友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

死神と医者

2009年10月13日 21時33分32秒 | Weblog
 先週の土曜日、友人らがやっている演劇を観た。作品は2つあって、ともに私が朗読クラブに所属した時の先生である、舟木淳さんが演出をしていた。面白いのはこの町の演劇グループの上演なのに、1つは『天皇はんのミカン』は女性ばかりの出演であるのに、もう1つの『ある死神の話』は男性ばかりの出演であった。この演劇グループの男と女は仲が悪いのだろうかとさえ考えさせられた。2作とも昭和40年代の作品ということであったけれど、時代を超えて問うものがあったと思う。

 『ある死神の話』はテーマとしては興味深かった。死神の中にもいろいろなタイプがいて、ひたすら仕事に実直なものもいれば、果たしてこの人間を死の国に送ってもいいものなのかと考えるものもいる。「死」というメッセージを受けた死神が、死の国に送るに当たって、助けたり送ったり出来るチャンス(権限ではないようだ)を持っていることが面白い。だから、何も考えずに仕事を行なう死神はそれでいいけれど、果たしてこの人間は死に送るべきかと考えてしまう死神は、助けてしまうのだ。

 芝居を観る限りでは、助けるべき人間とそうではない人間の判断の基準というものがよくわからなかった。芝居の中である死神は、自暴自棄となって列車から飛び降り自殺を図った若い男を助けるが、私はなぜこの若い男を助けるのか、死神の判断基準が分らなかった。生きていけば、あの時死ななくてもよかったというケースはいくらでもあるだろう。また、逆に生きていくことが本当にその人にとって幸せなことなのかと考えさせられるケースだってあるだろう。

 ふと、孫娘と見ていたテレビドラマ『救急救命病棟24時』を思い出した。主人公の江口洋介が演じる医師はたまたまアフリカから帰国した時に東京で地震に遭遇し(?)、送られてくる患者を次々と助けていく。この病院の医師でもない彼のその医療に対する態度に、共鳴するものや反発するものなどいるが、全部を見ずに言ってはならないけれど、おそらく江口洋介のような医者こそが医者の手本と見なされていくのだろう。私はこのテレビドラマと演劇の『ある死神の話』は相通じるものがあると思った。医者も死神と同じように見えた。

 生かすも殺すも、医者も死神も判断を任されている。そのこと自体は問題ではないけれど、その基準はどこにあるのだろう。どういう人は助け、どういう人は見捨てるのだろう。演劇ではよくわからなかったけれど、医者の江口洋介の判断は明確であった。「助けられる命は全て助ける」。そこにはこれは良くてこれはダメだという基準はない。私は、そこが神と人間の違いだろうと思った。神は人を判断できるけれど、私たち人間にはその力はない。だから、全てを助ける以外に道はないのだ。

 その後は、神が定められる。私はひとりで納得していた。
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