懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

OB会の忘年会

2019年12月21日 | 日記
勤めていた製造所のOB会の忘年会に参加する。
私は日常、ほとんど人との付き合いはないので会社のOB会だけは参加する。
車椅子で参加するのは私くらいのものだ。箸も上手く使えないが隣の席の人が料理は取ってくれた。いつも惨めな思いで参加している。

最近は60歳定年後、65歳まで再雇用で働くのでOB会に入会する人が少ない。
定年後まで会社の人と付き合いたくない人が増えているだろう。
職場にもOB会があり会社の情報はある程度入ってくる。

しかし、身体の動く人は製造所のOB会に入った方が活動サークルが沢山ありグランドやテニス場、体育館、OB会会館を使えるので便利だ。それとメーリングリストで社内報や訃報、連絡も回ってるので便利かと思う。

今までの会員なら9割まで顔と名前が分かるが、これからは若い世代になり浦島太郎になるだろう。
5人テーブルで座る。両隣の名前は知っているが出身地は知らなかった。
右隣の人に聞いたら青森県という、青森のどこと聞いた。青森はわかるのと聞いた。青森は8回車て走ったので大体分かる。青森の西津軽という。更に聞くと西津軽郡旧岩崎村だった。茅葺民家を撮りに行った。白神山地の入り口の12湖にも行ったと話した。岩崎村は秋田県に接している。高校は秋田県の能代市の方が青森の五所川原などより近い。五能線沿線だ。今頃なら日本海からの風雪に悩まされる。
悲しみ本線日本海である。厳しい所で育ったのだ。親の仕事の関係で子供はどうしょうもない。

左隣の人に聞いたら山口県の宇部市の出身だという。宇部の常盤湖や常盤公園にも行った事がある。ペリカンのカッタ君を見に行った事があるといった。
カッタ君は人に飼育されたので明光幼稚園まで飛来して話題になった。この前に動物の番組でカッタ君特集をやっていた。ペリカンは50年は生きるそうだが、11年前に23歳で死んそうだ。

左隣の人が言うには宇部は炭鉱が盛んで常盤公園の周りにも炭鉱住宅があったが閉山で同級生の親も都会に職を求めて宇部を離れて行った。
常盤湖、自然の地形であんなところに何故、湖があるのか不思議だった。
ネットで調べると江戸時代の元禄年間に新田開発の為に人が石垣で堰堤を築いた池であった。香川の満濃池と同じだ。

今回は出身地の共通の話題で話せたのは良かった。
テレビの旅番組やブラタモリ、家族に乾杯も各地が出てくる。惰性て見ず真剣に見る事だ。何歳が来ても知識と金は増やす事が必要だ。


茅葺民家 岡山県旧大佐町尾原

2019年12月21日 | 茅葺き民家
岡山県の山間部の集落と集落を結ぶ細い道を一本一本走る。
大佐町尾原も山の中のポツンと残る集落である。
今は消滅の危機のある集落であろう。
茅葺に住む人も、もっと便利な所に家を建て移り住むと云う。
大佐町も町の中心地へ行けば、高速道路の中国自動車道も走っている。JRの鉄道も走っている。

こんな山間地の集落を訪ね歩いても何になるのだろう。ガソリンタ代と時間を費やして何になるのだろうといつも自問自答する。少なくとも全国各地の田舎の暮らしの断片は見てきた。 行動しなければ茅葺民家にも出会えなかったし映像にも残らない。人生は行動の積算かもしれない。生きている限り行動する意欲が湧いてくる物を続けることか。

茅葺民家の横をホッカムリした老人が杖を突き歩いてくる。
生まれてこの地で暮らしてきたのであろう。学校はどこにあったのか、歩いて子供ながらに何キロも歩いて通ったのか、どんな暮らしをして家族を養ったのか、聞きたい事は沢山あったが眼の表情から会話は難しいようだった。