友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

子育て

2015年06月23日 19時14分41秒 | Weblog

 雨が上がったら暑くなった。昨日は夏至だったけれど、曇っていたので太陽が一番長く輝いている日という実感を味合うことはなかった。今日はどうだろうと見ているけれど、また雲が空を覆ってきた。ルーフバルコニーの南側はサルビア・日日草・キキョウが咲き揃ってきた。椿の根元に昨年は1本であったツユクサが鉢一杯に生い茂っている。北側のバラたちは2番手がまた咲き始めたけれど、5月の時のような勢いはない。アジサイも盛りは過ぎた。

 花は手をかけてやれば応えてくれる。しかし、中には思ったように咲いてくれない花もあるし、手をかけすぎて痛めてしまうことだってある。声を上げないだけに、よく観察していないと見逃してしまうこともある。最近、雑誌や週刊誌で子育てのことが取り上げられている。下重暁子さんの著書『家族という病』が新聞広告に出ていたし、女性週刊誌の広告に下重暁子さんと精神科医の香山リカさんの対談が掲載されていた。週刊誌『AERA』も特集で「完璧すぎる親を目指さない」を組んでいた。

 子育てで悩む親たちは30代から40代、つまり私たちかその下の団塊の世代の子どもたちである。戦後、家庭は大きく変わった。私の家は10人家族で、祖父は特別な存在で一家に君臨していた。家族で食卓を囲んで食べていたが、団欒することは一切なかった。それが核家族となり、子どもは少なくなり、食卓を囲んで談笑する家庭像が理想となった。私は「黙って食べなさい」と言わず、子どもたちが話すことを面白がって聞いていたし、家族で旅行するのを務めのように実行していた。

 親としての役割と思い、子どもたちを信頼していたし期待もしていたけれど、過度ではなかったと思う。子どもたちがどう感じていたのか分からないが、父親がどういう人間であるか、どういう価値観を持っていて、何を大切にしているか、これは強く押し付けた。「人には優しく、自分には厳しく」と言って聞かせてきた。子どもたちは伸び伸びと育ってくれた。今、その子たちは親になり、子育ての最中だ。家庭はこうあるべき、親は、子どもは、と形を求め過ぎないで欲しいと思う。それよりもひとりの人間として扱って欲しい。

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