「ここ、京の冬の旅の初公開なんだって~」と、ミモロが訪れたのは、「地蔵院」通称「椿寺」です。

嵐電の「北野白梅町駅」の近くにある「知恩院」の末寺で、浄土宗のお寺です。

「五色八重散椿」と「天野屋利兵衛の墓」があることでも知られます。
さっそく中へ進みます。

受付に行くと…「ミモロちゃん~お久しぶりです~」と係の方。

3年ほど前にやはり「京の冬の旅」で「龍安寺」でお目にかかったことがあるそう。ミモロのことを覚えていてくださいました。
「ミモロちゃん、変わらないですね~」「はい、永遠の子ネコなんで~」と笑顔で答えるミモロです。
まずは、本堂ではなく、境内の南に位置する「地蔵堂」へ

神亀3年(726)に行基が聖武天皇の勅願によって、自ら彫ったと伝えられる地蔵菩薩像を本尊として摂津国に建立したのが、このお寺のルーツ。平安時代に、衣笠山の南に移転したものの、その後の戦いに巻き込まれ、焼失。足利義満の時代になり、金閣造営の余材で、仮堂を建て、焼失を免れた本尊を祀ります。それからさらに時を経て、天正年間に現在の場所へ。
かつての本尊の地蔵菩薩は、現在、本堂ではなく、ここ「地蔵堂」に祀られています。

身の丈は6尺。約180センチで、乾漆の立像で、俗に鍬形地蔵とも言われ、以前は、お顔に鍬の切り傷があったとか。安産守護の霊験あらたかなお地蔵さま。
そのそばにあるのが、本堂から続く「観音堂」で、ここには通常秘仏である、平安時代の円仁作と伝えられる木製の「十一面観音菩薩」がいらっしゃいます。

そのお堂の前には、「びんずるさん」の像があり、体調の悪い部分を摩ると、改善されると…。

ミモロは、「たくさん食べても、お腹をこわしませんように…」とお腹を摩りました。
さぁ、本堂に行きましょう。

ここは、撮影不可なので、お話だけで…
創建当初は、八宗兼学という奈良時代から平安時代に盛んであった南都六宗と密教系二宗(天台宗・真言宗)という幅広い宗派だったのですが、江戸時代になり、「知恩院」の末寺となり浄土宗に。本尊も「五劫思惟阿弥陀如来」に。頭部に大きな螺髪を持つ髪形とふっくらとしたお顔立ちが特徴。
「なんか可愛い感じ…」と親しみを覚えるミモロです。

このご本尊は、唐から渡っていらした像で、善導大師作とのこと。
また、本堂には、天野屋利兵衛の像も。「大阪の豪商で、赤穂浪士を支援した人だよね~」とミモロ。今回、愛用のそろばんも展示されています。
「すごく説明わかりやすいね~」と真剣に聞き入るミモロ。ここで案内をしてくれるのは、「京都学生ガイド協会」のみなさん。

いろいろな研修を経て、ガイドとしての経験を積んでゆきます。京都の四年制大学の学生さんで、「京の冬の旅」の公開寺院を担当するほか、修学旅行のガイドなども担っています。「とてもよくわかりました~」と、お寺を訪れた方々の感想も多数。
その歴史は、なんと昭和37年から。学生のみで運営する団体で、バスガイドができるのは、ここだけだとか。
いろいろな大学の方がメンバーで、その交流も楽しそう。また、史跡の多い京都ならではのお仕事です。
ミモロの時は、京大のお兄さんが担当。「ちゃんと全部暗記してる~スラスラ語る口調もいい感じだね~」とミモロ。イケメンに弱いんだから…もう…。
もちろん他の方々もとても感じのいい、優秀なガイドさんでした。
本堂をあとにしたミモロは、墓地へ。

そこには、晩年、ここで剃髪して義士の冥福を祈ったという天野屋利兵衛の墓があるのです。

「立派なお墓~」

「天野屋利兵衛は、男でござる~」と言いながら参拝。赤穂浪士の吉良邸への討ち入りができたのは、彼の支援があったからこそ。
今回は「京の冬の旅」でその木像が公開されていますが、通常は、12月14日の赤穂浪士討ち入りの日のみ公開されます。
「もっと春になったら、また来よう~」とミモロが眺めるのは、境内の椿の木。

さぞやキレイなことでしょう。さらに桜もあり、併せて見ることもできるそう。

「残念…もう「京の冬の旅」は終わってるね~」
「あ、雪~」

ミモロがお寺を出た時から、雪がちらつき始めました。春までは、もう少し…。
*「京の冬の旅」は、3月18日まで。各所10:00~16:00が受付時間。拝観料は、各800円。
「地蔵院」京都市北区大将軍川端町2
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ミモロへのお問い合わせ・ご要望は、mimoro1888@gmail.comまで

