みのハイキングクラブ

友と山に登り、自然に親しみ、心身を健やかに、親睦を深めます。

第11回おれんじの会一乗谷と明智神社

2019-07-22 | 散策

おれんじの会報告

2019年7月17日(水)   天候 晴れ   参加者 21名

 CL 古谷さん

 九頭龍ダム湖を観る頃は、青空だ。懐かしい風景でまだまだ工事中という感じの街道を行き、大野市街に入る。
 
一番目は、新田義貞公の御墓所のある称念寺訪問。ご住職の丁寧な楽しいジョーク。あふれるお寺に纏わるお話しをお聴きする。その内、目当ての明智光秀公が仕えていた斎藤道三公が没落後に奥様と縁あるこの寺の近く住み、10年間の浪人生活で過ごしたとのことです。その間に後の細川ガラシャ様となる娘様が誕生。たくさんの有料の資料があり、参考となる資料をそれぞれ購入しました。
 
次は、明智神社を訪問する。予想外にかなり地味な小さい神社でした。続いて、近くにある西蓮寺訪問した。そして、一乗谷に向かう。
 
一乗谷では、まず、古谷リーダーの案内で、朝倉氏に亡命した足利幕府の最後の15代将軍の足利義昭御所・安養寺跡を見学した。
 
昼食後、久保女史ガイドの案内で、アップダウンのある遺跡巡りをする。諏訪館跡庭園。中の御殿跡。物見台。湯殿跡庭園。長く畑に埋もれていた様ですがきれいに昔のままに残されている。立派な石垣もある。唐門の前で記念撮影。その後、復元した街並みを見学した。
 
上級武家屋敷跡、屋敷は復元している中級武家屋敷跡。そして庶民の町屋も再現。大、小があるが、どの家にも井戸があった。再現にあたり、発掘した塀の石垣や建物の基礎石をそのまま使っているそうだ。
 
最後に、一乗谷朝倉氏遺跡資料館訪問。実物を見学した後なので、もう充分な気分でした。充分な見学終了しました。さあ帰りましょう! 
                           (記録担当:佐野さんの報告より)

コースタイム
若草プラザ6:00==岐阜大和P6:35===白鳥IC6:50=道の駅・九頭龍7:30==称念寺8:40~9:00==明智神社・西蓮寺10:30~11:10==一乗谷・足利義昭御所・安養寺跡11:25~11:40==昼食(40分)~12:30 久保女史ガイドの案内:100年続いた北陸の京都:朝倉氏の跡地の詳細なガイド ~14:40==朝倉氏遺跡資料館14:45~15:15==道の駅・九頭龍16:25==白鳥IC17:00==美濃IC17:30==若草プラザ17:50


                                                        (写真提供 古谷さん) 



                                               (地図提供 古谷さん)

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第10回おれんじの会明知城と大正村歴史散策

2019-04-11 | 散策

おれんじの会報告

2019年4月10日(水)  天候 雨   参加者 21名 

 

   

CL 古谷さん 

 あいにくの雨降り、運営担当者は「実施するかどうか、かなり迷った?」と言う事でしたが・・・。集まったメンバーは、大河ドラマで放送される場所への行楽に期待を膨らませていました。
 最初に到着したのは「お牧の方墓所」でした。ガイドが墓所建立の由来をユーモアたっぷりに説明、雨天にも挫けない良好な滑り出しとなりました。 墓標の脇には樹齢400年の高野槙の大木があり、牧と槙が並んでいたのが印象に残りました。
 「団子杉」幹回り5.5m 樹高18.2m樹齢千年、杉の原種だとの説明でした。立ち上がり3m程で18本の枝分かれがあり、その木全体の形状が団子の様で団子杉と云われたようです。
 「龍護寺」遠山家の菩提寺であり明知光秀公の供養塔があります。遠山家(遠山金さん)と明知光秀公との関係を示す系譜が掲げられています。隣の「八王子神社」には明知光秀公手植えの楓がありました。
 「大正ロマン館」大正ロマンをイメージした建築で、初代村長:高峰三枝子、村議会議長:春日野清隆、両氏にまつわる貴重な品々や、大正時代の西洋家具、オルゴール、山本芳翠画家の油絵等が展示されています。
 「旧三宅家」331年の歴史がある旧家だそうです。養蚕農家として板の間が拡張された建築様式で、囲炉裏では火が炊かれていました。
 「千畳敷公園」その昔、のろし台や砦があったそうで、土岐明知城ののぼり旗が立ててありました。
 
