わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

新年の抱負に代えて~思いつくままに雑文を書いてみた

2021-01-04 08:27:34 | コトバ・ニッキ
2021年が始まった。年が変わったからと言って新型コロナウィルスが力を弱めてくれるわけでも、医療体制やそのほかの状況が好転するわけでもないけれど、閉塞感でいっぱいだった去年のあれこれがリセットされて、きっとこれからいいことが起こる!と思いたくなる気持ちは否定できない。


毎年、お正月には「今年やりたいこと100個」のリストをつくっている。やらないことも含めた100個にはすぐに実現できることもあれば、マインドセットを変えるような壮大なこともある。結局、毎年同じようなことを書いていて、人間、本質は変わらないものなんだな、やりたいことはいつでも、いくつになっても同じなんだな、と思わされる。成長していない、ということではなくて、きっとそれが本当にやりたいことなんだろうな、とも思う。


ここ数年、「現状維持」が100個リストのトップにあった。健康もやる気も、能力も経済的なこともすべて現状を維持したい、維持できるように努めることを目標にしてきた。それでも、維持するためには努力が必要で、自分だけが変わらずにいたところで、世の中はどんどん変化していくのだから、結果としてわたし自身も変化を余儀なくされる。だから今年は、意識的に「変える」をテーマにしてみようと思った。現状維持を目指しても変わってしまうんなら、あえて「変える」ことで維持できるのではないか、マイナスとマイナスをかけるとプラスになるみたいに。極めて短絡的な発想である。そして、そもそも維持したい現状とは何なのか?をきちんと考えたいと思った。生活?収入?時間の使い方?仕事?交友関係?健康?体重?何をどう維持したいのか、をきちんと考えたいと思っている。その上で、維持したいと思うのか、はたまた「変える」ことを選択するのか、自分がどう思考し、意思決定していくのか、少しばかり楽しみでもある。



これは2015年の雷山観音の様子。このときも雪だった。


毎年お札をいただきにいく雷山観音の講堂でひく七福神みくじ。「変える」を目標にした矢先、現状維持に努めなさい、というありがたいお言葉が書かれていたおみくじを引いた。このどうにもならなさ加減がなんともわたしらしい。変えていいのか?変えない方がいいのか??? こんなふうに収まりの悪さを噛みしめながらの1年になりそうだ。






お正月の準備に干支の置物を入れ替える。2009年の丑年に、5円玉を抱いた牛の置物を広島に住むおともだちに送ったことから、年末のルーティーンになった。その後、毎年、自分とおともだちに干支の置物を送り続けた。2019年11月には直接会って「これでコンプリートだね」とねずみの置物を渡した。2周目も送る気満々だったけれど、「これまでの置物を毎年取り出して見るから、もうじゅうぶんだよ」と言うので今年は送らず仕舞い。数年に一度しか会えない仲だけれど、何をしても無条件に応援してくれるありがたくてあったかい存在。きっとこの5円玉を抱いた牛があったからこの関係が続いているのだと思う。これがわたしたちの原点であり、わたしの原点なのかもしれない。続けること、気に掛けること、思い込みだけでつっぱしること。最近、この感覚を忘れていたかも。取締役会の手作りスイーツ差し入れ師匠のお言葉カレンダー、いろいろなサプライズ。「これやったら絶対に喜ぶ!」という思い込みと機動力と行動力よ、カムバック!(笑)


年末に、尊敬する大好きなたえさんが、「流れて消えてゆく雲のような「いま」を大事に掴まえていきたい」とFacebookに投稿されていた。「いま」はたちまち消えてなくなってしまう、いつまでも同じ状態で続くように見えていたものは次の瞬間には消えている。そう、「いま」は一瞬である。だからこそ、耳をそばだて、感覚を研ぎ澄ませ、「いま」を意識し、味わうことがとても大切なことなのかもしれない。


たえさんの投稿を読んで、思い出したのが、10年前の出来事。担当したチームにいた部下が亡くなって5年が経ち、彼の眠る富山に墓参に行った、できたばかりの20周年誌を持って。そのことを書いたブログ記事があった。

会社が楽しいから がんばって治す - わくわく記録帳

リツコさんがFacebookの企画に立ちあげてくれた「今年最後の課題!仕事と学び、2010リフレクション&2011の抱負」を書く前に...

会社が楽しいから がんばって治す - わくわく記録帳

 


悲しくて、つらくて、そして、ずっと胸を捉えて離さない。将来を考える、未来を描く、夢を持つ…それができない人がいる、という現実にぶち当たった出来事であり、今でも、将来を考える、未来を描く、夢を持つことは苦手だし、おいそれとは口に出せない。今年の目標くらいの「先」「将来」がわたしにはちょうどよい。


ひさしぶりに自分の書いた文章を読んで、昔の自分に怒られた気持ちになった。ここまで真剣に仕事してる?誇りを持って仕事してる?ちゃんと生きてるかーーーー?って昔の自分がいまのわたしを叱る。10年経って、わたしは何か変化した?進化した?新しいことを始めたり、知恵やスキルはついたかもしれないし、かわすことは覚えたかもしれないけれど、こと、人と関わって何かを成すこと、暑苦しく人のために行動することに至っては退化している。10年前のわたしががんばれ、と言う。その頃とは環境が違う、というのは言い訳だ。「いま」を真剣に生きていないよね、わたし。


年末に古い資料やデータの整理をしたら、自分でもびっくりするくらい、懐かしい資料やメールが整理されて残されていた。ラーニングイノベーション論の最終セッションの直後に中原先生からいただいたメールの文面まで。

「新しく、かつ、善なること」をお互いに為していれば、必ず、近いうちに、出会えるものです。

ただ会うことができにくくなっている環境ではあるけれど、画面越しでも、文字だけでも、「会う」ことは可能だ。会うことが重要なんじゃない、恥じない自分でいるのか、新しく、かつ、善なることをしているのか?を自問自答すること、律することが重要なんだ。


そんなことを考えた2021年初頭。すぐに気持ちと態度を切り替えることはできないかもしれないけれど、折に触れて言い聞かせよう。


「いま」を真剣に生きているか?

「新しく、かつ、善なること」をしているか?





こんな状態で2021年が終わらないようにしないと(笑)
コメント
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