友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

台風は去ったけれど

2010年08月12日 21時47分15秒 | Weblog
 台風4号は秋田県に上陸し、岩手県を通って太平洋へ抜けると報道されている。この辺りはそれほどの雨風はなかったけれど、被害が出ている地域もある。暑さから逃れて、北海道へ出かけた友人もいるが雨に降られていることだろう。この頃は台風の発生件数が少なくなったのに、発生場所は北上している。台風の通るコースもこれまでとは変わってきている。信州へ出かけていた時も、雨は局地的な降り方だった。信州ではよく飲んだというよりもよく話したという方が正しいし、実際に大満足の2日間だった。

 人は話すことで人と自分との信頼を確認する。自分が受け入れられていることが確認できればそれはとても嬉しいし安心できる。幸せも不幸も人と人との中にある。だからこんな風に、ワイワイとお酒を飲みながら6時間近くも話が尽きない。では、どんな話だったのかというとその中身まではよく覚えていない。「楽しかった」。それだけでいいじゃないかとも思う。長老に「ちょっと飲みすぎじゃーないですか」と声をかけるが、「今は酒が飲める。じゃあ、明日も飲めるかと言えば絶対という保障はない。だから飲める時は飲む、これが一番」と言う。

 刹那的だというわけではなく、彼にしてみればもっと積極的に人生を生きるということの表れである。100歳を超える高齢者で、生存不明の人が何人もいることが判った。家族とのつながりがなくなってきていることの表れと言う人もいる。子育てを放棄してしまう母親もいる。母性は本能ではないことを教えてくれた事件だった。誰だって重い責任が自分ひとりにだけ押し付けられたならばネグレクトしたくなって当然だろう。明治時代に国家が強権体制を整えていく中で、夏目漱石は「個人主義」へと向かっていった。民主主義社会ではまず個人の確立が求められる。一人ひとりの自覚がなくては成り立たないからだ。

 個人として確立すべき人間は、しかしひとりでは生きられない。誰かを愛するか誰かに愛されるか、そういうつながりがなくては生きていけない。いや、ひとりでも生きている人はたくさんいると言う人もいるけれど、そういう人も人の中で愛したり愛されたりしているから生きている。愛する愛される形には男と女のような形もあるけれど、もっと普通に「おはよう」「こんにちは」と声を交わすだけの簡単な形もある。男と女の形は最も深いものだからそれだけ豊かだけれど、うまくいかなくなれば最も傷つけあう形になる。

 今日の朝日新聞に文芸部の女性記者が防衛大学校長にインタビューした記事が掲載されていた。彼女自身が告白していたが「何をどう聞けばいいのか」、わからないままであった。何がというと、「同盟」についてたずねているけれど、そもそも彼女には「国家」「同盟」「政治」という言葉について、認識がないままにインタビューしている。だから、何を引き出すのか、分からないままの記事になってしまっている。小国が生き延びるために「同盟」を結ぶと言うけれど、「国家」が生き残るとはどういうことなのか、なぜ、その辺りが記者には何もないことが気になった。
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