「大正村資料館」大きな土蔵が資料館に改造されたもので、1階~3階にかけて大正文化の資料、例えば、・新聞・教科書・蓄音機・錠前・全国各地の玩具等が数多く展示されています。
 「時代館」大正時代の著名な建築物、例えば、東京駅・帝国ホテル等のミニチュアが数十点展示されており、また、別棟では、大正天皇陛下の生涯についての解説が掲げられていました。
 その他、中馬街道の「うかれ横丁」、大正時代から続く旅館や店のある通りの散策、川沿いにあった「遠山桜」をバックにした記念写真の撮影、帰路途中には、「土岐氏一日市場跡」へ立ち寄った事もあり、雨天だったとはいえ、奥深い大正の歴史に触れられた、楽しく有意義な一日でした。
       
                       (記録担当 小瀬Sさんの報告より)

 

コースタイム
 わかくさP7:11 = 富加IC 7:27 = 美濃加茂IC7:35 = 7:50五斗蒔PA7::57 = 瑞浪IC8:06= 大正村P8:43 = 8:58お牧の方墓所9:12 = 9:17団子杉9:26 = 9:32龍護寺9:57・・・10:35大正ロマン館・旧三宅家10:50・・遠山桜11:05・・昼食・大正村P12:28 = 12:33千畳敷公園13:03 = 13:11大正村資料館13:45・・うかれ横丁・・14:10時代館14:23・・14:33大正村P14:36=  15:09土岐氏一日市場跡15:19 = 瑞浪IC15:25 = 15:33五斗蒔PA15:36 = 美濃加茂IC15:53 = 富加IC 16:03 = わかくさP16:29


                         (写真提供 古谷さん)


                           (地図提供 古谷さん)                                             

            


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第9回おれんじの会 伊賀上野 歴史散策

2019-02-15 | 散策

おれんじの会報告

2019年2月13日(水)  天候 晴れ時々曇り    参加者 22名

 


CL 堀越さん

 天気が心配されたが、持ち直し定刻より5分遅れの出発となった。総勢22名、内(うち)女性は15名で女性上位が続いている。渋滞が心配だったがほとんど無しで、大山田SAで休憩後定刻の9時に上野公園に着きました。すでに語り部のお二人が待っていてくださいました。辻野さんよもう一人はかしき(日に欠)という大変めずらしい名前でした。簡単な打ち合わせの後、いよいよ探索に出発です。
 町に入ってからきがつくと、塀や屋根に忍者が張り付いているのがめずらしいです。叉建物が江戸の城下町風に建てられ、小学校の塀までもみごとでした。上野市といえば、予備知識は、鍵屋の辻の仇討ち、西岡たかしの名曲の上野市(うえのまち)くらいでしたので何処を見られるのか楽しみです。
 最初に訪れたのが日本で一二を争う高石垣です。柵がないので上から見ると怖いほどです。石垣の曲線が妙に艶かしく途中に膨らみもあり、石の芸術品です。
 次に伊賀上野城に入ります。白亜三層の天守閣が優美、端麗ににそびえています。藤堂高虎が修めた伊賀の町を見下ろしています。
 芭蕉翁記念館に向かいます。ここには芭蕉の旅姿の衣装が置いてあります。真筆の書もおいてありました。
 今日は見学場所が盛りだくさんで急ぎ足です。伊賀流忍者博物館にきました。最初に忍術とはの説明がありました。戦いを避けて、人々がお互いに平和に生きるための技術や技術を集めた総合生存技術であり戦うことは最終手段だということです。隠し戸、隠し壁など色んな仕掛けの部屋がありました。叉演者の切れ切れの動きに思わず歓声が上がります。
 見学後、曲線を活かした俳聖殿を見学後、昼食になりました。その後はお目当ての城下町巡りです。古い建物や店屋を廻ります。ここの名三大物は丁稚羊羹と、超固焼きせんべいと、養肝漬だそうです。早速に名物を買い求めました。
 上野市駅を通り、だんじり会館に向かいます。ここのだんじりは京都祇園祭の形態を模した囃子屋台です。秋祭りの天神祭は様々な鬼の面を付けた行列を従えます。お面が様々な表情で少し怖いほどです。
 すべての見学を終え、バスに乗り込みましたが仇討ちの鍵屋の辻を見たいとリクエストがあり、語り部さん二人が快く案内していただけました。鍵屋の辻は公園になっており、記念碑や道標が往時を偲ばせます。ここで語り部さんとお別れし、バスは一路、関 に向かいます。途中御在所SAに立ち寄り定刻の17時に若草プラザに到着です。車内では面白かったね、楽しかったねという声が飛び交います。各係りの皆さん、参加者の」みなさん色々ありがとうございました。
                   (記録担当  鷲見Mさんの報告より)

