ちょっと離れていた時期もあるけど、デビューしてからずっと吉川晃司のファンです。
最近では、吉川晃司といえばひめさん、みたいに記号化されていて、
晃司出てたねー
今度は、○○に出るんだねー
とみんなが教えてくれるようになりました。
「右を見ろ!」の時なんて、通知が鳴り止まないくらい。大袈裟じゃなく。
つい先日、初めて孫子女子勉強会にリアル参加した時なんて、田中先生が作ってくださったレジュメの表紙がこれですもん。
「故に善く戦う者の勝つや、智名なく、勇功なし」とか「戦勝攻取してその功を修めざるは凶なり。これを命づけて費留という」な内容で、晃司にはなんの関係もないのに笑 先生ありがとう!
そんなわけで、ひめさんの「推し」は晃司だよね、が定着しているのですが、「推し」って言葉にはちょっと違和感がある。いや、単に好きなだけだし、ファンなだけなんだけどな、って。
言葉の定義をあれこれ言うのもナンセンスなので、推しでもファンでもどっちでもいいけど、好きな対象がいて、その一挙手一投足にわーきゃー言って、明日の活力にできるって素敵なことだと思うのです。
デビューした時から好きでしたけど、こんなに追いかけてるのはここ20年。20周年の時に割と軽い気持ちでライブに行ってみたら、これがもうびっくりするくらいかっこよくて。一瞬で中学生の気持ちに戻って、わーきゃー言い始めた。
そこからは、自由になる時間とお金があるのをいいことに(たくさんではないけど、自分の意思でやりくりできるっていう意味ね)、いろいろ行ったよね、やったよね。
しばらく離れていた時期もあったので、まずは失われた10年を取り戻せとばかりに、過去の作品をオトナ買いしてインプット。前回のライブの時には一緒に歌えなかった曲が、空で歌える。大人になってからこんなにわかりやすい形で「成長」を感じたのは初めてだったかもしれん笑
遠征って概念を知ったのもこの頃。1回行くともっと行きたくなる。
地方公演に行くなんてどゆこと?1ツアーで何公演も行くなんてどゆこと???って思ってたわたしがかわいく思えちゃう。
美術展のイヤホンガイドをやるって言えば、平日の空いてる時に行って何度も何度もリピートしたり、出演するドラマは全チェックするし、ラジオや雑誌も然り。ちょいちょい芸能ニュースで取り上げられる時にはスポーツ新聞も買いに行く。その程度には暑苦しく追っかけている。
「推し、燃ゆ」の主人公は、推しの出演したラジオなどの発言を、文字起こししながら、きっとこういう気持ちなんじゃないか?って解説するブログを書き続けている。解説はしないけど、長くファンをやっていて、インタビューなどのあらゆる媒体に触れてきているから、「あぁ、晃司らしいなぁー」と感じる発言は多々あって、きっとこんな時、晃司ならこうする(こう考える)だろうなー、は大抵合致する。それは長年追いかけているからってことではなくて、晃司がずっとブレずにいるから。
俳優の晃司も好きだけど、歌う晃司が好きだ。何より好きだ。
だからこれからもツアーが始まれば、スケジュールと睨めっこしながらできるだけ行こうとするだろうし、行ったら時計や指輪が壊れるくらいにははしゃぐだろう。
そして、終わった後は余韻に浸りながら、次への活力にしていく、そんなサイクルを繰り返していくと思う。ただそれだけ。
コロナ禍前は、
「これからも好きなようにやっていくんでほっといてください」
ってよく言ってた。面白いオファーや、えええ?って思う仕事も、全部糧になるから、貪欲に吸収していく、って意味で言ってると思う。
そして最近は、
「やろうと思ったことは全部やろうと思う」
とよく言う。いろんなミュージシャンが鬼籍に入ったこともあって、「いつかまたやろう」のいつかは来ないかもしれない、だからやりたいと思ったことはやる、たとえそれが人から見たら「なにそれ?」なことだったとしても、自分の信じた道を進む姿はずっと変わらないなーって思う。
そうやって、常にチャレンジして、前に進んでいる晃司が好きだし、尊敬もしている。
「人生、折り返してどうするよ?」
同じことをたどるじゃなくて、また新しい道を歩くんだよ、って言わんばかりに40代以降の晃司はミュージカルやったり、ストレートプレイや朗読劇をやったり、バンドメンバー入れ替えたり、一つところに留まらない。大御所と言われておかしくない年齢、立場になってもまだもがき続けている姿がかっこいいし、かくありたい、って思わされる。
そして、周りの人から愛されているんだよね、それはきっと、晃司が義理と人情を持って接しているからに違いない。
「舞いあがれ」のメイキング映像で紹介されていた舞ちゃんたちとの初対面のシーン、「礼儀として歩きながら挨拶したくない」と提案して、立ち止まって挨拶することに変更された。この発言にも痺れるけど、それ以上に、演出の変更が決定した後に、スタッフに「いい?」って確認していた姿に撃たれた。現場のスタッフをリスペクトしていることが伝わって、あぁ、こういう熱量と尊敬を持って仕事をする人なのだな、だから愛されるんだな。
