友々素敵

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明治100年から明治150年へ

2018年04月21日 18時00分16秒 | Weblog

  姜尚中さんが講演に来てくれた時、私たちとの懇親の席で「2018年は明治150年、政府は記念事業を行うようです」と話した。今朝の中日新聞を見ていたら、特集『変革の源流』の中で、保坂正康さんが「明治100年の首相は佐藤栄作、安倍首相の大叔父です。明治150年は安倍首相、ともに山口県(長州)の選出。今から100年後の歴史家に、150年たっても薩長政府が影響力を持っていたと書かれますよ」と指摘していた。薩長の影響力については定かではないが、安倍首相が憲法改定に並々ならぬ意思を持っているのも歴史に名を遺すためなのだろう。

 しかも面白いことに、明治100年に当たる1968年はどういう時代だったかについて、別のページの『考える広場』で特集していた。私は高校の教員となり結婚して、カミさんの家で義父と食事をすることがよくあった。東大全共闘の山本義隆議長が演説する姿をテレビで見た。警察官の義父はなぜか、「こいつは大物だな」と評価していた。その東大全共闘の島泰三さんが「捉えやすい明白な不正に反抗するという形をとりながら、自分たちの不安と世代的な不満を一気に爆発させた」と回顧していた。

 そして、島さんは「全共闘世代の人たちが、今の学生たちは何も動かないと憤って見せることがありますが、それは老人のたわ言です」と述べていた。京大で男たちと一緒に闘争していた上野千鶴子さんは、「男女が平等でない現実」から女性運動に転身していった。その上野さんが講演に来てくれた時、名古屋まで迎えに行った私は、彼女が全共闘をどのように総括しているのかと思い、いくつか質問してみたが冷ややかだった。「自己否定の思想は評価されるのでは」と尋ねても、「何を言ってるのこのおっさんは」という目で笑われてしまった。

 「社会問題として『反乱』にまで至るかどうか、それは時代背景によって違うのです」と島さんは言う。確かにその通りだろう。でも、反乱に至らなくてもやはり歴史は積み重ねられていく。明日は井戸掘り、どうか水が出ますように。


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