友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

くちなしに青虫がいた

2010年08月16日 19時06分17秒 | Weblog
 まだまだ暑い日が続くようだ。鉢植えのくちなしに青虫が5匹いて、盛んに葉っぱを食べていた。その食欲は旺盛で、この写真は3日前だけれど、今では裸に近い。昨年まではアゲハチョウがやはり鉢植えのミカンの木に卵を産み付けていった。それが今年は1匹の幼虫もいなくて、ミカンの木は青々とたくさんの葉をつけている。アゲハチョウが来ないのをちょっと寂しいなと思っていたら、今年はくちなしの周りに黒いフンが落ちていたので、アゲハチョウの幼虫かと思って見たら青虫がいた。

 しかし、この幼虫は「ガ」ではないのか?たしか、何年か前にアサガオにこんな色の幼虫がいた。余りにきれいだったので「チョウ」の幼虫だろうと思い込んでいたが、写真を人に見せたところ「ガ」の幼虫と言われた。くちなしについた幼虫を見て、自分の気持ちが変わったことに気付いた。初めはきれいな幼虫だから「チョウ」の幼虫と思ったのに、それがアサガオにいた「ガ」の幼虫だとわかったら、途端に優しい気持ちがなくなった。すぐ思ったことは、1匹ずつ捕まえて駆除すべきだ、そうすればくちなしの木も傷まなくてすむことだった。

 でも、虫だって何かの役に立つために生まれたはずだから、たとえばヒヨドリがやってきて幼虫を食べるかもしれない。目立たないところにあったから鳥も見つけられなかったかもしれないので、それならば一番目立つ所に置いておこう。そう思って、一番高いところに置いたけれど、このところヒヨドリは全く現れない。幼虫はすっかり大きくなって、ますます葉を食べつくしている。「チョウ」の幼虫なら助けるのに、「ガ」の幼虫は殺してしまおうと思うのはなぜなのだろう。

 5匹いた幼虫も今朝見たら3匹になっている。2匹は鳥に食べられたのか、しかしそんな気配は全くなかった。いつも幼虫を見ていて不思議なのは、必ずどこかへ行ってしまうことだ。サナギになる場所は葉を食べる場所ではなく、もっと遠いところかもっと安全に羽化できるところなのだろう。そう思って探すのだけれど、見つからない。5匹が3匹になったのは問題だけれど、「チョウ」なら生かし、「ガ」なら駆除する私の気持ちはどこに判断の根拠があるのだろう。

 孫娘が小学校1年の時に、カミさんや娘とイギリスへ旅行した時の写真が出てきたので見せてあげた。すると自分の写真なのに、「小さい時はいいね。何していても可愛いもん」と言う。人は時々、思わぬくらいいいことを言う。小さい時は何をしていても可愛いとは味なことを言う。そういう意味では、高校1年のあなたはどんな仕草も女っぽくなってきているのだけれど、きっと本人はまだ何も気付いてはいないだろう。「ガ」は「チョウ」になることはないけれど、「ガ」も「チョウ」も同じ仲間だ。その容姿がちょっとばかり違うだけで受け取り方が随分違うのは可哀想な気がする。

 今日も紙一重の差の高校野球を見ていて、大げさだけれど、悲哀はどこにでもあると思った。青虫がせっせと葉を食べるように、とにかく生きる、それでいいと思った。
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