と、晃司のことならどこまでも熱く語れるし、これだけ好きで追っかけてるけど、じゃあ、お近づきになりたいか?と問われたら、それは全力でお断りする。ステージの上でキラキラ輝いている晃司がいいのよ。それで十分なのよ。それがいいのよ。
長く生きてると知り合いもそれなりに増えるし、音楽関係の仕事をしている人とか、同級生が今一緒にツアーを回っているという友人とか、たどっていけば打ち上げの席に紛れ込むくらいのことはできちゃうかもしれない。でもそういうの要らないの。ライブ中に「目があった!」と妄想スパークさせたり、ハイタッチしたりする程度で十分なの。
いや、きちんとわたしの能力だったり、キャラクターだったりが認められて、個体認識された上なら喜んで馳せ参じるけど、そんな機会はまぁないよね。
毎年、カレンダーを愛用しているイチハラヒロコさんというアーティストがいるのですが、彼女もデビュー当時からの晃司のファンで、ちょっとうろ覚えなのですが、
「知り合いを辿っていけば会うことはできるけど、それはできない。ちゃんとアーティストとして認められてから会いたい。」
みたいなことをおっしゃっていて、かっこいいなーと思ってた。そうそうそれそれ!ファンの一人として会うのはライブで会えるからそれでいい。ちゃんと一人の人として認められて、自分で自分に自信があって、なんらか貢献できることがあるんじゃないか?と思えるレベルになって会いたい。
グラレコ描いてたらいつかどこかで繋がるかな?繋がることを目的に頑張るのはおかしな話だけど、一生懸命、真摯に自分の仕事に向き合って、その道の「プロ」になる、そんな「推し」との向き合い方があってもいいよね。
これからもステージの上で輝いている晃司を追いかけて行きたい。そして、晃司が発する言葉のひとつひとつ、端々から影響や刺激を受けて、わたしもブレずに生きていきたい。それがわたしの推し活道なんだもの。
イチハラヒロココトバアートカレンダーはこちらで買えるみたい
文字道/2024 イチハラヒロコ コトバアート カレンダー
おまけに過去記事貼っちゃう
・大河内教官カレンダー作った話
・民川裕司三部作の感想
・35周年おめでとうありがとう
・COMPLEX日本一心のこと
最近では、吉川晃司といえばひめさん、みたいに記号化されていて、
晃司出てたねー
今度は、○○に出るんだねー
とみんなが教えてくれるようになりました。
「右を見ろ!」の時なんて、通知が鳴り止まないくらい。大袈裟じゃなく。
つい先日、初めて孫子女子勉強会にリアル参加した時なんて、田中先生が作ってくださったレジュメの表紙がこれですもん。
「故に善く戦う者の勝つや、智名なく、勇功なし」とか「戦勝攻取してその功を修めざるは凶なり。これを命づけて費留という」な内容で、晃司にはなんの関係もないのに笑 先生ありがとう!
そんなわけで、ひめさんの「推し」は晃司だよね、が定着しているのですが、「推し」って言葉にはちょっと違和感がある。いや、単に好きなだけだし、ファンなだけなんだけどな、って。
言葉の定義をあれこれ言うのもナンセンスなので、推しでもファンでもどっちでもいいけど、好きな対象がいて、その一挙手一投足にわーきゃー言って、明日の活力にできるって素敵なことだと思うのです。
デビューした時から好きでしたけど、こんなに追いかけてるのはここ20年。20周年の時に割と軽い気持ちでライブに行ってみたら、これがもうびっくりするくらいかっこよくて。一瞬で中学生の気持ちに戻って、わーきゃー言い始めた。
そこからは、自由になる時間とお金があるのをいいことに(たくさんではないけど、自分の意思でやりくりできるっていう意味ね)、いろいろ行ったよね、やったよね。
しばらく離れていた時期もあったので、まずは失われた10年を取り戻せとばかりに、過去の作品をオトナ買いしてインプット。前回のライブの時には一緒に歌えなかった曲が、空で歌える。大人になってからこんなにわかりやすい形で「成長」を感じたのは初めてだったかもしれん笑
遠征って概念を知ったのもこの頃。1回行くともっと行きたくなる。
地方公演に行くなんてどゆこと?1ツアーで何公演も行くなんてどゆこと???って思ってたわたしがかわいく思えちゃう。
美術展のイヤホンガイドをやるって言えば、平日の空いてる時に行って何度も何度もリピートしたり、出演するドラマは全チェックするし、ラジオや雑誌も然り。ちょいちょい芸能ニュースで取り上げられる時にはスポーツ新聞も買いに行く。その程度には暑苦しく追っかけている。
