友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

『50年展』の案内状

2015年09月21日 18時17分13秒 | Weblog

 「敬老の日」に合わせてか、卒業生から『50年展』の案内状が届いた。卒業生と言っても私とそんなに歳の差はない。私が新卒で赴任した高校に1年生で入ってきたから、21歳と15歳の6つ違いである。彼は1年生で留年したので、翌年に私が1年の担任になった時から付き合いが深まった。担任と生徒ではあったけれど、彼はほとんど毎日のように私の下宿に来ていた。

 私よりも先に下宿にいて、私の本箱から好きな本を取り出して読んでいた。一緒に飯を食べていくこともあった。キャベツの千切りにソースをかけて食べさせると、初めての経験だったようで、下宿でのふたりの定番になった。私が彼の家に遊びに行ったこともある。夥しい漫画があったが、物語性が高いものが多かった。私の方が夢中になってしまうものもあった。

 私が結婚して団地生活を始めると、生徒たちが押し寄せて来たが、彼はその仲間の時に加えてひとりでやって来ることもあった。団地は洋式トイレになっていて、彼が使った後でトイレに行くと便器がビショビショだった。使い方が分からなくて、便座を下ろしたまま使用したのだ。教えなかった私が悪かった。カミさんに内緒で急いで掃除しておいたが、生活が変わっていく時代でもあった。

 彼は卒業し、念願の自動車のデザインに携わる。先生と生徒の関係から友だちの関係に変わった。信州のコテージに招待してくれたり、彼が箱根に赴任すると家族4人で押しかけたりと、家族で付き合うようになった。彼も私のふたりの娘の面倒をみてくれた。また、我が家へも家族揃って遊びに来てくれた。彼は独立してデザイン会社を立ち上げ、業界にこの人ありと言われるまでに名を挙げた。

 栄枯盛衰。私が教職を離れ、彼も仕事に追われ、次第に行き来も無くなった。何年か前、彼は「病気になった」と訪ねて来たが、それっきりになってしまった。どうしているのか、ズ~と気になっていたが、住所も分からず連絡もなかった。「50年にわたるデザイナー人生の作品展を開くことにしました。高校生の頃の課題作品、練習作、会社員の頃の作品、32歳で起業し制作したデザインのアイディアスケッチや試作サンプルなど、多数展示します」とある。

 彼の人生は私の人生でもある。どうしても観に行かなくてはならない。

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