michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

『良いも悪いも無い』っていう世界    〔つぶやき〕

2012-05-12 06:22:39 | Weblog

特に最近、この拙い つぶやきブログ を書くことで

私の心の整理につながっていくような――。

 

  (きのうの続きです)

あの「小っちゃな片方の靴」。

ああいうのって「置き忘れたもの」であって、

あの親子はその後「困った」かもしれない。

ふつうに考えると、「良くないこと」よね。

 

でも私にとっては、職場などを美化したり、整えたりしていく姿勢の

原点になったんじゃないかと思う。

  (現実には決して、いつもきれいにしている訳じゃないけど

 

「良い」「悪い」というのとは別に、

とにかくそこに「在る」ってこと。

そして、そのことが次に出会った人に影響を及ぼした。

そんな風に知らないうちに、周りに何かを齎したり、響き合ったりして

そんなお互いで成り立っているように見えてきた。

 

こんな風に思うのも、様々なところから

「良いも悪いもなく」とか

「思いも寄らないところで互いに影響し合って」というような話が

色んな形で聴こえてくるんですよ。

 

   

 

自分は、前向きに一歩踏み出していくようなのが苦手。

こういう状態は「良くない」、っていう価値観がどうしてもつきまとう。

  (周りからも複数からそう言われたし )

でも、そういうのとは別に、

私がこんな風にして居る、ある、っていうことは事実。

そしてそういうような存在は、

私の隣りにいるAさんも、B君も、C子ちゃんも・・・、それぞれに

みぃ~んな同じことかもね。

何も話したり触れたりしなかったとしても

それぞれの空気を醸し出したり

無意識のうちにそれを感じ取ったり――。

 

(自分は、このまんまの状態で あぐらかいてて良いとは決して思ってないけどね。

 次の段階として――。

 

 

  タンポポの綿毛から始まって、

  汚れた小っちゃな片っぽの靴、

  そして、なんでも「良いも悪いも無く」「とにかく そこに あって」…と、

  なんだか話が広がってきちゃいました。

 

 

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