撮影場所 福岡県 田川線油須原
田川線は田川炭鉱の石炭を行橋の港へ運ぶために敷設された。
石炭も炭鉱の閉山で貨物は石灰輸送にかわっていた。
人口の少ないローカルで収益も悪く国鉄からJRになる時期に平成筑豊鉄道になる。
油須原は「ゆすばる」と読む、九州は「はら」を「ばる」という。福岡でも鹿児島でも
駅名も佐土原を除いてばると読むところが多い。
名所なども田原坂(たばるざか) 中原(なかばる)
田川線はほとんどが山間部で谷間の集落や田を見ながら走る。
油須原が峠になっていて貨物には補機が付きプッシュプルの重連となる。
峠が直線なので後押しの蒸気機関車も見える。
機関車は貨物が9600形で客車がC11形だった。
のんびりと峠を越えていく列車をみていると一日いても飽きない。
今思えば近くを歩けば昭和の風景が一杯撮れたのにと思う。
昭和の時代には昭和の良さに気付かないものだ。
田川線は田川炭鉱の石炭を行橋の港へ運ぶために敷設された。
石炭も炭鉱の閉山で貨物は石灰輸送にかわっていた。
人口の少ないローカルで収益も悪く国鉄からJRになる時期に平成筑豊鉄道になる。
油須原は「ゆすばる」と読む、九州は「はら」を「ばる」という。福岡でも鹿児島でも
駅名も佐土原を除いてばると読むところが多い。
名所なども田原坂(たばるざか) 中原(なかばる)
田川線はほとんどが山間部で谷間の集落や田を見ながら走る。
油須原が峠になっていて貨物には補機が付きプッシュプルの重連となる。
峠が直線なので後押しの蒸気機関車も見える。
機関車は貨物が9600形で客車がC11形だった。
のんびりと峠を越えていく列車をみていると一日いても飽きない。
今思えば近くを歩けば昭和の風景が一杯撮れたのにと思う。
昭和の時代には昭和の良さに気付かないものだ。