しをり戸

ささやかな庭の山野草と
散歩・旅で出会った草木。 
季語・拙い俳句、
折々の写真などの記録です。

オオイヌノフグリ ( 大犬の陰嚢 )

2013-03-25 |  3月 の花たち

                        ↑ 2013/03/21 撮影

[ ゴマノハグサ科クワガタソウ属の二年草、ヨーロッパ原産 ]

明治初期に帰化植物として日本に入り、
今は各地の畑や道端に普通に見られます。
草丈は、15~30cm。
全体はイヌフグリより大きく、
茎は基部で枝分かれして地上を這って四方にに広がり、
柔らかな毛か生えています。
葉は、卵円形で長さ0.7〜1.8cm、幅0.6〜1.5cm、
先の鈍い鋸歯を持ち、茎の上部のものは互生し、下部のものは対生します。
花期は、3~5月。
葉腋から長い花柄を伸ばし、藍色の条を持った淡青色の小さな花を付けます。
花冠は径約8㎜で深く4裂し、筒部はごく短く、上裂片は幅広く円形、下裂片は小さいです。
雄しべは2個です。
日が当たっているときだけ開きます。
萼は深く4裂し、裂片は狭卵形て先は鈍形です。
果実は、蒴果でやや扁平な倒心臓形、
数個の大型の種子は長さ1.5㎜楕円体で腹部に窪みがあります。
名は、イヌフグリより大きく、果実の形が犬のふぐりに似ていることから付いたそうです。

駐車場や道端の日だまりに、
空色の可愛い花が星を散りばめたように咲いているのを見かけます。
オオイヌノフグリが各地に広がって、
淡紅色の小さい花を付ける在来種のイヌフグリは、
山間部に行かないと出会えないほど減少してしまったそうです。

2013/03/21 撮影


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北烏山九丁目屋敷林~芦花恒春公園 ・・・ [ 東京都世田谷区 ] < 3月 > 

2013-03-23 |  雀の足あと ・・ 春

                ↑ 2013/03/21 撮影…タカトオコヒガンザクラとナノハナ(蘆花恒春公園・花の丘)
 
今日の散歩コースは、
京王線千歳烏山駅~北烏山9丁目屋敷林市民緑地~
烏山神社~世田谷文学館~蘆花恒春公園です。


北烏山9丁目屋敷林市民緑地 

2013/03/21 撮影

甲州街道ちかくの「北烏山九丁目屋敷林」は 、
下山家が大切に守ってきた屋敷林と離れや蔵のある庭の一部を、
世田谷トラスト協会が市民緑地として管理し、
一般公開しています。 
下山家の自宅は、
面積2500㎡, 56種類・約600本の樹木があると言われ、
広い敷地のなかに主家・離れ・納屋・蔵・畑・屋敷林などがあります。

武蔵野の面影を残す静かな庭に入ると、
「下山千歳白菜発祥之地」の石碑があります。
「下山千歳白菜」という名称は,
大玉で耐寒性に優れ病気に強く、
貯蔵性に富む白菜の品種を作り出した下山義雄氏の名前と,
世田谷区千歳の地名から付けられたそうです。
大欅・孟宗竹などの屋敷林に囲まれ
手入れの行き届いた静かな庭で、
下山家の老御夫人から、
旧家のかつての生活につき
とても貴重なお話を聞くことができました。
 
            2013/03/21 撮影
…入り口から

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…サクラとコブシ
…下山千歳白菜発祥之地」の石碑
…蔵
…庭
 ・ 
…クリスマスローズ
…竹林・離れ


北烏山9丁目~蘆花恒春公園への道々 
            2013/03/21 撮影
…コブシ
…サクラ
…タンポポ



烏山神社 
世田谷区南烏山にあり、
由緒書きによると
烏山村の鎮守は、古くは御嶽神社と伝えられ、
江戸末期(1850年)に御嶽神社を白山権現社に遷宮合祀したと記録があり、
烏山及び近隣の鎮守として、白山様と呼ばれ崇敬されてきました。
昭和7年白山御嶽神社の社号が認可され、
昭和37年には神明社・稲荷社・天神社を合併合祀し、
現社名(烏山神社)に改称したそうです。

            2013/03/21 撮影
 
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世田谷文学館
「世田谷固有の文学風土を保存・継承し、まちづくりの活性化に寄与することをめざす文学館」、
「区民の文化交流の場と機会をつくりだし、新たな地域文化創造の拠点をめざす文学館」
を基本理念として、1995年に開館しました。

静かな住宅地の文学館では、
「寺山修司」企画展を開催していました。

            2013/03/21 撮影
 
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蘆花恒春公園 (ろかこうしゅんえん) 

2013/03/21 撮影

徳富蘆花旧邸地部分(恒春園区域)と、
その周辺の公園として整備された土地(解放公園区域)からなり、
開園面積80,304.43㎡(平成21/04/01現在)です。

恒春園区域
文豪徳富蘆花(健次郎)が、
明治40年から昭和2年に逝去するまでの約20年にわたり、
「恒春園」と称して晴耕雨読の生活を送った地です。

武蔵野の面影をしのばせる橡(くぬぎ)・小楢(こなら)等の雑木林、
蘆花が植えたという孟宗竹の林があり、
住まいの茅葺きの母屋・秋水書院・梅花書屋が
廊下でつながっています。
愛子夫人の居宅・記念館などもあります。
また恒春園の東側には、
橡の木立に囲まれた夫妻の墓があります。

            2013/03/21 撮影
 
…竹林 
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 …シダレザクラ
…ユスラウメ


開放公園区域
花の丘区域・児童公園・フィールドアスレチック広場・
草地広場・ドッグランからなっています。

花の丘区域
高遠小彼岸桜が丁度見ごろで、
また辛夷(こぶし)・椿・山茱萸(さんしゅゆ)など、
花壇には
菜の花・ヒヤシンス・クロッカスなども咲いていました。

            2013/03/21 撮影
…花の丘区域 
…タカトオコヒガンザクラとナノハナ
…タカトオコヒガンザクラ
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