わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

越境学習は誰のため?自分のため?会社のため? 越境学習的メカニズム出版記念イベントに行ってきた その3

2018-03-24 07:16:06 | オトナの学び
たった1時間半のイベント。こんなにたくさんのことを考えてアウトプットできるって、どんだけ知的生産性が高いイベントなんでしょう!これぞまさに「越境学習」の効果www
という戯言はさておき、先日の「越境学習的メカニズム」出版記念イベント、後半のパネルトークを聞きながら思ったこと。


質疑応答の中で、越境学習に会社が送り出す場合、会社が求める成果(成長)と、個人が求める成果(成長)は違う、ということはないのか?というものがありました。(相当意訳)
それに対して、送り出す側の企業人事の視点から静香さんが、「ぶっちゃけ、越境先にコミットして、そっちに行ってしまう社員がいてもいいと思っている。本当のリーダーを育てたいと思っているから。これだけ変化の激しい時代なのだから、変化できる人になってほしい。」と力強くお答えされていて(かなり要約意訳w)、感動した。やっぱり静香さん、かっこいい♡


2枚目の名刺サポートプロジェクトに参加したような人、環境の変化に対応できる人が組織内にいるってことは、組織にとっても力になるよね。何か新しいことをやるとき、これまでと違うことをやるときにはどうしたって抵抗勢力が出てくる。でも、変化が怖くない人が社内にいることで、推進力が生まれる。それはとっても心強いことだ。
外に出て行ける力のある人が、あえて社内に“いる”(残る)状態にするためには、何か違うエンゲージメント施策が必要なんだろうね。平たく言っちゃうと「会社が好き♡」って思える状態であれば、出て行かない。いつかは出て行っちゃうかもしれないけど、そのときには「退職」ではなく「卒業」という表現がなされるんだろうなぁ。(退職を「卒業」という表現することはあんまり好きじゃないんですけどwww)


会社に貢献せよ、研修で学んだことを活かせ、と言われても、結局、学習・学んだことは個人にしか帰結・帰属しないと思うのだよね。インプットしてアウトプットする過程で、“その人自身”をフィルターとして通過されていくのだから。薄まることもあるだろうし、濃くなって味わい深くなることもあるだろう。だって、人だもの。
それを含み置いて、越境学習に送り出すのはありだと思うんだけど、わたしは、どーにも企業側が社内の人材育成、研修の一環として越境学習を奨励することに違和感を感じるのだな。


以前、組織開発のセミナーでなぜ参加したのか?という問いに「人材開発では限界があると思ったので、組織開発を学びに来た」と仰る人事担当者がいて、「なんじゃそりゃーーーー!」と違和感MAXになったことがあるんだけど、まさにそういうこと。
何か解決したいこと、困っていることがあって、あるいは、こうありたい、こうなりたいというゴールや目標があって、そのために何をするか?個人にフォーカスする人材開発なのか?集団組織にフォーカスする組織開発なのか?を考えていくんじゃないのかーーー?ジュンナカハラ先生も言ってたよね、組織開発は手段でしかない、って。


越境学習もそうでありたい。会社の中だけは足りないから学びに行くっていう動機でもいいとは思う。けど、送り出す側の企業は、少なくとも、その社員にどうなってほしいのか?は持っていてほしいし、ほんとに越境学習が最善の策なの?ってことは問い直してほしいと思うのです。


もちろん、時代が違うから一概には比較できないけど、かつて、ジャパンアズナンバーワンと言われていたころ、おそらくその頃のサラリーマンは越境学習なんてせずに、社内で先輩や上司の仕事を見ながら力をつけて行ったんだと思う。(その暗黙知が競争力を奪っていたのかもしれないけど)
本当に、社内だけで人材開発、教育をしていくことって限界なのかしら? とことんまでやったのかしら?そのうえで、最適、最善の方法として「越境学習」(他流試合)を選択したのかしら?っていう疑問。
なんかねー、うがった見方なんですが、「やっぱり外の知見を入れないとダメだよね」「外で揉まれた人は違うよね」的に、安易に越境学習がいいよ、って言ってない?っていう疑問が沸々と湧きおこるわけです。


わたしの父は、71歳まで企業組織の中にいて(創業者でもなんでもなく)、サラリーマンすごろくとしては「あがり」な人生だったと思う。でも、物心ついてからこっち、父が勉強している姿は見たことがなかった。日経新聞すら読んでなかったし。(ある程度偉くなると、会社で購読しているからそれを読んでたらしいけど。)でも、経済環境についてはちゃんと把握してたし、50年に渡るサラリーマン人生、時代の変化、技術の進歩にもついていっていたと思う。それって、きっと社内で“学んで”いたからだと思うのです。いわゆる”教育体系”の中での学びではなかったかもしれないけれど、長い時間を同じ場所で過ごすことによって得られる学びだったのかもしれないね。そんなのノスタルジーだよ、って思う反面、そうやって強くなっていった人もいたんだもの。多くの人事担当者は真剣に、その人にどうなってほしいか?を考えていますが、社内で教育するってことをあきらめちゃいけないと思うのです。


ちょっと話がそれてきた。
青臭いと思われようと、わたしは、「その人にどうなってほしいか?」を考えることが、人材育成、人材開発のスタートだと思うし、そんな気持ちで研修や教育プログラムを考えていきたい。それがたまたま「越境学習」だった、でありたい。


知的刺激を受けまくったイベント。こんなことを福岡でもやりたいなー、石山さんにも来ていただけないかなー?女子大の広報もできないかなー?と妄想を構想に昇華中。石山さんに妄想をお話ししたら、「リカレント教育とプロボノ、通常の越境学習の接続という新しいスキームの提示になると思います。福岡という地域活性と絡むので、さらに画期的です。」と凄すぎるまとめを。わたしの妄想をアカデミックにまとめられる石山さんはやっぱりスゴイ!!とりあえず、いろんな人に話してみよう。どこでどんなきっかけや機会が待っているかわかんないもんね。






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