嵐電の「北野白梅町駅」の近くにある「知恩院」の末寺で、浄土宗のお寺です。


「五色八重散椿」と「天野屋利兵衛の墓」があることでも知られます。
さっそく中へ進みます。

受付に行くと…「ミモロちゃん~お久しぶりです~」と係の方。

3年ほど前にやはり「京の冬の旅」で「龍安寺」でお目にかかったことがあるそう。ミモロのことを覚えていてくださいました。
「ミモロちゃん、変わらないですね~」「はい、永遠の子ネコなんで~」と笑顔で答えるミモロです。
まずは、本堂ではなく、境内の南に位置する「地蔵堂」へ

神亀3年(726)に行基が聖武天皇の勅願によって、自ら彫ったと伝えられる地蔵菩薩像を本尊として摂津国に建立したのが、このお寺のルーツ。平安時代に、衣笠山の南に移転したものの、その後の戦いに巻き込まれ、焼失。足利義満の時代になり、金閣造営の余材で、仮堂を建て、焼失を免れた本尊を祀ります。それからさらに時を経て、天正年間に現在の場所へ。
かつての本尊の地蔵菩薩は、現在、本堂ではなく、ここ「地蔵堂」に祀られています。

身の丈は6尺。約180センチで、乾漆の立像で、俗に鍬形地蔵とも言われ、以前は、お顔に鍬の切り傷があったとか。安産守護の霊験あらたかなお地蔵さま。
そのそばにあるのが、本堂から続く「観音堂」で、ここには通常秘仏である、平安時代の円仁作と伝えられる木製の「十一面観音菩薩」がいらっしゃいます。

そのお堂の前には、「びんずるさん」の像があり、体調の悪い部分を摩ると、改善されると…。

ミモロは、「たくさん食べても、お腹をこわしませんように…」とお腹を摩りました。
さぁ、本堂に行きましょう。

ここは、撮影不可なので、お話だけで…
創建当初は、八宗兼学という奈良時代から平安時代に盛んであった南都六宗と密教系二宗(天台宗・真言宗)という幅広い宗派だったのですが、江戸時代になり、「知恩院」の末寺となり浄土宗に。本尊も「五劫思惟阿弥陀如来」に。頭部に大きな螺髪を持つ髪形とふっくらとしたお顔立ちが特徴。
「なんか可愛い感じ…」と親しみを覚えるミモロです。

このご本尊は、唐から渡っていらした像で、善導大師作とのこと。
また、本堂には、天野屋利兵衛の像も。「大阪の豪商で、赤穂浪士を支援した人だよね~」とミモロ。今回、愛用のそろばんも展示されています。
「すごく説明わかりやすいね~」と真剣に聞き入るミモロ。ここで案内をしてくれるのは、「京都学生ガイド協会」のみなさん。

いろいろな研修を経て、ガイドとしての経験を積んでゆきます。京都の四年制大学の学生さんで、「京の冬の旅」の公開寺院を担当するほか、修学旅行のガイドなども担っています。「とてもよくわかりました~」と、お寺を訪れた方々の感想も多数。
その歴史は、なんと昭和37年から。学生のみで運営する団体で、バスガイドができるのは、ここだけだとか。
いろいろな大学の方がメンバーで、その交流も楽しそう。また、史跡の多い京都ならではのお仕事です。
ミモロの時は、京大のお兄さんが担当。「ちゃんと全部暗記してる~スラスラ語る口調もいい感じだね~」とミモロ。イケメンに弱いんだから…もう…。
もちろん他の方々もとても感じのいい、優秀なガイドさんでした。
本堂をあとにしたミモロは、墓地へ。

そこには、晩年、ここで剃髪して義士の冥福を祈ったという天野屋利兵衛の墓があるのです。

「立派なお墓~」

「天野屋利兵衛は、男でござる~」と言いながら参拝。赤穂浪士の吉良邸への討ち入りができたのは、彼の支援があったからこそ。
今回は「京の冬の旅」でその木像が公開されていますが、通常は、12月14日の赤穂浪士討ち入りの日のみ公開されます。
「もっと春になったら、また来よう~」とミモロが眺めるのは、境内の椿の木。

さぞやキレイなことでしょう。さらに桜もあり、併せて見ることもできるそう。

「残念…もう「京の冬の旅」は終わってるね~」
「あ、雪~」

ミモロがお寺を出た時から、雪がちらつき始めました。春までは、もう少し…。
*「京の冬の旅」は、3月18日まで。各所10:00~16:00が受付時間。拝観料は、各800円。
「地蔵院」京都市北区大将軍川端町2
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