コースタイム
 若草プラザ6.35=大山田SA=上野公園9.00・・高石垣9.20・・伊賀上野城9.35・・筒井城跡10.10・・芭蕉翁記念館10.20・・伊賀流忍者博物館10.45・・俳聖殿11.20・・ 昼食11.40~12.45・・白鳳門・・中町通・・本町通・・上野市駅前・・伊賀くみひも組匠の里・・だんじり会館14.10・・上野公園14.30=鍵屋の辻=御在所SA=若草プラザ17.00


                                                           (写真提供 古谷さん)


                                           (地図提供 古谷さん)

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第8回おれんじの会 高賀六社一観音めぐり

2018-11-05 | 散策

おれんじの会報告

2018年11月3日(土)  天候 晴れ 
  主催者 六社一観音めぐり連絡協議会 
 総参加者 40名(みのハイク 20名)

CL 水野Oさん
 
郡上市の「六社一観音めぐり連絡協議会」が主催された企画にみのハイクの「おれんじの会」が便乗させて頂く事として計画され、一括申し込みをしたら10月初旬に主催者から行程表等が送られて来て当日を迎えました。
 「古来、高賀山信仰の拠点として、円空はじめ多くの信仰者が歩んだ高賀街道。1300年余りを過ぎた今もなお霊験あらたかな渓谷美が静かにたたずんでいる。いにしえを偲んで訪れる人々を、遥かなる郷愁の世界へといざなう。・・」と「六社一観音めぐり」の冊子に書かれている。郡上市の星宮神社、新宮神社と本宮神社。関市の白谷観音と高賀神社。美濃市の瀧神社と金峰(かねみね)神社。三市の七ヶ所を晴れた秋の日(朝8℃~昼頃19℃)に巡る事が出来ました。
 この「六社一観音」については2年前のクラブ会報にS・Z氏がすでに詳しく書かれていますので詳細はご覧下さい。ここで各神社の歴史を書き出すと長くなるので書きません。一ヶ所の神社だけでも長い歴史がある。
 伝わりし謂われも定かではないものもあり、実際に回りながら、解ったような~解らない様な~漠然とした思いでした。ただ「守る人は守られる。」という思いでした。長い長い年月神社を守り続けて来られた地域の人々に感服するばかりです。近くに長年住みながらもこうした行事に参加しないと知らずにいることが多い。初めて行った神社。初めて通った山道。昔は人力のみでこの山奥を歩かれたと思うと信仰心の強さに驚きます。
 白谷観音間近なモネの池は各自で訪れましたが、バスやマイカーの観光客で賑わっていました。鯉の頭のハート形を見ると願いが叶うとか?。動く鯉はなかなかうまく撮れませんでした。高賀神社では祭礼の一部を初めて見学でき餅まで頂きました。
 この六社一観音めぐりは、1年に1回行われるとの事。関心のある方は是非参加されて、各神社の歴史を聞き宝物殿にて1000年以上前の色々な宝物を実際に見て頂きたい。その時あなたの心に何か?響くものがあると思います。
 計画・運営その他に関わって頂いた皆さん方に感謝、御礼申し上げます。
                           (記録担当 永井Hさんの報告より)

コースタイム
関7:00==日本まん真ん中センター7:35~8:30==星宮神社8:45~宝物殿拝観~9:15==八王子神社(車窓)9:25==新宮神社9:35~宝物殿拝観~10:15==本宮神社10:30~10:50==タラガトンネル==板取==白谷観音11:25~昼食~モネの池~12:30==高賀神社12:45~宝物殿拝観・祭礼見学~13:45==瀧神社14:15~14:35==金峰神社14:55~15:10==道の駅美並15:30トイレ休憩==日本まん真ん中センター15:55~コーヒータイム~アンケート記入後解散
 

解散後、当日が誕生日のリーダーをクラブのみんなで軽くお祝い16:30頃==関17:00頃


                 (写真提供 高岡さん) 

 

 

                  (地図提供 古谷さん)

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第7回おれんじの会 岩村城跡・城下街歴史散策

2018-10-20 | 散策

おれんじの会報告

2018年10月17日(水)   天候 晴れ   参加者 22名


 

