのは、「妻に先立たれた男たち」のほとんどが、家庭のことは一切妻に任せてきた男たちだからだ。通帳がどこにあるのかも知らないし、家事も料理もできない。要するに、妻が恋しくて仕方がないというよりも妻に先立たれて明日から生活ができない男たちだ。何時までもおめおめと妻との思い出に浸り、いっそのこと死んだ方がましだとさえ思っている。私はそれなら潔く死になさいと思う。飛び込み自殺することができないなら、餓死すればいいだけのことだ。出来もしないことにウジウジとみっともないと思ってしまう。

 カミさんが「あなたはいいわね。何もかも奥さんがやってこなくて。何でも自分で出来るものね」と皮肉っぽく言うが、確かに私は料理も出来るし家事が苦にならないから、多分充分に生きていけると思う。しかし要は、生きる希望を持っているかどうかだろう。生きているだけなら、生きていたくない。その覚悟はあるつもりだ。
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あいまい性が救いになるのかもしれない

2010年10月03日 21時45分23秒 | Weblog
 今日の中日新聞の『座視』に、拓殖大学の渡辺利夫学長が尖閣諸島の問題で、「かくも恬然たる政権の対応に深い無力感を抱かずにはおられない」と書いていた。そして論説は、「外交とは武器を用いない戦争である」と古くから言われている指摘する。外交の基本は「隙を見せれば突く、退けば押す、というのは人間関係では不徳義であろうが、国家間や民族間においてはむしろ常套である」と述べ、続けて「国際関係とは今日でもなおエスノセントリズム(自民族中心主義)が第一義であり、友好や善隣や友愛は第一義を促すための手段に過ぎない」と説いていた。

 確かに、国民の多くが共有する認識だと思う。私の友人もそしてこのブログを読んでくださっている人の多くもそう考えている。私も現職の外務大臣とか総理大臣であれば、間違いなくこのような立場で答弁するだろう。私は正直でありたいと思っているけれど、政治家ももちろん正直であるべきだとは思っているけれど、何もかもでなくてもよいと思っている。嘘をつく必要はないけれど、一人の市民ではない国の指導者はストレートな表現が時には取り返しのつかない事態を生む場合だってあるから、そこはよく考えた言い回しになってやむを得ないだろう。

 私ごときものが大学の学長の論説に異議を唱えることではないけれど、そして外交の基本は国益を守ることであることに反対するわけではないけれど、それでもそんな古代ギリシア以来のやり方をいつまで続けていけばいいのかと疑問を抱いてしまう。しかも、核爆弾という人類を滅亡させるに足りる兵器を持ち、資源は枯渇する一方にあり、地球規模の環境汚染が広がっている。つまり、第2次世界大戦以前とは大きく異なる時代に入っているのに、以前と同じように自民族中心主義でよいのだろうか。

 私は日本人のあいまい性が好きだ。国民を戦争に駆り立てながら、責任を取らなかった軍人や政治家を情けない人たちだと思って生きてきたけれど、何事もキチンと決めてしまわない民族性も利点なのかもしれないと考えるようになった。日本人の島国という狭さがもたらした共同体意識が子どもの頃から嫌いだったけれど、束縛性が強くなければそれもまた気持ちよい生活につながるものだと思うようになった。外国のものを何でも進んで取り入れて自分のものにしてしまう日本人の能力は凄いものがある。仏教に象徴される東洋哲学は、日本で結実されたものだ。

 これからの国際社会がどのようになっていくのか、私にはわからないけれど、少なくとも日本人のあいまい性や隣人への思いやりや人生の悟りが国際社会の基本になっていくのではないだろうかと思っている。学長も「隙を見せれば突く、退けば押す、というのは人間関係では不徳義」と認めている。だから、自民族中心主義から脱皮する必要があるし、そのような時代の中心的な考え方に、あいまい性や思いやりや悟りが大きく作用するのではないだろうか、そう密かに期待している。
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ウーン、まだまだ元気だ

2010年10月02日 22時25分00秒 | Weblog
 昭和6年生まれの姉が秋川雅史さんのコンサートのチケットをパソコンで買って欲しいと言う。調べてみたらコンビニのローソンで扱っていた。買い求めたチケットを届けに行くと、友だちが来ていると言う。知らない人ではなかったので、「それじゃー一緒にお茶でも飲みに行かない」と誘って、3人で姉が行きたかったという喫茶店へ出かけた。リニュアルを知らせるチラシに、「チラシご持参の方にスイートなデザートをプレゼント」とあるから、行きたかったと言うのだ。「3人で行って、3人とも貰えるかね」と心配するので、「大丈夫だと思うけれど、聞いてあげる」と答えた。

 リニュアルした店は、テーブルが5卓ほどの小さな喫茶店だった。スイートなデザートはコーヒーを注文すればプレゼントされた。しかし、実際に出てきたデザートは小さなロールケーキを半分にしたものだった。客寄せのためのプレゼントなのだからこれくらいが当然の大きさだと思うけれど、姉は「写真にあるものとは違うね。もっとデコレーションが大きく載っているかと思った」と言う。それも、本人は私たちだけに聞こえるように言ったつもりなのだろうけれど、マスターが聞けば気分を悪くするくらいの声だった。どうして配慮がないのだろうかと私の方が慌てた。

