↑ 2013/11/09 撮影…楷の実と鳩
今日の散歩コースは、
御茶ノ水駅聖橋口~湯島聖堂~ニコライ堂~山の上ホテルです。
所属する俳句会の「周年のつどい」が
御茶ノ水(山の上ホテル)で行われました。
ちょっと早めに家を出て、散策をしました。
湯島聖堂
2013/11/09 撮影
…聖橋から撮影
江戸幕府の儒学者林羅山が
上野忍ヶ丘に建てた孔子廟と家塾を、
元禄3年(1690)徳川綱吉が湯島の地に移し、
大成殿(孔子廟)とその周辺の建物をあわせ聖堂と総称しました。
その後、寛政9年(1797)幕府直轄の昌平坂学問所が開設され、
孔子廟(大成殿)関係だけのものを分離して
聖堂と称するようになりました。
大正12年(1923)関東大震災により入徳門と水屋を残してすべてを焼失し、
現在の建物は、
昭和10年(1935)旧聖堂を模して再建された鉄筋造りです。
入徳門は宝永元年(1704)建造されたままの唯一の木造建造物です。
2013/11/09 撮影…聖橋門
聖橋門(ひじりばしもん)から入って階段を下ります。
石畳の両側に茶の花が咲き、
モッコクの赤い実が零れていました。
…茶の花
…モッコクの実
…モッコク
…イヌタデ
…ヤブミョウガの実
…ヒメソバツル
…カイの紅葉
…〃
入徳門(にゅうとくもん)から階段を上がって杏壇門(きょうだんもん)・大成殿へ
大成殿(たいせいでん)は、
しばしば火災に遭い、関東大震災により焼失し、
現在の建物は昭和10年(1935)に再建された重厚な鉄筋造りです。
…大成殿
石畳に戻り、ゆるやかな石段を下って孔子像へ
…ススキ
…カイの実
…孔子像
孔子銅像は、
丈高4.57mで孔子の銅像としては世界最大、
中華民国台北ライオンズクラブから寄贈されたものです。
…ナンテンの実
…カイの実と鳩
…左モッコク・中カイノキ
…カイの紅葉
初めて楷紅葉と楷の実を見ました。
鳩が羽音を立てて賑やかに楷の実を啄んでる光景は壮観で
しばらく佇んでいました。
斯文会館(しぶんかいかん)
斯文会館で御朱印を頂きました。
帰りは仰高門(ぎょうこうもん)から出ました。
ニコライ堂
2013/11/09 撮影
ニコライ堂の名で知られている東京復活大聖堂は、
日本に正教会の教えをもたらしたロシア人大主教ニコライにより、
明治17年から7年の歳月をかけて建てられました。
中央にドーム屋根があり、壁が厚く窓の小さい堅牢な造りです。
日本では屈指と言われるビザンティン様式の建築で、
国の重要文化財に指定されています。
…ユリ
時間に追われながら山の上ホテルへ
なんとか「周年のつどい」に間に合いました。
↑ 2013/01/23 撮影…フユボタン
東京都美術館(上野公園内)での書展を拝見したあと、
寒牡丹や夕方の枯蓮を見にちょっと足を延ばしました。
桜の蕾はまだかたく、
人々もコートに確り身を包んでいました。
2013/01/23 撮影…カンヒザクラ(寒緋桜)
上野東照宮のぼたん苑…「冬ぼたん」
1627年(寛永4年)、家康公の遺言により、
天海僧正と藤堂高虎が、
藤堂家の屋敷地であった上野に、
東照宮を造営しました。
徳川家康公(東照大権現)・徳川吉宗・徳川慶喜を神様としてお祀りしています。
正式名称は東照宮ですが、
他の東照宮と区別するため上野東照宮と呼ばれ、
東叡山寛永寺の一部でしたが、
神仏分離令により寛永寺から独立しました。
1651年(慶安4年)、三代将軍家光が造営替えをした際、
社殿に金箔を使い豪華であったことから金色殿と呼ばれ、
現在まで存続しています。
本殿・拝殿・唐門など重要文化財も多く、
諸大名から寄進された石灯篭や青銅製灯篭も多数並んでいます。
ぼたん苑は、
1980年(昭和55年)に
日中友好を記念して設立されました。
開苑期間は、気候により変わることがあります。
冬牡丹…1月1日(元旦)~2月中旬。
春の牡丹祭…4月中旬~5月上旬。
約250品種3200株の日・中・洋の牡丹が咲くそうです。
「わらぼっち(藁囲い)」や敷き藁で雪・霜・雨や寒さから守られながら、
