懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

中村哲氏こそノーベル平和賞

2019年12月07日 | 日記
中村哲氏は医師でアフガニスタンの復興に尽力したが襲撃に遭い命を落とした。
1年くらい前にも中村哲氏の元で働いていた日本人の若者が銃撃に遭い命を落とす。
2016年にETV特集で中村哲氏の活動が放送された。
アメリカがアフガンから撤退したあとゲリラの残党が多く残る山岳地帯で医療に携わる。
九州大学医学部をでている医師が僻地の医療やアフガニスタンの危険な土地での医療に尽力したのか凡人には理解できなかった。それは親や祖父の教えが根底にある。
医療で患者を救っても、たかがしれているに気付く。乾燥した大地では作物も作れない。アフガニスタンの国民が豊かになるのが先決だ。
中村氏は自ら重機を運転して、雪山から流れるでる川から農業用水を引く工事を現地人の協力を得てある程度完成させる。乾燥地帯の平野が穀倉地帯に変わっていく風景が放送された。現地にある石を使い石垣を並べて日本の古来の用水路を造る技術を教えていく。中村氏の活動に資金援助する人もいた。
日本人の中に、こんな純粋で素晴らしい人がいるのを知った。
弱い人を見捨てられない純粋な心の持ち主だと思う。
こんな人がなぜノーベル平和賞をもらえないのかと疑問に思った。
ノーベル平和賞に17歳の何の実績もない少女がもらったりアメリカ大統領がもらったり選考がおかし過ぎる。ノーベル化学賞など30年も実績を踏まないと受賞できない。中村氏がノーベル平和賞にノミネートされなかったのはアメリカやロシアの思惑だろう。アフガンに侵攻し多数の犠牲者をだした、アフガニスタンの復興に尽力している中村氏は面白くない存在だったのだろう。
何年か前にETV特集で放送された内容を再編成して近日中に追悼放送があるようだ。