わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

がんばらない移住。もう「移住」って言葉つかうのやめてもよくね?

2018-12-30 13:24:54 | コトバ・ニッキ
今年のうちにどうしても書いておきたいことがあるので、勢いのままに書きますよ。


東京から福岡に「移住」してきて5年経ちました。
最初の1年は、行動範囲がめっちゃ狭くて、会社と家とスーパーとの往復くらいしかしてないから、もちろん新しい友達もできない。でも、日常生活はそれなりに楽しく、日々は穏やかに過ぎて行った。これでいいのかな。これでいいんだよね。と思って暮らしていたわけです。


青学ワークショップデザイナー育成講座の仲間と再会&出会って、イタヤさんに「あなたたちは友達になるべき!」とサンコダさんを紹介していただいて、さらにひょんなことから、福岡女子大の社会人学び直しプログラムのコーディネーターの職に就いてからは、一変した。知り合いがどんどん増えていく。


知り合いが増えることはそんなに重要なことではない。けど、「生活」していくと、こういうふうにじわじわと広がっていくことなんだ
なーと思えるようになったのはつい最近のこと。


福岡に来てから、これまでとは違う生活をしようと思っていたから、ことさら活動することもなく、あえて福岡の地に馴染もうともせず、淡々と省エネな感じで暮らしてました。生活するってそういうことだと思ってたから。


移住してきた人たちが、コミュニティを求めていろんな場所に出かけて行ったり、交流関係を広げて行ったり、「地域」ってキーワードであれこれ活動している姿を見て、すごいなーとは思っても、わたしにはできないし、しなくていいや、って思ってた。これは今でも変わらない。だって、ずっとその地に住んでいたら、そんなに頑張って「溶け込もう」としないでしょ。毎日の生活を送る中で少しずつ関係を構築していって今があるわけでしょ。東京に出て行った人たちがことさらにコミュニティづくりをしないのは、規模の大きさもあるかもしれないけど、生活することが第一になってるからなんじゃないかな、って。


なのに、地方に「移住」すると、がんばっちゃう。地元に溶け込もうと「地域」に関わろうとする。これにどうしても馴染めなかった。淡々と生活していく中で、少しずつ馴染んでいけばいいじゃん、って思ってた。だって、わたしはこの地にずーっと住んでいくんだもん。だから「移住」したからと言って、能動的にあれこれ活動するというより、きちんと税金払って(!)、地元で買い物して、ご飯作って食べて、消費して、ってことをやっていくことが大事だと思ってたし、そういう日常生活の延長上に「移住」者の活動があればいい、って思ってた。


それは今でも変わらない。


つい先日、某女性誌が「地方で暮らす」をテーマにした特集を組むので、ついてはご紹介させてくださいとお声をかけていただいた。残念ながら、ターゲット的にやや(いや、かなり)おねえさん、もとい、おばさん世代だったため、わたしが題材になることはなかったんだけど、その際に何人かご紹介した。彼女たちはいずれもご家庭の事情で「移住」された。しっかり地域で生活して、学んで、仕事をしてらっしゃる。まず「生活」がある。
そのときに、「ご自分の意思で移住されてきた方をご存じないですか?」と問われ、あれこれと思いめぐらせた。いる。たくさんいる。けど、その人たちは来年の今頃、ここにいないかもしれない予感がする。


そう、これなのよ。移住者に対してわたしが勝手に抱いている偏見。
ご自分のキャリアや、仕事、生活を考えて…ご自身の意思で移住してきた方は、もっといい場所、もっと住みやすい場所、もっと働きやすい場所、もっと成功しやすい場所があれば、ひょいっと場所を移していく、そんなイメージがある。福岡じゃなくてもいい。日本国内だけでなく、シンガポールとか台湾とかオランダとか、選択肢の中のひとつの街なのかもしれない。


わたしはこの街、この土地に暮らすことは唯一絶対の選択肢なのだ。ことさら馴染もうとがんばったりしないのは、ずっと暮らす場所だから。だから急いで馴染まなくても、毎日の生活を送っていればおのずと馴染んでくるし、居場所になる。


今、佐賀県の女性リーダー育成の仕事をしている。その講座の中で、ゲスト講師にいらした方が、こうおっしゃっていた。
「佐賀で育った女性たちには、佐賀に住んで、仕事をして、家族を持ってほしい。そのために住みたい街にしないと。」
佐賀はこの15年の間にかなりの人口減少が進んでいる。危機感もハンパない。住みたい街、住みやい街にしようといろいろな施策を検討したり、移住者が増えるように助成したりしがちだけど、住み続ける、生活し続ける、ってことが大事。


あとね、地方ってランニングコストをかけずに生活できる。居住費は圧倒的に安い。だからか、フリーランスで働いたり、起業もしやすい。フリーになると、自分って何?自分って何ができるの?てことを考える。狭い商圏だったりするから、居場所や仲間も欲しくなる。そうなるとコミュニティをつくる、入る。でも、コミュニティも人も生きているから、新陳代謝といおうか、アップデートされていく、次々と新しいコミュニティに入る、作る…っていうことを繰り返していくうちに、コミュニティの残骸があちこちに残っているような、そんな感覚がある。新しいものを求めて行動するのはステキなことだ。けど、もうちょっと地に足つけてじっくりじんわり生活するのもいいんじゃないか?って思うわけだ。


「よそもの・わかもの・ばかもの」が新しいことをする、風穴を開ける、的なことはよく言われる。確かに、その地に馴染んで地元の人と一緒に何か新しいことを成す移住者がいることももちろん知っている。
誤解を恐れずに言うと「移住」がファッションになっているような、そんな感覚すら覚えるのです。東京のがつがつした空気はもうダサいよね、地方でミニマムな暮らしがいいよね、みたいな。


わたしはじんわりじっくりと、これまでと変わらないペースで生活していこうと思う。だって、ずっと暮らしていく街なんだもの、焦る必要もないし、急ぐ必要もない。そう言い聞かせながら、今日もゆるゆると過ごしているのでありました。
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