友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

演劇「ウスリーの赤き流れに」

2016年08月26日 19時08分56秒 | Weblog

 卒業生が「私が演劇の劇中スライドを作成しました」と、演劇のチラシを送ってくれた。送ってくれたのだから観に行かなければならないと「ぴぁ」でチケットを購入した。どうせ行くなら、名古屋市博物館で開催している『ポンペイの壁画展』も観て来ようと、朝から出かけた。『ポンペイの壁画展』は、説明用のイヤホーンを着けている人が多く、なかなか前に進まないので混んでいた。

 火山の噴火で街が埋まってしまったのだが、そのため壁画が劣化せずに残ったとある。壁に窓を描いてその奥に遠近法で風景を描き込むことが、この頃のイタリア人の家の流行だったようだ。風景だけでなくギリシャ神話も描いているが、これも古代ギリシャへの憧れのようだ。先日もイタリアで大きな地震があったけれど、石とレンガの組み合わせの家は地震には弱い。

 千種文化小劇場は吹上駅からすぐなのに、何を思ったのか御器所駅で降りてしまった。1つ駅くらい歩いてもよかったがあまりにも暑いのでまた地下鉄に乗った。せっかく昼食を節約したのに、余分な出費になってしまった。平和を語り継ぐ公演と題する『ウスリーの赤き流れに』は、1945年8月の満州の東端、ウスリー江を臨む虎頭での悲劇を描いた演劇である。

 ソ連との国境に面した虎頭の山岳地帯には東洋最大の地下要塞があった。ところが戦線の拡大で関東軍は南方戦線に送られ、ソ連が参戦してきた時はわずかな兵隊と武器しか残っていなかった。開拓団の老人や婦女子など2500人ほどの民間人がいたが、無事に帰国できたのはわずか53人だった。それはなぜなのか。「バカな上官、敵より怖い」と言うように、戦場では命を守ることよりも軍規が優先され、降伏を恥と教えられてきたからだ。沖縄戦でもそうであったが、無駄死を名誉と強制した。日本が無条件降伏した8月15日を過ぎても降伏を受け入れず、勧告する軍使を切り殺している。

 戦争を繰り返さないと誓った新憲法が変えられようとしている今、戦争の悲劇を語る必要があると劇は訴える。それでも「自主憲法」の声が大きくなってきた。戦争でいったい誰が得をするのか、軍隊がなければ国民は守れないのか、もう一度考えてもいいと思う。

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