友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

無性に腹が立った

2009年08月03日 19時19分06秒 | Weblog
 何だか無性に腹が立った。カッと燃え上がってくるものがあった。昨日の夏祭りでのことだ。

 一昨日とほぼ同様の天気だった。アメダスによる天気予報も夕方6時以降は同じように曇りと予報していた。夏祭りの役員が集まった午後1時の時点は土砂降りだった。おそらく中止だろうと思われたが、役員さんらは慎重を期して、1時間後の午後2時に決定すると延ばした。午後2時、天候の好転は無かった。案の定、中止の知らせが来た。

 「仕方ない。それではこれからここで反省会を行ないます」。雨は次第に小雨と変わり、止んでしまった。これから手伝いに来てくれる人や家族らも呼び集め、反省会を始めた。相変わらず、鮎の塩焼きは香ばしい臭いを周囲に漂わせている。仕入れてきた焼きソバをはじめ、焼き鳥やネギマも焼き、缶ビールを開けて飲みだした。中止の広報車は市内を回っていたけれど、それでも時間が経つに連れて、市民が多く集まってくる。

 「鮎の塩焼きをください」。「焼き鳥を8本とネギマを8本お願いします」。自分たちのために焼いていたけれど、分けてといわれてダメだとは言えない。私たちのグループの他にもいくつかのグループが私たちと同じように『営業中』となった。役員さんが血相を変えてやってくる。すぐに止めてくださいと言いたいところだろうが、「なるべく早く終わってください」と言う。それから市職員の担当者が「電気は切ります」と言い、電源が切られた。まだ、明るいからかまわないけれど、これでは暗くなったところで自然閉幕だ。仲間の一人が「暗くては元気が出ないから」とランタンを持ってきた。

 市民の集まりがピークとなった午後5時半過ぎ、市職員の幹部が3人で私の元にやってきた。「すぐに止めてくれませんか」と言う。「えっ、どうして?」と聞く。「苦情が来ているんです」。「どこから?」。「(市当局の指示に従って)『屋台をやめたのに不公平だ』と言うのです」。「そうですか、じゃあ、私が謝りにいきましょう。どこの誰ですか?」。「それはわかりません。中止になったのですから、すぐに止めてください」。「電気も消されたので、暗くなったらできません。6時半までには片付くでしょう」。そんなやり取りだった。

 私が議員の時、この人は幹部になるだろうなと思っていたが、そのとおりだった。私が市長になっていたなら、この人とは激論が絶えないなと思う。現在の市長ではなく、この夏祭りを始めた前の町長なら「あんた達は何を考えている。市民に奉仕することがあんた達の仕事でしょう。そんなこともわからんのか」と怒鳴り散らすだろう。同じ仲間出身の市長は、「何事も無く」を第一にするから、幹部連中は市民サービスとは何かなどは考えない。「事が起きない」ことが良い行政だと思っているのだ。

 夏祭りは市民が集い楽しむ機会だ。前の町長が求めた「平和」行事も形としては続いている。夏祭りで町長が実現したかったのは、市民が自ら企画し実行し参加する一体感だったと私は思っている。夏祭りの中止にもかかわらず、集まってきた市民がほんの少し祭り気分を味わうために、屋台に求めてきたことを断ることは本意ではない。市民サービスを考えるなら、中止にしてしまったけれど、こうして集まってきてくださった市民が少しでも満足できるようにすることではないのか。

 「中止だから交通規制ができない。危険だから止めて欲しい」と担当者は言うけれど、それならば職員の肩書きを脱いで、自主的に交通整理に立てばよいではないか。私はグループの責任者として交通整理を行なったが、勝手に交通規制をしたわけではなく、あくまでも運転手さんに自主的判断として迂回してくれるようにお願いしたに過ぎない。職員が市民の安全を願うなら、自ら交通整理に立って欲しかった。「やめてください」とばかり言わずに、どうすることが市民の安全を守り、市民が満足できるのか、市民に迎合するのではなく、先を見据えて考え行動して欲しかった。
コメント (1)
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