CL・運営担当 古谷さん

 この日は晴天に恵まれ、暑くもなく、寒くもなしといった絶好の行楽日和となりました。7時15分出発となっていましたが、例によって数分前には全員来ておられ、7時13分にバスは若草プラザを出発しました。
 平日ということもあって、途中渋滞もなく、トイレ休憩を挟んで、8時50分には岩村歴史資料館にバスは到着しました。 ここからは、現地ガイドさんがついてくださり、要所要所で適切な説明をよく通る聞き取りやすい声でしてくださるので、ただ漫然と見て歩くだけのものとは違った味わいのあるハイキングとなりました。
 岩村城は標高717mの高台にあり、まずまずの登山といった行程ですが、途中、①藤坂・②初門・③一の門・④土岐門・⑤畳橋・追手門・三重櫓・⑥霧ヶ井・⑦八幡神社・⑧俄坂門・⑨菱櫓・⑩二の丸・⑪六段壁・⑫東曲輪・⑬長局埋門・⑭埋門・⑮南曲輪・⑯本丸・⑰出丸といった城跡に関する見所があり、その都度ガイドさんが立ち止まって、その謂れ・内容を説明してくださるので、誰ひとり息を切らすことなく、余裕の足取りで本丸跡にたどり着きました。
 
ガイドさんの説明の中で、私たちが聞いたことのある著名人が次々に現れました。「にして学べば、壮にして成すあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず。」などの多くの名言を残し、佐久間象山、渡辺崋山など幕末に活躍した知識人を多数育てた佐藤一斎。実践女子学園の創設者であり、近代女子教育の先駆者となった下田歌子。岩村藩主三好友衛の次男で植物学の基礎を築いた三好学なの功績に皆「ほお。」と頷きながら聞き歩きました。
 岩村城は文治元年、源頼朝の家臣加藤景廉によって築城され、明治維新まで700年にわたって存続した城で、日本百名城・日本三大山城に選定されている由緒ある城です。今は本丸も残っていませんが、六段壁の石垣をはじめ、そのそそり立つ石垣の見事さは、誰もが立ち止まり、見上げ、ため息をついて眺めていました。
 また、岩村城は、戦国時代末期、養子として迎えた織田信長の五男御坊丸がまだ幼少であったため、前城主の夫人(織田信長の叔母)おつやが実質的な城主として領地を治めていた、いわゆる女城主の城としても有名です。大変聡明で美しく、領民に慕われていたそうですが、その末期の物語は、思わず耳を覆いたくなるほど悲しいものでした。
 城跡公園で弁当を食べ、12時に下の資料館に向け下山しました。登りは1時間半近くかけて登りましたが、下りはただ歩くのみだったため、25分ほどで資料館に着きました。石畳が滑ると聞いていましたが、特にそういうこともなく、丁度良い傾斜を気持ちよく下山しました。
 岩村城探索のあとは、岩村本道り・城下町の散策をしました。重要伝統的建造物保存地区ということで、電柱はすべて撤去され、電線は地中に埋められて、江戸・明治・大正の建物が続く街並みをタイムスリップしたような感を味わいながら散策しました。また、朝ドラのロケが行われた街並みでもあり、それぞれの店にゆかりの品、写真などが飾ってあり、「ああ、ここは映った、ここは見た」と目をキラキラさせて歩き、多くの観光客も訪れていました。ポルトガルから伝来した原型のカステラを200年余り作り続けている名高い和菓子屋、トロッコが引き込まれている酒蔵などいくつも謂れのある店が多く、その都度ガイドさんが説明をされ、中も見せていただきました。1300mほどの街並みを五平餅を食べたり、お酒の試飲をさせて頂いたりしながら1時間半ほどかけて歩きました。
 バスに戻り、途中「日本一の農村景観展望台」という所に寄りましたが、皆さん日頃から美濃の美しい農村景観を見ておられるので、それほどでもないといった感想が聞かれました。
 すべての行程を終え、バスは一路若草プラザに向け発車しました。ちょうど頃の良い午後4時頃到着し、「ああ、楽しかった」と口々に言いながら解散をしました。  
 
各係の皆様、本当にありがとうございました。
                          (
記録担当 中島Kさんの報告より)

  

コースタイム
7:13=美濃加茂IC7:40=屏風岩PA8:15=岩村歴史資料館8:50~9:30・・岩村城址10:40~12:00・・岩村歴史資料館12:25=岩村城下町12:30~14:05=農村景観日本一富田地区14:25~14:40=関16:00


                                                                (写真提供 古谷さん)


                         (地図提供 古谷さん)


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