色鮮やかに咲いていました。
牡丹は、中国西北部原産、
世界で古くから改良され、
多数の園芸品種があり、
花色も多彩で、花形も豊富です。
寒牡丹
二季咲き性の一変種で、
初夏と冬にやや小型の花を開きます。
冬に良い花を咲かせるためには、
初夏に咲く花芽を摘み取り、
枝を充実させます。
夏の終わりから初秋に葉を切り取り、
新芽が伸び、晩秋から初冬に出た蕾を育てます。
藁囲いをして暖かくし、冬に開花させます。
葉が小さくて少なく、冬牡丹のような華やかさはありません 。
冬牡丹
春咲き種を温度管理して、
冬(1-2月)に開花するように調整したものです。
葉が青々と付いています。
春牡丹
晩春から初夏(4-5月)に開花する一般的な春咲き品種です。
[ ボタン科ボタン属の落葉低木・中国原産 ]
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…マンリョウ
…ミツマタ
…イスノキ
キミノセンリョウ
…ロウバイ
…ワビスケ
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不忍池…「枯蓮 」
上野恩賜公園内にある不忍池は、
周囲約1.7km、
遊歩のための堤で3つの部分に分かれています。
蓮の群生している蓮池と
ボートを楽しむことのできるボート池と、
上野動物園(水上動物園)の中に位置している池、の3つです。
桜の時期は人々で賑わい、
カモや鵜などの水鳥も多く、
池中央の弁天島(中之島)には弁才天が祀られています。
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↑ 2012/12/14 撮影…城南住宅地区(向山3丁目)サルスベリ・カエデなど
城南住宅地区 (向山3丁目)
2012/12/14 撮影…生垣
西武線豊島園駅から2・3分歩くと向山公園(工事中)tがあり、
短い坂道を上ると緑豊かな区画の整った住宅地に出ます。
風格のある住宅地 ( 城南住宅地区 ) で、
昭和53年12月練馬区の「みどりの保全モデル地区」第1号に指定されたそうです。
住宅組合の環境宣言「みどり豊かな地域を守る」という看板が立っていました。
どの家にも広い庭に大きな桜が植えられて、
生垣の手入れも行き届き、
静かな落ち着いた高級住宅地の佇まいを見せていました。
2012/12/14 撮影
…都営大江戸線豊島園(出口A2)
…生垣
…サザンカ
…クロガネモチ
…セイヨウヒイラギ(クリスマス・ホーリー),モチノキ科
浄土宗 田島山十一ヶ寺
2012/12/14 撮影
練馬区練馬4丁目にあり、
十一ヶ寺とは、
仁寿院、迎接院、本性院、得生院、九品院、林宗院、称名院、受用院、仮宿院、宗周院、快楽院の十一寺院の俗称です。
もとは田島山誓願寺(浄土宗・現在は府中宙の多摩霊園正門並くにある) の塔頭寺院でした。
田島山誓願寺は江戸時代初めに小田原から江戸神田神田に移り、
さらに明暦3(1657)年の振袖火事後、浅草田島町に移転しました。
この頃は幕府から朱印三百石を与えられ、檀家には豪商も多く十六院もの塔頭寺院を持つ大きな寺でした。
明治以降、各塔頭寺院は本坊の田島山誓願寺から独立し、
大正12(1923)年の関東大震災後に十一の塔頭寺院がここに移転しました。
墓地には、本草学者として名高い小野蘭山や、書道家としてまた篆刻の名人として有名な池永道雲の墓をはじめ、
札差として権勢を誇った青地善春一族あるいは名優のきこえ高い初代沢村宗十郎らの名墓があります。
(練馬区教育委員会掲示より)
九品院境内には、 そば喰い地蔵が安置されていました。
それぞれ違う趣のある庭が並んでいました。
2012/12/14 撮影
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… 止め石
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…そば食い地蔵
…蕎麦を食む羅漢さん?
