今朝、目が覚めた時、身体が重かった。首が痛い。昨夜、恐ろしい夢を見て、身体中が硬直していた。NHKスペシャル『命を診る・心を診る』は、私には衝撃的だった。幼い子が、口と鼻から管を入れられ、両手足を抑えられて点滴をされていた。
痛い、苦しいと訴えているようだったが、医師も看護師も「ガマンしてね」と言い続ける。難病の子は、移植手術しか助かる方法は無く、移植手術を受けるのは大きく育たなければいけない。そんな映像を見ていたら、助けることの難しさで自分が苦しくなった。
あの子が大きくなった時、この医療行為が恐怖となって甦ることはないのだろうか。麻酔されていれば、何も覚えていないだろうが、麻酔は使えないと言うので、医師と看護師が必死に子どもを抑え込んでいた。子どもは目を真っ赤にして、涙を流していた。
「命を救う」ことは医療の使命だが、本当にそれで良いのだろうか。昔、臓器移植について話し合ったことがある。クリスチャンの彼女は「命を助けることが大事」と言うが、私は「誰にも運命がある。運命を受け入れることが大事」と反論した。
医術の進歩で、臓器移植で助けるケースは増えた。医師が移植すれば助かると言うのに、他人の私がとやかく言うことは間違っている。それにしても恐ろしく怖い番組だった。私があの子どもなら、「殺して」と言いたかった。
そして今朝、クチナシの鉢を見ると、丸坊主になっていた(写真①)。ヒロヒコ君が教えてくれたように、オオスカシバの幼虫の食欲は旺盛だったのだ。葉を食べつくした幼虫は鉢の外に出て、さなぎになるための土を求め、ルーフバルコニーを這いまわっている(写真②)。
私が幼虫を一か所に集めていると、カミさんに「どうしてそんな残酷なことをするの」と非難された。幼虫は干からびて死ぬだろうが、鳥のエサになれば役に立ったことになる。そんな私の思いは、見方によれば残酷な行為だったのだ。
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