友々素敵

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地域エゴを代表する議員をなくす

2010年08月23日 21時07分00秒 | Weblog
 絶対的な権力者といえば、世襲だった王様や殿様だ。名古屋市の河村市長は「議会は王様だ。こんな馬鹿なことはあってはならない」と言う。これに対して市議会は「河村市長は絶対者になろうとしている」と批判している。一昨日、『地方議員の年金廃止へアクション』と題した集会を自治ネットの主催で開催した。河村市長をゲストに招き、議員年金の廃止論をぶってもらった。残念ながら私は受付役だったので、初めからキチンと聞けなかったけれど、河村市長の言う「市民並みでいいじゃーないですか。市長も議員も、市民と同じ生活をすべきでしょう」はストンと胸に落ちてきた。

 地方自治体の議会は、やはりその位置付けを見直すべきだと私は思う。河村市長が言うように、自分の言うことを聞く政党を立ち上げ、その政党が議会の過半数を取れば、提案した議案は全て議会の承認を得られる。「それを目指す河村市長はケシカラン!議会を大政翼賛会にしようとしている」と名古屋市議会は批判しているし、一昨日の自治ネットの集会でも、河村市長のやり方は翼賛会作りだという意見が多かった。けれどもよく考えて欲しいのは、河村市長以前の名古屋市議会はどうだったのか。多くの地方議会では与党も野党もないはずなのに、「私たちは与党だ」と言う議員たちによって首長の提案に対しては全て賛成してきたはずだ。これも大政翼賛会の議会だろう。

 これまでの多くの地方自治体の議会では、保守系の首長に対して保守系の議員は提案された議案に賛成することを務めとしてきた。今、保守系も革新系も無くなり、首長と議会は正しく対等な立場から、自分たちの住む地域のあるべき姿を求めて、様々な提案がなされている。特に、議会では多数派となることは難しくても、市民の意向を受けて首長に当選した人はままある。最たる人は長野県知事に当選した田中康夫さんで、また消費庁長官に就任した前我孫子市長の福島浩彦さんも、議会と常に対立していた。「革新」と言われた首長はことごとく議会と対立し、その多くは議会を納得させきれずに終わったと思う。

 議員が地域エゴを代表するような地方自治体議会では、住民全体の利益よりも、あるいは自治体の将来やあるべき姿よりも、現実的な地域の利益が最優先される。有権者はそれこそが議員選びの基準と考えている。国政では政権交代をさせても、地域ではまだまだ地域エゴが幅を利かせている。だから、どんなに河村市長が河村党の候補者を立てても、地域ではボスが暗躍し、既成政党がこれまでどおりの勝利を収めるのではないかと私は推測している。地域エゴを代表するような候補者を当選させないようになれば、確かに民主主義は地域に根付いたといえるだろう。

 そう考えると、一番悪いのは私たち有権者だ。名古屋市議会が主張するように、「選挙で選択(洗濯)すればいい」のだが、まだそのレベルに達していないことだ。私たち有権者は、首長も議会議員も選挙で選ぶことができる。こんな首長はダメだと思えば投票しなければいいし、こんな議員はダメだと思えばそうでない議員を選べばいい。ところが、首長の良し悪しは分かるけれど、議員はどのようなことをしているのか、その見極めが難しい。議員がいつどこでなにをしていたのか、有権者はどれだけ知っているのだろうか、知る努力をしているのだろうか。
コメント
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