…菰巻き
…雪吊り
白山神社
2012/12/14 撮影…白山神社
練馬白山神社は平安時代に建立された古社です。
境内にある国の天然記念物の2本の大ケヤキが有名です。
2012/12/14 撮影
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…大欅
↑ 2011/01/29 撮影…臘梅園
2011/01/29 撮影
長瀞の 宝登山ロープウェイ
山麓駅~(約5分)~山頂駅へ
臘梅園 (ろうばいえん)
盛りには少し早めで、西側の方が5分咲きくらいでした。
園には3品種の臘梅が植栽されていて、
それぞれの花の形や香りを比べることが出来ました。
臘梅の中をゆっくり歩いて行くと、奥宮が祀られていました。
山頂駅に戻る途中、
切り株の間々に若い臘梅が植えられていて、
これからの成長を楽しみに思いました。
思いがけず
万作の花や福寿草の花にも出会えました。
2011/01/29 撮影
…臘梅(和臘梅)
…素心臘梅
…満月臘梅
…奥宮
…万作
…福寿草
↑ 2011/01/21 撮影…入り口付近の路傍植物園
白金台地の自然教育園は、
園内から縄文中期(紀元前約2500年)の土器や貝塚が発見されていることから、この時代から、人々が住んでいたと考えられています。
平安時代には目黒川、渋谷川の低湿地では水田が開墾され、台地の広々とした原野には染料として欠かせなかったムラサキの栽培も広範囲に行われていたと考えられています。
室町時代に入ると、この地方にいた豪族がこの地に館を構え、今に残る土塁は当時の遺跡の一部と考えられています。この館の主が誰かは不明ですが、白金の地名は永禄2年(1559)の記録に初めてあらわれ、太田道灌のひ孫の新六郎がこの地を治めていたことが記録されています。また、いわゆる「白金長者」であったという言い伝えも残っています。
江戸時代になると、増上寺の管理下に入りましたが、寛文4年(1664)には、徳川光圀の兄にあたる高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷となり、園内にある物語の松やおろちの松などの老木は、当時の庭園の名残であろうと思われます。
明治時代には火薬庫となり、海軍省・陸軍省の管理となり、大正6年(1917)宮内省帝室林野局の所管となり、白金御料地と呼ばれました。
昭和24年文部省の所管となり、「天然記念物及び史跡」に指定され、
国立自然教育園として広く一般に公開され、昭和37年国立科学博物館附属自然教育園として現在に至っています。
園内にはコナラ・ケヤキ・ミズキなどの落葉樹、スダジイ・カシ類・マツ類などの常緑樹が広がり、ススキやヨシの草はら、池や小川などがあります。
このような自然を活かした植物園が整備されており、四季にわたって様々な草花や、昆虫などの生きものを身近に観察できます。
ー 附属自然教育園のサイトより ー
都心にあって緑豊かな自然を残しています。
落葉樹と常緑樹からなる森は、
空気が澄み、鳥が飛び交っていました。
冬枯れの水生植物園は、
清々しく浄化された風情があり、
日を受けて、穏やかな明るさを感じました。
室町時代の豪族の館跡を偲ばせる土塁が残っていたり、
江戸時代の藩主の下屋敷であった頃の
松の老木などが見られます。
青木や万両の紅い実が目に付きました。
2011/01/21 撮影
…大寒の水生植物園
…〃
…青木の実
↑ 2011/01/13 撮影
池上梅園は、池上本門寺の西側斜面にあり、
30種類ほどの梅や50種類ほどの樹木、牡丹・つつじほか、
また茶室や池の見える日本家屋などがあります。
1月中旬頃の梅園には、
もう早梅のよい香りが漂い、
紅梅も咲き始めていました。
低くのびた枝先のあちらこちらに
頭上や顔面注意の札が下がっていました。
スダジイやカヤ・タイザンボクなどを見ながら進んで行くと
静かな佇まいの茶室や池などがあって
落ち着いた趣でした。
まだ閑散としていて、
ちょつとした工事をしていました。
2011/01/13 撮影
…シダレ
↑ 2010/12/15 撮影
深大寺周辺は豊かな樹林と清水に恵まれ、
江戸期から明治の始めまでは深大寺村と呼ばれ、
1889年(明治22年)に深大寺村と近隣の村などが合併して
「神代村」が誕生しました。
1940年(昭和15年)に東京府はこの地に都市計画緑地(防空大緑地)の一つを計画し、
この地に約71万㎡の用地を買収・徴収し「神代緑地」と名付け、
造成が始まりました。
戦前は苗圃(びょうほ)として使われ、
戦中、戦後は食糧不足のため耕作地に転用されました。
戦後に多くの土地が農家に返されました。
1952年(昭和27年)に神代村が神代町に,
