友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

病院で聞いた会話

2013年10月15日 18時33分54秒 | Weblog

 ひとり暮らしの姉を連れて病院へ行った。姉は週に一度、点滴を受けている。日頃は嫁に行った娘が付き添って行くのだが、その姪が「今日、(義理の)お母さんが心臓の手術をすることになったので、お兄ちゃん(私のこと)代わりに行ってくれない?」と言う。姪っ子の苦労を考えれば、私が出かけることなど全く比ではない。姉の住む市営住宅へ迎えに行く。住宅から出てくる人を見ていると年寄りばかりだ。それも健常と思われる人たちは少ない。姉も歩くのが不自由になったと言う。83歳なのだから仕方ない。

 病院は入院設備のないクリニックで、椅子の余裕がないほど混んでいる。ほとんどが高齢者だけれど、20代から30代の男女もいる。女の人は分からないが、男の人に「ガーゼを取り換えますね」と看護婦さんが声をかけていた。受付は若い看護士さんだが、診察室や治療室で働いている看護婦さんは主に60代の女性が2人、点滴や採血などをやりくりしていた。姉が点滴を受けている間、私は病室の前で患者さんたちの会話を聞いていた。

 男女で病院に来ている患者は夫婦だろう。まだ50歳前後の夫婦がいた。カミさんは雑誌を見ていた。ダンナの方は絶えずしゃべっていた。ダンナが琵琶湖へ行ったことがあると言うと、カミさんは雑誌を見たまま、「それは良かったわね」と言う。そしてダンナが「琵琶湖を一周した」と言うと、カミさんはやはり雑誌を見たまま「凄いじゃん。よくやったわね」と言う。ダンナが「足が浮腫んでる。悪いところばっかりだ。何ひとつといいところがない」と言うと、カミさんは雑誌を見たまま「そんなことないじゃん。いい顔してるじゃん」と言う。

 ダンナが何を言っても、どんなに同じ話を繰り返しても、カミさんは否定しなかった。「そうだね」とか「そうよ」とか相槌を打っていた。雑誌ばかり見ていると思っていたが、このカミさんは試練を乗り越えてきたのだなと思った。点滴が終わって、先生が治療室にみえたので礼を言い、姪の義母が入院したことを伝えた。私が姉と一緒にいたのは3時間ほどだが、姉の認知症は進行していると感じた。では、どうしたらよいのか、どうすることも出来ない。先のことは神様に任せる他ない。

 明日から18日までは岩手へ井戸掘り仲間と出かける。そして、19日は高山へ出かけるので、4日間ブログは休みます。

コメント
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