ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

京都からの日帰り旅。福井「一乗谷朝倉氏遺跡」。復原町並をめぐる

2021-07-20 | 歴史・史跡

京都から日帰り旅で出かけた福井。「永平寺」参拝の後、ちょっと足をのばして「一乗谷朝倉氏遺跡」へ向かいます。

「わ~ここが一条谷なんだ~」

ミモロの目の前には、山間に広がる景色。そこは、かつて朝倉氏が一乗谷城を構えた城下町でした。

「へぇ~ここに昔1万人もの人が住んでたの?」
そう、この地は、戦国時代、この地を治めていた戦国大名、初代朝倉孝景から5代義景まで約100年にわたり、平和な里として繁栄した場所。
多くの公家や文人、学者などが京都から移り住み、「北の京」とも呼ばれた越前の中心地だったのです。

山の間の土地は、自然の要塞であり、そこに京都のように区割りした町が築かれていたそう。

「へぇ~こうゆう感じの町だったんだ」

ミモロは、昭和42年から始まった発掘調査をもとに復元された「一乗谷朝倉氏遺跡」の復原町並を歩きます。
 

平和で豊かなこの城下町は、天正元年(1573)対立した織田信長との戦いに敗れ、焼き払われてしまいます。多くの人々は、織田軍が攻める前に落ち延びたとも…。
その後、一乗谷は、柴田勝家が治めますが、かつての商工業者は、10キロ離れた北ノ庄に移され、かつての一乗谷は、農村となり、その昔の華やかなりし姿は、土に埋もれてしまうのです。

発掘調査で見つかった遺構、また多くの出土品などにより、再現された城下町の姿…。
 
武家屋敷や町家まで、各家には、井戸があり、トイレと思える場所もあり、かなり快適な生活が過ごせるインフラ整備がされていたことがわかったのだそう。


再現された武家屋敷では、人形が、当時の暮らしを教えてくれます。


「きっとみんな幸せに暮らしてたんだろうなぁ~」


領主である朝倉氏が住まう高台と家臣の侍や町人、職人たちが住む場所との間に流れる一乗谷川。

この流れは、昔のままなのでしょうか?今は大きな鯉がのんびり暮らしています。

朝倉館跡の入り口に立つ「唐門」。これは後に建てられたもので、朝倉義景の菩提を弔うために作られたとか…。

門の奥には、見事な館を示す御殿の遺構や京都風の庭園など、華やかなりし時代のあとをとどめるものが、数多く見つかっています。

特別史跡、特別名勝、重要文化財に指定されている福井の名所のひとつです。

発掘調査で出土した品々は、現在「福井県立 一乗谷朝倉氏遺跡資料館」に収蔵され、令和4年秋に完成予定の新博物館で公開される予定です。

「なんか兵どもの夢のあと…って感じだね~」と、今も四季折々の自然が美しい谷。かつて多くの人たちが楽しく暮らし、そして一夜にして焼き払われた町…戦国時代を物語る場所に、ミモロは、なんとも言えない様子…。


「福井って、あんまり知らないけど、もっと知りたくなっちゃった」と。
京都から日帰り旅で訪れた1日。「あんまりゆっくりできなかったけど、でも、来てよかった~」と。

さぁ、夜になる前に京都に戻りましょう。
ぜひ、戦国時代ファンなら訪れてみたい場所…

*「一乗谷朝倉氏遺跡」の詳しい情報はホームページで


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