1955年(昭和30年)には調布町と神代町が合併して、調布市になりました。
1957年(昭和32年)に「神代緑地」の一部を開園し、
1961年(昭和36)に名称も「神代植物公園」とあらためて開園されました。
いまでは「神代」という名は、神代植物公園にのみ残っているそうです。
都立・神代植物公園
武蔵野の雑木林など豊かな面影が残る神代植物公園は、
開園面積 476,637.41m。
園内の樹木、花木はほとんどが開園に際して移植されたもので、
約4,500種類、10万本の樹木が植えられています。
植物に親しみ、楽しみながら植物の知識を得られるように、
園内の植物は、つつじ園、うめ園、はぎ園・ばら園・ぼたん園・しゃくやく園など、
種類別、形態別などに分けられて配置され、
大温室には熱帯、亜熱帯の珍しい植物も集められています。
また、日本に古くから伝わる花木の園芸品種を集め、
これを保存栽培することなどの取り組みが行われています。
四季を通じて草木の姿や花の美しさを味わうことができ、
梅や桜の名所としても知られています。
正門から入ってまず目に付いたのは、
蜜柑のような小さい実をたくさん付けた、橘でした。
温室へ向かい、
熱帯睡蓮・ベゴニア・洋蘭などを見てから、
思っていたよりも花を付けている薔薇園を横目に眺め、
生垣見本のところへまいりきした。
生垣に用いられる木の種類の多いことを改めて感じながら、
丁寧に見て回りました。
雑木林の落ち葉を踏みながら深大寺門に向かいました。
葉を落として明るくなった雑木林の中の楓紅葉は、
静かに落ち着いた美しさを湛えていました。
このような冬紅葉に出会えたことは、新鮮な喜びでした。
2010/12/15 撮影
…タチバナ
…サクラの冬芽
…キンカチャ(温室)
…良い香りのバラ
…カラスウリ
…冬のモミジ
…ゾウキバヤシ
深大寺に詣で、
冬枯れの水生植物園へと向かいました。
水生植物園
本園から深大寺を挟んで南東(国分寺崖線の直下)に位置し、
湧水のある谷戸地形を利用して、
低湿地に木道が敷いてある回遊式の水生植物の分園です。
低湿地に加えて隣接する台地上の林間散策路は、
深大寺城趾として指定された史跡となっており、
空堀や土塁を確認することができます。
2010/12/15 撮影
…冬芽
…枯野
…ハンノキの雄花穂と小さな雌花穂
↑ 2010/12/05 撮影
皇居東御苑
旧江戸城の本丸と二の丸・三の丸の地域で、
面積は約21万㎡あります。
出入り口は,大手門・平川門・北桔橋門です。
ゆったりとした空間に
芝生広場・武蔵野の雑木林・各都道府県の木などあって、
季節の花が見られ、約280本の桜も楽しめます。
二の丸庭園
徳川家光の命令で小堀遠州が作ったという庭園を復元したものです。
石垣だけが残っている天守閣跡、
同心番所・百人番所、三の丸尚蔵館などがあります。
所属する俳句会の自由吟行が
皇居東御苑で行われました。
天が寿ぐような青空に恵まれて、
朝の御苑の木々が輝いていました。
2010/12/05 撮影
…ジュウガツザクラ
…ムラサキシキブの実
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…カンツバキ
…ミヤマシキミ
…ミツマタの蕾
…ホオの落葉
↑ 2010/11/20 撮影
中野区役所前7時50分集合8時発。
バスは青梅街道を走り、御嶽で下車しました。
御嶽
2010/11/20 撮影
御嶽駅からJR青梅線に乗り、
御岳渓谷の紅葉を眺めながら鳩ノ巣で下車(約15分)。
鳩ノ巣
鳩ノ巣渓谷沿いに、
落ち葉を踏みながら双竜の滝や鳩ノ巣由来の碑などを散策しました。
2010/11/20 撮影
…雲仙橋から
…双竜の滝
…鳩ノ巣由来の碑付近
〃
バスで国道411号線を行き奥多摩湖に到着。
奥多摩湖
山々が色付き、
木の葉が日を受けながら舞い散る湖のほとりを
ゆっくり散策しました。
2010/11/20 撮影
…ドウダンツツジ
奥多摩湖を後に、
車窓から丹波渓谷を眺めながら柳沢峠で下車。
柳沢峠 (標高1472m)
峠からは遠富士が見え、穏やかな冬景色を楽しみました。
2010/11/20 撮影
…柳沢峠からの遠富士
〃
〃
バスは大菩薩ライン(国道411号線)を走り、
塩山 「ころ柿(枯露柿)の里」 に到着。
ころ柿(枯露柿)の里
恵林寺を通り、澄んで豊かな水の小流れに添いながら、
農家の吊るし柿のすだれを見て回りました。
門の外から吊るし柿の写真を撮っていましたら、
庭に入れて下さり、お話を伺いうことも出来ました。
2010/11/20 撮影
…吊るし柿・平干しの柿・柿の皮
…ブドウの葉
…カリン
…リンゴ