友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人は才能を開花させるために生きている

2011年01月05日 22時03分44秒 | Weblog
 お正月のテレビ番組は何十年も前から、そんなに大きな変化はないようだ。まあ、お正月なのだから、ワッハハハと大笑いするのが一番良いのかもしれない。それがだんだんつまらなく思うのはやはり年齢のせいなのだろう。素直に笑えない、いや実は笑っているのだけれど、なんとなく笑わされているように思えてしまうのだ。やっぱり、スポーツの方がウソがないから良いと、このところ元旦は実業団駅伝を、続く2・3日は箱根駅伝を見ていることが多い。ただ、ひたすら走っているだけの番組なのに、日本人はこのひたすらが好きなのだと思う。

 実業団駅伝は大混戦で、最後はアンカー勝負だと解説されていたけれど、本当にそのとおりになった。残り何百メートルというところで、日清製粉・富士通・トヨタの3選手がどこでラストスパートをかけようかと相手の様子を伺っていた。あまり早ければ息切れしてしまうし、遅ければ早く出た者がゴールのテープを切るだろう。ハラハラして見ていると、やはり早く飛び出しすぎたのか、最後は3番手のトヨタが猛烈なダッシュでゴールした。思わず、「トヨタ、ガンバレ!」と声援を送り、一緒に涙していた。箱根駅伝も最後の山登りで不調と言われていた東洋大の選手に「ガンバレ!ガンバレ!」と声援を送りながら、トップで走っていた早稲田大の選手にも「負けるな!福島県同士だ。ガンバレ!」と理屈に合わない声援を送っていた。

 3日は、我が家での新年会のため途中が抜けてしまっていたが、いよいよゴール間近という時にはみんなの目線がテレビに集まっていたので、私も一緒になって見ていた。母校でもないのに早稲田大の選手がゴールした時には、みんなが「やった!」と声を上げ、東洋大の選手がわずかの差でゴールすれば「よくがんばった!」と涙を流した。さらに10位以内に入るかどうかのところにいた国学院大の選手が、トップで来ていながらコースを間違えた時は「エッ!」と声を上げ、それでも必死で駆け込みシード権を確保した時には「良かった!」と泣いて喜んだ。馬鹿みたいだけれども、スポーツはだからみんなが楽しめる。

 紅白歌合戦であるいはレコード大賞で、話題の『トイレの神様』を聞いた。2回とも聞きながら涙を流してしまった。私の祖母のことを思い出したのではなく、昔はそんな風に「トイレの掃除をするといいお嫁さんになれる」と言っていたことを思い出したのだ。今のような水洗トイレならば臭くはないけれど、汲み取り式のトイレの掃除はとてもじゃないが嫌だった。私たちの中学校では溜まった糞尿を桶にくみ出して、学校の外の荒地に放っていた。私自身はその当番になったことがないが、うまく逃げていたのか覚えがないけれど、ひどいことをしていたものだ。

 その『トイレの神様』を聞いていたら、孫娘が中学を卒業する時に、新しく父親になった長女のダンナが作った歌を思い出した。長女のダンナは才能のある人かも知れない、だって紅白で聞いたラップ調の歌よりも彼の歌の方がいいし、この『トイレの神様』とも互角の出来ではないのか、そんな気がしてならなかった。歌もまたスポーツと同じように、人の心を気持ちよくするし、和ませてくれる。そういう歌ができる人は凄い才能の持ち主なのではないだろうか。人間は皆それぞれに豊かな才能が与えられている。人はそれを開花させるために生きているようなものなのかも知れない。

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