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徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

書評:関裕二著、『古代史謎解き紀行 IV 瀬戸内編』(ポプラ社)

2016年12月29日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

『古代史謎解き紀行 IV 瀬戸内編』(ポプラ社)、2007年4月、第1刷発行。

目次

第1章 日本史を変えた関門海峡

第2章 ヤマト建国と吉備の活躍

第3章 しまなみ海道と水軍の話

第4章 吉備の謎 物部の正体

第5章 没落する瀬戸内海・吉備

FBに2年前に投降した記事から転載:

ここでは瀬戸内とその複雑な海流を支配する海人(水軍、海賊)と吉備の意味及び物部氏との関係が明らかにされる。
吉備と出雲は一度、畿内ヤマト建設に協力するが、吉備は大和に力を入れ、出雲はむしろ北部九州と関係を深めようとした。卑弥呼亡き後、トヨ(=神功皇后)は出雲・北部九州連合を形成しようとしたため、関門海峡を抑えられると干上がってしまう瀬戸内・吉備・大和はトヨの追い落としにかかった。そしておそらく吉備物部氏がヤマトの王になった。物部の始祖ニギハヤヒは天皇家よりも先にヤマトに根を張っていたという古事記の記述と辻褄が合う。対して日本書紀は沈黙。
しかし、ヤマトは疫病と天災が続き、人口半減。占うと、大物主神(出雲神!)の意志の表れで、その子である大田田根子(神武=応神天皇=日向御子)に祀らせれば収まる、という神託が出たため、その人物を探して王に据えたら国が収まったという。これが天孫降臨神話、神武東征、神功皇后・応神の東遷神話に反映されている。
この時、物部は恐らく名より実を取って王座を出雲勢力に譲り、朝鮮半島・瀬戸内ルート及び朝鮮半島・日本海・琵琶湖ルートを抑えるために河内に移って、要所に物部の拠点を作っていった。出雲は間もなく没落。そのあたりが、出雲の国譲り神話に反映されている。
日本書紀が吉備と物部の関係に沈黙しているのは、藤原が滅亡させた氏族が大和建国の根幹をなしていたことが都合が悪かったから。

以上転載。

こうしてみると、古事記と日本書紀はわざと歴史のピースをバラバラに散りばめられたパズルのようですね。その背景にあるのは藤原一族の政治的野望です。