徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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書評:五来重著、『石の宗教』(講談社学術文庫)2017/03/03

2023年11月08日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

『石の宗教』は3年ちょっと積読本になっていましたが、ようやく手を付けて完読しました。
賽の河原の積石やお地蔵さん、墓石に卒塔婆など仏教とは何の関係もないはずのものが日本では仏教の顔をして広く親しまれていますが、それがどこから来たのか、本書を読むことでその謎が解けます。


目次
謎の石—序にかえて
第一章 医師の崇拝
第二章 行道岩
第三章 積石信仰
第四章 列石信仰
第五章 道祖神信仰
第六章 庚申塔と青面金剛
第七章 馬頭観音石塔と庶民信仰
第八章 石造如意輪観音と女人講
第九章 地蔵石仏の諸信仰
第十章 磨崖仏と修験道

全て、元は石に神霊が宿ると考えた古来からの庶民信仰に由来するのですね。
辻に立つお地蔵さんは、実は元は道祖神で、その道祖神は元は祖霊が宿る石棒で、子孫を守ると信じられていたので、村の入り口などに立てて、悪いものが入って来ないように魔除けにしたことに由来するとか。

石を積むのも、死んでまだ浄化されていない荒魂を鎮めると同時に、現世に戻って来ないように閉じ込める意味合いもあったそうです。だから「賽の河原」の「賽」は本来は「塞」の意味があったのだそうです。この意味では、やはり道祖神に通じるものがありますね。

馬道観音と蚕の関係も実に興味深いです。

ヨーロッパでも、キリスト教の祭日に行われる様々な習俗はほとんどキリスト教徒は関係がなく、ケルトやゲルマン民族の土着信仰に文化宗教であるキリスト教の皮を被せたものだったりします。
日本でも仏教はもちろん、記紀を掲げる神道もキリスト教のように「文化宗教」の側面が強く、民間信仰はもっと泥臭いアニミズムと先祖崇拝であり、それが神道や仏教の文化的枠にはめられたようですね。その際に重要な役割を果たしたのが修験道の行者たちだったようです。

修験道も私にとっては謎な宗教でしたが、こちらは山岳信仰をベースとしており、巨岩や奇岩を磐座(いわくら)または磐境(いわさか)として崇拝する土着信仰から発展し、時と共に仏教的要素を採り入れて、絶妙な混合宗教を作り出し、悩める庶民たちの助けとなったみたいです。

明治政府が〈廃仏毀釈〉とか〈淫祠邪教の禁〉とか言ってそのような土着信仰の産物を破壊しなかったら、日本人は正しく「日本の伝統」を認識できたのではないでしょうか?