友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

桜散る

2008年04月07日 19時50分54秒 | Weblog
天気予報どおり昼からは雨降り。雨は明日の午前中まで続くようだが、植物にとっては惠の雨となった。桜はこの雨に打たれてますます花びらを落としている。ガクごと落ちてくるものさえある。晴れた日に、風に舞う花吹雪は情緒的で物悲しさを覚えるが、こうして雨に打たれて静かに散っていく桜は哀れというのか、それとも目立たなくていいというべきなか。

桜が吹雪のように舞い散る様子は、確か黒木瞳さんが出演して話題になった『失楽園』の最初のシーンに用いられていた。ストリーもどんな映画だったかも忘れてしまったのに、桜が散っていく場面だけは覚えている。ハラハラと散っていく花に愛着を抱くのは日本人特有の美意識でしょう。完全なものよりも未完のものやあるいは崩れていく様を愛することは並みの神経ではありません。

 昨日、ポン菓子をボランティアで行い、私たちと同じ歳くらいの人たちから「また、来年もお願いしますね」と声をかけてもらった。私たちも「また、来年ね」と答えたが、メンバーの一人が「もちろんそのつもりだけれど、果たして来年、自分がここに立っているかはわからんから」と言います。目の悪い人、耳が聞きにくい人、血圧の高い人、心臓の悪い人、血糖値が急に下がってしまう人、歳をとればどこか悪いところが出てきます。

 桜散る。そんな日がいつか必ず来ます。それまでは、それぞれに人生を謳歌していましょう。今朝の朝日新聞の『天声人語』は「カーリング型社会」を取り上げていた。ブラシでこするのを止めると、減速したり止まってしまう新入社員のことです。若者たちは働いて何かを手に入れるという「夢」や「希望」を見出せないでいる。そんな社会にしてしまったのは、他でもない私たちです。私たちはあらゆるものを手に入れてしまった。もちろん格差は大きく存在する。それでも人類は頂点に達してしまった。

 同じ今朝の中日新聞の『中日春秋』は、不沈戦艦「大和」が3千人以上とともに東シナ海に沈んだことを取り上げ、後で連合艦隊司令官自身が無謀な作戦と回想しているのに、なぜ出撃したのかと問題を突き、答えは「空気」である指摘している。「特攻攻撃は当然」とする「空気」が支配していたのだ。ひとり一人はまともで正常な神経の持ち主なのに、世の中のあるいは集団の「空気」は全く違うものになっていた。連合赤軍の「総括」なる虐殺も同じだろう。

 「空気」に抹殺されるような生き様はしたくないし、そんな風に死にたくもない。ひとり一人が自分自身の生を生きているのに、流された「生」しか人は生きられないのだろうか。桜は散ってもまた来年、確実に花を咲かせるのに、人は桜のようには生きられない。
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