ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

ミモロ大阪城天守閣に登る。階段で上る天守閣。内部には、大阪夏の陣などの展示がいろいろ。

2017-05-07 | 奈良、近畿

今年の春、ミモロは、初めて「大阪城」に行きました。「いつも電車から見えるけど、行ったことない~。大阪なら1度は行かなくちゃ~」と。

大阪城が聳える場所は、もともと石山本願寺という大寺院があった場所。強大な勢力を有したそのお寺は、天正8年(1580)、織田信長によって滅ぼされ、寺院の多くの建物は炎上します。信長が本能寺で没した後、天正11年(1583)天下人となった秀吉が、その居城として築いたのが、この「大坂城」です。

秀吉が没した後、慶長20年(1615)、大坂夏の陣で徳川の勢力により落城。それから2代将軍秀忠は、元和6年(1620)から10年かけて再築します。それから、落雷で天守閣を失ったり、幕末の動乱で建物を焼失することに。

明治になって、この場所は、陸軍の用地として使われていたのです。昭和6年(1931)に天守閣が復興。しかし、太平洋戦争の終戦前日の大阪大空襲で、米軍機の攻撃目標になり、B29により集中爆撃を浴び、大阪城は壊滅的な被害をこうむります。天守閣は、屋根などに多くの銃弾を浴びながらも、全損を免れました。
現在の姿は、平成7年から9年にかけて行われた「平成の大改修」後の姿で、耐震補強やエレベーターも設置されています。平成9年には、国の登録有形文化財に登録されました。

広い大阪城公園の敷地、そこから天守閣に行くのにも、かなり時間がかかります。
「石段いっぱいあるんだもの~」と、ブツブツいいながら進むミモロ。

でもそれからもっと大変なことがミモロには待っていました。
 
「大阪城」は、一番上の展望台までは地上50メートル。8階のフロアでできています。
まず天守閣の入口そばで入館料600円を払います。

「大阪城の住所って、大阪城1番地なんだ~」となんか楽しそう。
でもそれもここまで・・・。
天守閣に登る人が、長蛇の列を作っています。「あれ、こっち側空いてる~」と進んだ入口は、なんと階段の入口。
「あの列、エレベーターだったんだ~」。時すでに遅く、ミモロは、後ろの人に押されるように、階段を登ることに。
「え~なん段あるんだろう~」進むのは、上り専用の階段で、引き返すことはできません。「進むしかないんだ~」と息を切らしながら、ただ黙々と進みます。途中のフロアに寄ることもできますが、ここは一気に一番上まで・・・。

「わ~やっと着いた~」とついに8階フロアの展望台へ。もう足がワナワナしています。
 
「あ、あれ大阪城ホールでしょ。フーフー」眼下に広がる大阪の町を眺めます。秀吉の時代には、おそらく海も見えたはず…。「でもここから攻めてくる徳川軍を見るのは、怖かったんじゃないの~」とミモロ、城にこもる豊臣陣営の気持ちはいかばかりだったでしょ。

天守閣の各フロアは、秀吉の時代をテーマにした展示が行われています。
7階は、「豊臣秀吉の生涯」というテーマでジオラマなどが、醍醐の花見などを再現しています。
 

5階には「大坂夏の陣図屏風の世界」が、ミニチュアが戦いの様子を再現。
 

それぞれの階にいろいろな資料が…。
 

2階のお城情報コーナーには、天守閣に使わている動物の原寸サイズのレプリカも。
 
兜をかぶって撮影もできます。(500円)
 

各階の展示を見ながら下がる帰り道。「下りの方が、足に来るんだって、だからゆっくり少しずつ・・・」というミモロ。実はミモロは、下りの方が苦手なのです。

「やった~天守閣も登ったし~」と、大阪の名所をひとつクリアできました。


まだまだ行ったことがないところがいっぱいの大阪。
「今度、どこに行こうかな~」と、これからもときどき京都から出かけるつもりのミモロです。

*「おおさか」の表示は、江戸時代までの記載は「大坂」。それ以降は「大阪」としています。


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