友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

寒さの中で

2012年12月02日 18時06分13秒 | Weblog

 寒くなると予報されていたけれど、本当に寒い一日だった。今日で全ての鉢の土の入れ替えを終わるつもりでいたが、出来なかった。寒いと言っても風はない。これなら充分に作業が出来るだろうと思い、ルーフバルコニーに出て作業を始めた。風はないけれど、空気は冷たくて、顔がこわばってくるし、鼻水が自然に流れ落ちてくる。軍手の指先が次第に感覚を失っていく。寒さのせいなのか、心臓も痛い。これ以上続けていては本当に心臓が止まるかも知れないと思った。それでも午前中に出来る分はやろうとして、同じ姿勢をとり続けないように気を付けた。

 残りはあと大小合わせて9鉢あるが、どれも小さいから頑張れば1日で、長くても2日もあれば完了する。毎日続けても、天候のこともあるからやはり2週間はかかる。2週間かけて土を入れ換えて植え込み、花が見られるのは1週間かと思うと、とても割りの合わない作業だ。そう思いながらも毎年毎年なぜ続けているのだろう。こんなに土の入れ替えをしなくても、適当に植え込んでも花は同じように咲くだろう。そう思うと、結局は自己満足のために行なっているのだと思う。私はいつもどんなことでも自己満足を得るために頑張っているようだ。

 花が咲けば、ひとりでも多くの人に見せてあげたい。「よく頑張ったね」という言葉よりも、美しいものを見ることの喜びを共有したいのだ。それは自分が育てたチューリップでなくてもかまわない。満開のサクラ、川面に浮かぶ花筏、雪の中で咲く椿、見渡す限りの紅葉の山里、水しぶきを上げる滝、どこまでも続く海原、道端に咲く露草、実は何でもいい、きれいだね、見事だね、そう思って共有するものがあればそれで満足なのだ。

 綿矢りさという若い小説家がいる。『勝手にふるえてろ』では、未婚の女性が抱く結婚への憧れが面白おかしく描かれていた。井上荒野というもう少し年上の女流作家がいる。『切羽へ』を読むと、既婚の女性が抱く恋情の刹那さが分かる。肉体の交わりはないけれど、儚い情愛が漂っている。男でも女でも、ギリギリのところで生きている。見事なまでの正直な女性の気持ちをふたりの作家は全く別の次元で描いていて面白いと思った。

 今朝の朝日新聞に絵本の募集の結果が報道されていたが、私の名前はなかった。あれから図書館で絵本を見たけれど、私が描いたものは余りにも時代遅れの作品だった。これでは大賞にはなれないなと思ったが、佳作にも入らなかった。自分では何でも出来る、才能豊かな人間と思っていたけれど、実際はそれほどでもないことがまたひとつ証明されてしまった。綿矢さんや井上さんのようには小説も書けないし、いや、今度行なう市民講座のチラシの原稿すら進まない。やっぱりチューリップのための土の入れ替えがせいぜいなのかと落ち込んでいる。

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