 その姉が「中国は尖閣諸島を自分のところの領土だと言うが、中国人はウソつきで、信用できない」と言い出した。私が「中国人にウソをつかれたことがあるの?」と聞くと、「中国人はみんなウソつきなの」と言う。そこで私は、日本に留学してきた中国人学生が両親から猛反対された話をした。彼女の両親は「日本人はとても野蛮な人たちで、女を見れば犯して殺す。そんな国へ行ってはならない」と言ったのだ。重慶で無差別爆撃にあい、親戚には日本兵に犯され殺された人がいた両親にとって日本は恐ろしい国だったのだ。

 中国人はウソつきと姉は言うけれど、実際に中国人からウソをつかれたわけではない。昭和一桁の人たちに共通する中国人に対する意識だ。中国へ侵攻した兵士だった人たちは自分たちの仲間の行為を語らない。語りたくないのだ。戦争に理性は存在しにくい。それはどこでも同じで、ベトナム戦争で戦ったアメリカ兵にも帰国しても悪夢にうなされる人がいる。国の指導者は「国益」のために戦争を始めるけれど、戦場に送り出された兵士は生きて帰っても心は傷ついている。

 愛国少女であった姉は、ひとりの中国人も知らないのに、「中国人はウソつきで、野蛮で、文字も書けない」と信じている。「みんなが領土の取り合いをしたらどうなるの?」と聞いても、「中国人に負けていてもいいのか!」と逆なことを言う。「いいじゃーないの。みんなが仲良く暮らしていけるなら。国なんか無くなった方が戦争しなくていいのではないの」と言うと、「日本がなくなったら困る」と言う。どうして?と聞きたかったけれど、止めて、「そうかなぁー」とだけ言った。姉はまだ何か言いたそうだったけれど、空気を読んで発言を控えた。ウーン、まだまだ元気だ。
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矢勝川のヒガンバナ

2010年10月01日 21時33分38秒 | Weblog
 昨日の中日新聞に半田市の矢勝川沿いに咲いた200万本のヒガンバナの写真が大きく載っていた。記事によると今が見ごろで、今年はまだ今週末までは見られるとあった。ヒガンバナがこんなに話題になったのは何時からなのだろう。子どもの頃、彼岸にお墓参りに行くと墓石の周りにヒガンバナが咲いていて、祖母は「この花には毒があるから触ってはダメ」と言っていた。お墓とかあぜ道に群がって咲いている。キレイな花だけれどキレイ過ぎるし、その姿は気味が悪いくらいだ。「地獄花」とも聞かされたように思う。

 大人になって、彼岸の頃になると必ず咲くヒガンバナが懐かしくなり、ピクニックに丁度よい気候でもあったから、子どもたちを連れてヒガンバナの群生を見に行ったこともある。ヒガンバナに心惹かれるのは、群生で咲いているからかもしれない。春の桜、初夏の紫陽花、秋の紅葉、いずれも群をなしている。1本では見られない迫力が感動を生むのだろう。それでも群生ならばどこでも美しいのかと言えば、チョッと違うように思う。私は半田市の矢勝川沿いのヒガンバナは本数こそ多いけれど絵になる場所が少ない気がする。

 まあ、個人の感覚の問題だから好きか嫌いかになる。また、誰と一緒に見るかによっても違う。景色とはそういうものなのだろう。名所旧跡を巡っても、関心のない人と一緒なら急いで回らなければならなし、美術展や演劇、音楽会などでも、どういう人と一緒に出かけるかで楽しさも違ってくる。逆に好きな人と一緒ならどんなつまらないところでも楽しくなる。同じ景色、同じ場所なのに、人間の感覚は複雑だ。感覚がそれぞれに違うから、好きの範囲も違う。みんながみんな同じ人が好きにならないようにできているのかもしれない。

 人は孤独になることを一番恐れる。だから人は孤独にならないように生きているとも言える。それでも時々、人はそのつながりを失うことがある。立場によっては人と断絶をしなければならない時がある。例がよくないかもしれないが、大阪の特捜検事は何かを暴こうとしていたとは考えられないだろうか。「時限爆弾を仕掛けた」と言う彼の狙いは何だろうか。厚生省の局長を自分たちが描いたシナリオ通りに犯罪者にしようとしただけの単純なものではないような気がする。今、大阪地検の特捜そのものに捜査が及んでいるけれど、特捜のあり方にメスを入れることが事件の解決なのだろうか、腑に落ちない。

 まあ、私のような素人が考えるような次元の問題ではないのだろうけれど、それにしても人間は孤独を恐れながら、しかし他人を信用しないジレンマを抱えている。一見するとヒガンバナのように妖艶であってもわずか1週間の命のような生き方をする人もいるし、目立たない道端の草花であっても清楚に生き続けるような生き方もある。けれどもどんな花もいずれは朽ちる。孤独を恐れるなら信じて生きる以外にない。それでも結局同じ時間しか生きることは出来ない。
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