しをり戸

ささやかな庭の山野草と
散歩・旅で出会った草木。 
季語・拙い俳句、
折々の写真などの記録です。

城南住宅地区 (向山3丁目)~田島山十一ヶ寺~白山神社 ・・・ 「東京都練馬区」 < 12月 >

2012-12-17 |  雀の足あと ・・ 冬

                   ↑ 2012/12/14 撮影…城南住宅地区(向山3丁目)サルスベリ・カエデなど

城南住宅地区 (向山3丁目) 

2012/12/14 撮影…生垣

西武線豊島園駅から2・3分歩くと向山公園(工事中)tがあり、
短い坂道を上ると緑豊かな区画の整った住宅地に出ます。
風格のある住宅地 ( 城南住宅地区 ) で、
昭和53年12月練馬区の「みどりの保全モデル地区」第1号に指定されたそうです。

住宅組合の環境宣言「みどり豊かな地域を守る」という看板が立っていました。
どの家にも広い庭に大きな桜が植えられて、
生垣の手入れも行き届き、
静かな落ち着いた高級住宅地の佇まいを見せていました。

             2012/12/14 撮影
…都営大江戸線豊島園(出口A2) 
…生垣
…サザンカ
…クロガネモチ
…セイヨウヒイラギ(クリスマス・ホーリー),モチノキ科
 



浄土宗 田島山十一ヶ寺 

2012/12/14 撮影 

練馬区練馬4丁目にあり、
十一ヶ寺とは、
仁寿院、迎接院、本性院、得生院、九品院、林宗院、称名院、受用院、仮宿院、宗周院、快楽院の十一寺院の俗称です。
もとは田島山誓願寺(浄土宗・現在は府中宙の多摩霊園正門並くにある) の塔頭寺院でした。
田島山誓願寺は江戸時代初めに小田原から江戸神田神田に移り、
さらに明暦3(1657)年の振袖火事後、浅草田島町に移転しました。
この頃は幕府から朱印三百石を与えられ、檀家には豪商も多く十六院もの塔頭寺院を持つ大きな寺でした。
明治以降、各塔頭寺院は本坊の田島山誓願寺から独立し、
大正12(1923)年の関東大震災後に十一の塔頭寺院がここに移転しました。
墓地には、本草学者として名高い小野蘭山や、書道家としてまた篆刻の名人として有名な池永道雲の墓をはじめ、
札差として権勢を誇った青地善春一族あるいは名優のきこえ高い初代沢村宗十郎らの名墓があります。
                                    (練馬区教育委員会掲示より)
九品院境内には、 そば喰い地蔵が安置されていました。
それぞれ違う趣のある庭が並んでいました。

             2012/12/14 撮影
  ・
… 止め石
  ・
…そば食い地蔵
…蕎麦を食む羅漢さん?
…菰巻き
…雪吊り



白山神社 

2012/12/14 撮影…白山神社

練馬白山神社は平安時代に建立された古社です。
境内にある国の天然記念物の2本の大ケヤキが有名です。

             2012/12/14 撮影
  ・  
…大欅  


 


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