「推し、燃ゆ」の主人公は、推しの出演したラジオなどの発言を、文字起こししながら、きっとこういう気持ちなんじゃないか?って解説するブログを書き続けている。解説はしないけど、長くファンをやっていて、インタビューなどのあらゆる媒体に触れてきているから、「あぁ、晃司らしいなぁー」と感じる発言は多々あって、きっとこんな時、晃司ならこうする(こう考える)だろうなー、は大抵合致する。それは長年追いかけているからってことではなくて、晃司がずっとブレずにいるから。
俳優の晃司も好きだけど、歌う晃司が好きだ。何より好きだ。
だからこれからもツアーが始まれば、スケジュールと睨めっこしながらできるだけ行こうとするだろうし、行ったら時計や指輪が壊れるくらいにははしゃぐだろう。
そして、終わった後は余韻に浸りながら、次への活力にしていく、そんなサイクルを繰り返していくと思う。ただそれだけ。
コロナ禍前は、
「これからも好きなようにやっていくんでほっといてください」
ってよく言ってた。面白いオファーや、えええ?って思う仕事も、全部糧になるから、貪欲に吸収していく、って意味で言ってると思う。
そして最近は、
「やろうと思ったことは全部やろうと思う」
とよく言う。いろんなミュージシャンが鬼籍に入ったこともあって、「いつかまたやろう」のいつかは来ないかもしれない、だからやりたいと思ったことはやる、たとえそれが人から見たら「なにそれ?」なことだったとしても、自分の信じた道を進む姿はずっと変わらないなーって思う。
そうやって、常にチャレンジして、前に進んでいる晃司が好きだし、尊敬もしている。
「人生、折り返してどうするよ?」
同じことをたどるじゃなくて、また新しい道を歩くんだよ、って言わんばかりに40代以降の晃司はミュージカルやったり、ストレートプレイや朗読劇をやったり、バンドメンバー入れ替えたり、一つところに留まらない。大御所と言われておかしくない年齢、立場になってもまだもがき続けている姿がかっこいいし、かくありたい、って思わされる。
そして、周りの人から愛されているんだよね、それはきっと、晃司が義理と人情を持って接しているからに違いない。
「舞いあがれ」のメイキング映像で紹介されていた舞ちゃんたちとの初対面のシーン、「礼儀として歩きながら挨拶したくない」と提案して、立ち止まって挨拶することに変更された。この発言にも痺れるけど、それ以上に、演出の変更が決定した後に、スタッフに「いい?」って確認していた姿に撃たれた。現場のスタッフをリスペクトしていることが伝わって、あぁ、こういう熱量と尊敬を持って仕事をする人なのだな、だから愛されるんだな。
と、晃司のことならどこまでも熱く語れるし、これだけ好きで追っかけてるけど、じゃあ、お近づきになりたいか?と問われたら、それは全力でお断りする。ステージの上でキラキラ輝いている晃司がいいのよ。それで十分なのよ。それがいいのよ。
長く生きてると知り合いもそれなりに増えるし、音楽関係の仕事をしている人とか、同級生が今一緒にツアーを回っているという友人とか、たどっていけば打ち上げの席に紛れ込むくらいのことはできちゃうかもしれない。でもそういうの要らないの。ライブ中に「目があった!」と妄想スパークさせたり、ハイタッチしたりする程度で十分なの。
いや、きちんとわたしの能力だったり、キャラクターだったりが認められて、個体認識された上なら喜んで馳せ参じるけど、そんな機会はまぁないよね。
毎年、カレンダーを愛用しているイチハラヒロコさんというアーティストがいるのですが、彼女もデビュー当時からの晃司のファンで、ちょっとうろ覚えなのですが、
「知り合いを辿っていけば会うことはできるけど、それはできない。ちゃんとアーティストとして認められてから会いたい。」
みたいなことをおっしゃっていて、かっこいいなーと思ってた。そうそうそれそれ!ファンの一人として会うのはライブで会えるからそれでいい。ちゃんと一人の人として認められて、自分で自分に自信があって、なんらか貢献できることがあるんじゃないか?と思えるレベルになって会いたい。
グラレコ描いてたらいつかどこかで繋がるかな?繋がることを目的に頑張るのはおかしな話だけど、一生懸命、真摯に自分の仕事に向き合って、その道の「プロ」になる、そんな「推し」との向き合い方があってもいいよね。
これからもステージの上で輝いている晃司を追いかけて行きたい。そして、晃司が発する言葉のひとつひとつ、端々から影響や刺激を受けて、わたしもブレずに生きていきたい。それがわたしの推し活道なんだもの。
イチハラヒロココトバアートカレンダーはこちらで買えるみたい
文字道/2024 イチハラヒロコ コトバアート カレンダー
おまけに過去記事貼っちゃう
・大河内教官カレンダー作った話
・民川裕司三部作の感想
・35周年おめでとうありがとう
・COMPLEX日本一心のこと
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